誰がために鐘は鳴る




重たい腕を持ち上げてぼんやりとした白い面影に触れる。
失血した自分よりも冷たい頬。
ああ、そうか。雨のせいだ。
燐は白い頬に自分の血がべっとりと付いてしまったことに、困った笑みを溢す。
「わりぃ。・・・血が付いちまった」
何故だろう。
自分の頬に暖かい雫が落ちてくる。
雨は冷たく身体を打つのに、何故、顔に落ちてくる雫は暖かいのだろうか。
「・・・空・・」
ぼんやりとした周囲が暗くなる。
もう、いいだろうか?
この生を手放してもいいだろうか?
お前の駒で居ることに疲れたよ。
愛していると告げることも諦めた。
だから、もう、これ以上、お前の傍にいられない。
いつ叫びだしてしまうか分からない。
お前に迷惑を掛けたくない。・・・重荷になりたくない。
最期に青い空が見たかったな。
でも、お前と初めて会った、あの日の墓地のような雨は俺にお似合いかもしれない。
「・・・ぁ・・ぃ・・・・・・」
息が続かない。何か耳元でガンガン叫んでる。
歪んだ視界は暗くて・・・・。俺の意識はふつりと切れた。














ヴァチカンの空に陰鬱とした鐘の音が鳴り響く。
正十字騎士團は聖騎士を失った。
聖騎士、奥村燐。享年29歳。
今世紀最高の聖騎士で魔神の落胤、青い炎を操る稀有な存在。
虚無界に対抗できる唯一無二の武器と称された彼は同じ祓魔師の凶刃に斃れたのだ。
弔いの鐘が鳴り響く中、石階段を下りる白衣の悪魔を上一級祓魔師に呼び止めた。
「待てって。・・・なんども言わせんな、ハゲっ」
赤い長髪を纏め上げた祓魔師正装の霧隠シュラは肩で息をしながら、やっと立ち止まった悪魔を罵る。
聞こえなかった振りで立ち去るつもりでいたメフィストは舌打ちをした。
しかし、振り返ったときにはいつも通りの薄笑いを浮かべて彼女が下りてくるのを待った。
「言葉遣いが相変わらずですね、シュラ。そんなことでは嫁の貰い手もいないでしょう」
「お前に心配されるいわれはない。そもそも私はモテモテだ」
「それは失礼致しました。しかし、『モテモテ』とは死語らしいですよ」
「うるさい、黙れ。クソ、バカ、ハゲっ」
ムッとしていつも通りの答えが返ってくるのを懐かしく思った。
そういえば、シュラとこうして会うのもかなり久しぶりだった。
「それで?何か御用でしたか?」
メフィストはシルクハットの端をつまみ視線を遮った。
シュラの静かな怒りを秘めた瞳を避けたいと思ったからだ。
「・・ふぐぅっ☆」
「一発殴らせろ」
「・・・シュラ、あなた・・言う前に殴るのは卑怯ですよ・・」
顔を抑えながらの悪魔の抗議にシュラは鼻で笑う。
「誰がそんなことするか、予告なんかしたら逃げられるじゃないか」
「まったく・・・。あなたの考えていることがさっぱり理解出来ません」
「してもらわなくて結構。・・っつうか、お前に理解されちゃ迷惑だ」
「そうですか」
ぷくくく。メフィストは含み嗤った。シュラの一撃はかなり重く、鼻の奥が切れたらしくたらりと血が垂れる。胸のチーフで鼻下を拭いながら目を細める。
「・・・なんで、その服だったんだよ」
一時の沈黙の後、シュラが呟いた。
現職の聖騎士の葬儀ゆえヴァチカンで執り行われたそれに参列した者は皆一様に祓魔師の正装だった。黒のロングコートに喪章をつけていた。あのアーサーですらいつもの白を基調とした(聖騎士を返上後もあのオーダーメイド服だった)正装ではなく黒コートで出席していた。黒いアーサーが物珍しくて、弔辞を読むために壇上に上がった彼に場内がざわめいた。だが、その弔辞はそもそもメフィストがするはずだった。
よもや白服で来た悪魔を燐の弟で喪主の雪男が退魔用ガトリングガンを持ち出そうとしたのを勝呂や志摩がなんとか思い止まらせたのだ。
「そうですねぇ・・・何故、この服だったのでしょうか・・・」
シュラから完全に視線を外したメフィストはどこまでも澄み渡った青空を見上げる。
遠くを見つめて誰にともなく悪魔は呟いた。
「メフィスト・・お前、怒ってるのか?」
いつになく茫洋とした様子にシュラが眉を寄せた。
メフィストはそれに応えなかった。そのまま、階段を下りはじめる。
「メフィスト、もう一発殴らせろ」
「理由が分からない暴力は受け付けませんよ」
悪魔の背に声をかけたシュラに、彼は振り向かずに手を振っただけだった。
弔いの鐘は鳴り止まず、どこまでも高い空に一羽の白い鳩が舞った。


















