どうぞ、鋏を入れて



(伸びた前髪の煩わしさに目を細めながら、戦場の赤い悪魔は毒づく。視界をちらつく血を彷彿させる赤が敵兵の目を引き、標的にされ易いことを嫌と言うほど理解しているからだ。奥歯を噛み締め、きつくグリップを握る。忌々しい、と心の中で吐き出したところで誰に届くでもない。血と硝煙と汗の臭いが入り混じり、吹き抜ける風に砂埃が舞う。目が痛む、喉が痛む、飛び交う銃声に鼓膜がいかれる。酸素に肺を擽られても生きている心地がしない。気だけが昂ぶって行く。忌々しい、と今度は実際に音として吐き捨てた。全てが全て煩わしい。取り敢えず、無事に生きて帰れたら、先ず前髪を切りたいな、と思った)

視界に影が差し、仰ぎ見る青空を背負う形でおとこが横たわる身体を見下ろした。おとこが呆れを含んだ安堵めいた眼差しを向けるので、唇の隙間から吐息を零して笑う。大丈夫だ、と告げたかったのか、それとも向けられた眼差しが擽ったかったのか、はたまたそのどちらもか、自分でもよく判らない。
「終わった、のです…か」
おとこに対して使い慣れない言葉遣いはどうにもぎこちない。痛みを訴える喉から絞った声は微かに上擦り、口内に広がる血と砂の味に眉を顰めた。喉の渇きと潤すよりも先に口を濯ぎたいな、とそんなことを考えていると、おとこもまた眉を顰めた。
「でなければ私のような狙撃兵はここまで出ては来ませんよ」
「それもそうだ」
言葉遣いは早くも崩れ、おとこの返答に声を上げて笑った。しかし、直ぐに顔の筋肉が引きつる。全身に鈍い痛みが走り、浅く息を吐くことでどうにかやり過ごす。疲労が限界に達した身体は重く、指先一つ満足に動かせない。それがもどかしくもあり、同時にまるで糸の切れた操り人形だな、と可笑しくなった。命令と言う名の糸が切れ、糸に吊られていた人形は地に伏す他ない。無理やり頭を垂れさせられた気分に苦く笑えば、おとこが傍らに膝を突いた。恭しいその様はさながら騎士のようではないか。そんな馬鹿げたことをぼんやり思っていると、おとこの右腕に上体を支えられ、左腕が膝裏に回る。嘘だろう、と元から引いていた血の気が更に引いた気がした。
「やめ…っ、」
制止も虚しく身体を浮遊感が襲う。暴れるんじゃないぞ、と釘を刺されるが、こちらは暴れたくても暴れられないのだ。おとこは涼しい顔をしてるが判ってて言っているに違いない。この状態を仲間に見られれば、冷やかしを受けるのは目に見えている。特に嬉々としてそれに乗じるだろう幼馴染みを思うと頭が痛い。頭を抱えたくとも、その動作すら身体は許してくれなかった。思い通りにならない身体に苛立ち、そして最終的にもう知るかと投げ出した。頭を歩き出したおとこの胸に預け、諦めにも似た息を吐き出す。おとこに疲れたか、と問われ、ああ、と返した。アンタのせいでな、とは口にしない。不意に歩みが止まったかと思うと、こつりと額と額が合わさり、軽く擦り寄せられた。宥められているような感覚に目を細めるが、絆されまいと応えない。
「何だよ、兄ちゃん」
おとこを兄ちゃん、と呼んだ時点で充分に絆されていることには気付かない振りをした。
「おかえり」
「…うん、」
触れ合った部分からじんわりと伝うおとこの体温に今更ながら気付く。生きている。ただ、それだけを実感した。実感して込み上げるものに悟られまいと、震えをどうにか堪えて言った。

「兄ちゃん、俺、前髪が切りたい」



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