こんな始まりは認めない



四肢を投げ、バスタブの側面に背を凭れる。縁に後頭部を預けて仰いだ天井がバスタブに張られた湯から上る蒸気の行く手を阻み、四散した蒸気に一面が靄がかったように白む。その様が昨夜の愚行の最中の白濁した意識に重なり、軽い眩暈がした。目の奥の痺れを拭うように澱む二酸化炭素を吐き切り、空になった肺に蒸気を帯びた酸素を落としながら視界を閉ざす。肺を満たしたところで息を詰め、鈍痛を伴う腰を滑らせ、投げた両脚を膝から折る。背の凭れをバスタブの側面から底面へと移し、腫れぼったい瞼を緩慢と持ち上げれば、湯が眼球を撫でる微かな痛みが襲う。水面下に届く照明の不安定な揺らぎを凝視しながら、全身に纏わりつく疲労感に身を委ねた。(薄膜を張った視界。覆い被さるおとこの肩越しに捉えた天井は遠く、息苦しさに伸ばした手のひらは空を切る。縋ったシーツに皺を刻み、その冷たさに皮膚の下を這う熱を自覚した。際限を知らず高ぶる熱に頭を擡げ始めた恐怖を払うように小さく頭を振ると、額に浮かぶ汗の粒子が散り、それでも上手く熱を逃がせず肌の火照りは加速する。湿り気を帯びた髪が皮膚に張り付き、その煩わしささえ恐怖に呑まれた。手首を縫い止められることで更に煽られた恐怖は上擦った悲鳴へと姿を変え、唇の隙間から零れたそれに絶望する。嘘だ。こんな、こんな、甘い、。嫌だ。認めたくない。きつく噛んだ下唇の痛みを舌先と共に耳殻を嬲る囁きに塗り替えられる。何て非生産的で、愚かなことだろう。これほどの愚行を他に知らない。こんな、こんな、)―――このまま溺死してしまいたい。水面下を漂いながら、ただそれだけを思う。白濁した意識から覚醒への階段を一気に駆け上がるのと共に容赦なく飛び込んで来た現実から逃れようと、指先一つ動かすことすら億劫な躯に鞭を打ったにも拘わらず、ベッドから転げ落ち床に頽れると言う情けない幕引きとなった逃亡劇を経由し、おとこにバスタブへと放り込まれるまでに湧き上がった様々な感情が綯い交ぜになった結果だ。殺してやりたい殺してやりたい、それ以上に死にたい。殺意よりも羞恥が勝る。自分に恥辱を与えたおとこを殴り飛ばしてやりたいのに、もう顔を合わせたくない。自分に非はない。寧ろ被害者だ。罵り、責め立ててやればいい。いいのに出来ない、なんて(違う、顔を合わせたくないだけだ。だから、出来ないなんてことは、)。こぽり。二酸化炭素が隙間を縫って抜ける。泡が視界を泳ぐ。苦しい。ああ、このまま、このまま、(そうすれば、もうあいつとも、)。―――視界が細かい泡の群で埋もれる。泡の群から伸びた、手。触れる。掬われる。浮上する。水底から、水上へ。酸素が肺を擽る。何で。どうして。ああ、もうお前なんて、お前の顔なんて、見たく、ない、のに。

「なにやってんだあんた」
「うるさいうるさい」

触るな。もう触れないで。嫌だ。嫌。お前なんて嫌いだ。大嫌いだ。卑怯者。嫌だ、嫌だ嫌だ嫌だ。頼むから、お願いだから、(触れられた部分から滲むのが、嫌悪ではないだなんて、)誰か嘘だと言ってくれ、っ!



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