「鍵・・・ですか・・」
メフィストは雪男から渡された革紐に通された三つの鍵を見た。
一つは藤本神父に渡し後にその息子へ譲り渡された『神隠しの鍵』。
二つ目は高校卒業時に彼に渡した『メフィストの私室の鍵』。
最後の一つには見覚えがなかった。他の鍵に比べて装飾もなく作りも簡単な鍵だ。
「フェレス卿もご存知ない鍵でしたか」
落胆を隠さない声で奥村上一級祓魔師は溜息をついた。
その鍵は燐が肌身離さず首に掛けていたもの。今となっては形見の品だ。しかし、『神隠しの鍵』以外は雪男には初めて見る鍵だった。
雪男はこの部屋を訪ねたくはなかった。だが、形見の鍵の真実を知っておきたい。
彼の予測どおりの答えだったとしても、だ。
そして、その一つは的中していた。兄が『メフィストの私室の鍵』を大切にしていた。
その事実は雪男に重い衝撃を与えた。
「私とて彼の全てを把握しているわけではありません。現にこうして彼を失ってしまった」
メフィストは疲労を感じていた。身体が重く、思うように動かない。
今までに感じたことがない感覚。いや、一度だけ。藤本獅郎が亡くなった時にも感じた。悪魔であるメフィストには本来縁遠い感覚だ。それは絶望に似ている。
顔を上げれば憔悴した奥村雪男と目が合った。
「奥村先生、あなたはこの鍵をどこの鍵だと思っているのですか?」
彼の弟である雪男には何がしかの考えがあって訪ねてきたのだろうと当たりを付ける。
「僕は・・・日記帳の鍵だと思っています」
「日記?!」
雪男の言葉にメフィストは目を瞠った。
奥村燐と日記帳。それは水と油のような関係に思えた。
「突飛な発想ですね。考え方が柔軟なのはよいことですが、それはちょっと・・・」
「兄は日記をつけていましたよ。ヴァチカンに来てから、ずっと」
「燐がヴァチカンに赴任してからというと、もう五年ですか・・・」
メフィストには信じられなかった。メフィストにとって燐は今でも勉強が嫌いで座学が苦手。板書きさせれば本人にも解読不能で、小学生程度の漢字も危うく、九九に至っては高1でやっと覚えましたという残念なおつむの持ち主だ。
メフィストが机の上に置いた鍵を手にして雪男が悪魔を見下ろす。
「この単純な構造の鍵が何がしかの部屋の鍵でしょうか?文箱か日記帳、または机の鍵といったところと推測しました」
雪男はじっとメフィストを見ている。いや、観察している。メフィストの表情から何かを読み取ろうとしていた。しかし、メフィストには本当に思い当たる場所がなかった。
「・・・奥村先生がそういうからには思うところは全て探された・・・と言うことでしょう。それこそ、燐の執務室や私室、ロッカールームに至るまで」
「そのとおりです。しかし、その鍵の合う場所はありませんでした」
メフィストは雪男の突き刺さるような視線を平然と見返し、淡く笑んだ。
「奥村先生はなにか勘違いをしておいでだ」
「は?」
「聡明なあなたのことです。燐と私の仲を邪推していませんか?確かに私は燐に私室の鍵を渡しました。彼がヴァチカンに赴任した日に。ですが、彼は一度もそれを使ったことはないのですよ。勿論、あなたの考えているような関係でもありません」
「・・・ですが・・それでは、兄は何故あなたの鍵を肌身離さず身に付けていたのでしょうか?」
革紐に通された鍵同士がチャリチャリと音を立てる。私室の鍵が鈍く光った。
「それは私にも分かりかねます。申し訳ありませんが、弟であるあなたにすら思いつかないものを私が知る由もないということです。残念ですが・・」
二人の間に沈黙が落ちる。
燐とは彩度の異なる碧い双眸に射抜かれても、メフィストは型通りの笑みを浮かべ受け止めるのみだ。ふいに雪男が腕時計に視線を落とした。
「そろそろ任務がありますので失礼します」
椅子から立ち上がりそのまま出て行こうとする雪男をメフィストが呼び止めた。
「忘れ物ですよ。奥村先生」
机の上に置かれた鍵をメフィストが示すと、興味を失ったように雪男は振り返りもせずに言葉を返す。
「その鍵はあなたに預けておきます」
「は?」
「あなたがどんなに否定されたとしても、僕はその鍵の在り処を知っているのはあなたしか考えられない。寧ろ、貴方でなければならない。・・・時間だ。それでは」
扉が閉められる。
雪男の最後の言葉を頭の中でなぞりながらメフィストはまた深い溜息を吐いた。
燐の形見の品が悪魔の元に残された。


2011/12/19

コメント:
本筋は変えないですが、文章を帰る可能性があります。
まだ途中だよ。続きがあるよ。来週にはUP希望。頑張れ、管理人。
自分にエールを送るのって空しい・・・しくしくしく。

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