きらきら



きらきらと眩い世界を惜しげもなく私に与えて、子供は顔を綻ばせた。
小さな手のひらを躊躇いもなく差し出して、それがどれだけ私を救うのかも知らずに、子供は無邪気さを盾に私をじわじわと侵蝕する。
幼い声色が私を呼び、抱き上げた温もりに眩暈さえ覚えた。
じわりと滲み、混濁する。
愛おしさに泣いてしまいそうだ。
―愛しい子、どうかお前の世界が色褪せることのないように。

本独特の匂いに満ちた室内は、開け放った窓から差し込む暖かな日差しによって明るい。
緩やかに吹く風はカーテンを揺らして室内へと滑り込み、擽るように肌を撫でて行く。
酷く退屈そうに頬杖を突き、指先でゆるゆると文字の羅列をなぞりながら、ギロロは何度目かの欠伸を噛み殺した。
本の内容を辿るのは指先ばかりで、脳で咀嚼する以前に視線が文字との追い駆けっこをやめてしまっている。
その指先ですら同じところを彷徨い始め、いよいよ舟を漕ぎ出す弟をガルルは呆れと言うには柔らか過ぎる眼差しで捉えた。
ふ、と唇の隙間から吐息を零し、目を細めて口角を吊り上げる。
「無理に付き合わなくとも良かったんだ」
読み終えた凶器としても使えそうなほど分厚い本を閉じ、ガルルはテーブルを挟んだ向かい側に手を伸ばした。
はらりと頬にかかる赤い髪を指先で掬う。
少し癖のあるそれを円を描くように指先に絡めると、徐に視線が上がり、涙の膜に覆われた双眸がガルルを捉えた。
濡れた双つの瞳が硝子玉のようにくるりと煌めく。
「別に、無理なんてしてない」
「にしては随分と眠そうだよ、坊や」
とろけた声色は今にも夢路へと旅立とうと言わんばかりだ。
言葉にからかいの色を含ませれば、ふん、と鼻を鳴らして顔を顰める様はまるで愚図る赤ん坊のようではないか。
微笑ましい、など肉親の欲目なのだろうが、弟の子供じみた仕草にガルルは目尻を下げる。
慈しむような視線を向けられ、ギロロは擽ったさに小さく身じろぐと、ガルルは指先で弄る髪を彼の形の良い耳にかけた。
髪が作り出す陰影が晴れ、額から頬、輪郭にかけて刻まれた傷痕が露わになる。
他に比べて幾分かさついたそこに親指の腹を這わせ、離れた。
「…ここにある本は難解過ぎるんだ」
眠くもなる、と唇を尖らせ、ギロロは読みかけの頁に栞を挿むでもなく本を閉じる。
ギロロは元より活字が得意ではない。
加えて小難しい内容ともなれば、幼い頃から慣れ親しんで来た文字も凶器に変わる。
それを平然と読み進め、知識として蓄積して行くガルルにギロロは尊敬を通り越して呆れた視線を送った。
ガルルはどうも本であれば何でもいいような節が見受けられ、棚を占める膨大な量の本には一貫性が見られない。
よって、ギロロはガルルがどんなジャンルの本を好むのか知らないし、凶器になりそうなほど分厚い本など開いてみる気にもなれなかった。
本の虫とはガルルのようなひとを言うのだろう、とギロロは思う。
「昔のように読み聞かせてあげようか」
ガルルは喉を鳴らして笑った。
愉快げなそれは酷く珍しく、からかいの姿勢が続いていることをギロロは悟る。
「小難しい話は喩え噛み砕いた言葉でもごめんだ」
「絵本でも構わないさ」
「アンタは俺が一体幾つだと、」
「絵本、好きだろう?」
「嫌いじゃないが、絵本くらい自分で読める」
もうそこまで子供じゃないんだ、とギロロは眉根を寄せるが、ガルルはどこ吹く風と言った様子だ。
幼い頃、本の世界の扉はいつだってガルルが開けてくれた。
ガルルは噛み砕いた言葉で要点を纏めて読み聞かせるのが上手い。
しかし、それが物語となるとギロロがどれほどせがんだところで結末まで読み聞かせてくれたことはなかった。
気になるなら続きは自分で読みなさい、と差し出される本の分厚さにギロロは毎度頭を痛くさせられたが、気になるものは仕方ないので四苦八苦しながら活字と睨めっこした。
思えば、ギロロの活字嫌いを直そうとしてのことだったのかも知れないが、今でも興味がないものはてんで歯が立たない。
それでも、読み終えたときの充実感を伴う疲労が思いの外心地好いことをギロロは知った。
「じゃあ、どんな本を読んで欲しい?」
「…何でそう読み聞かせたがるんだ」
ゆるりと風が頬を撫で、差し込む日差しに縁取られた黒紫の髪が揺れる。
ガルルは愉快げな笑みを愛しげなそれに変え、再びギロロに手を伸ばした。
頭を撫でる手のひらの感触にギロロは目を細める。
「私はお前に世界をあげたいんだよ」
ギロロはガルルなどより余程感性豊かな子供だった。
同じものを見て、同じように触れて、それでも同じように感じることは出来ない。
ギロロの目に映る世界はどんなに美しいのだろう、とガルルは何度想像したか知れないが、結局は彼が見ている世界には遠く及ばない。
それでも、ギロロが与えてくれたなら、ガルルにも見えたのだ。
弟の目に映るきらきらと眩い世界が。
だから、ガルルは自分も同じようにギロロに世界を与えたいと願った。
彼の知らない世界を与えたい、と。
「また続きが気になるなら自分で読めって言うんだろ」
「それは可愛い弟の為を思ってのことだよ」
質が悪い、と溜め息を吐き出す弟の髪を兄はくしゃりと撫でた。

(さぁ、どんな世界をあげようか)




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