夢だけど夢じゃなかった



ああ夢だな、と思ったのは、腰掛けるベンチから見渡す風景が幼い頃によく遊び場にしていた公園のものだと気が付いたからだ。けして広くないそこは数少ない原色の遊具に彩られ、その他には小さな砂場がある。誰かが忘れて行ったのか、砂にその身を埋めたバケツとスコップが風景の一部として溶け込んでいた。公園の外周をぐるりと囲むように木々が立ち並び、ベンチの傍らの一本は丁度木陰を作る。鳥の鳴き声、木々の揺れる音、匂いまでもが酷く鮮明で懐かしい。随分と細部まで再現された夢に感心しながら、不意に地面に視線を落とす。木漏れ日が地面をキャンパスに描く絵、その仄かな眩さに目を細めた。
思えば、幼い頃病弱だった自分が幼馴染みふたりの体力について行ける筈もなく、直ぐに息を切らす身体を休める為にこのベンチを使っていた。ここからは公園全体が見渡せて、ふたりの姿を見失うこともない。そのことに安堵した。同時に寂しくもあった。視覚で捉えることは出来ても触れ合えないもどかしさに込み上げる羨望と妬み。そんな感情に飲まれる自分が醜く思えて涙することも少なくなかった。ぼやけた視界が更に自分とふたりの距離を遠ざける。それが怖くて瞼を閉ざせば、必ず近付いて来る足音と自分を呼ぶ彼の声が鼓膜を撫でた。ゼロロ、まだそう呼ばれていたあの頃、僕が泣いてはそれを察知するレーダーでも備えているかのように彼は僕の元へ飛んで来てくれた。また泣いてるのか、お前は本当に泣き虫だな。呆れを含んだ、それでも優しい声色に僕は救われて、それ以上は何も言わずに傍にいてくれる彼に苦しいほどの“好き”と言う感情を募らせた。彼はいつも僕の左隣に腰掛けて、僕の左手に自分の右手を重ねてくれた。そう、こんな風に自分より幾分か高い体温が左手に触れて、………ん?こんな風に?
「   、っ」
弾かれたように左隣に視線を映すと、赤い髪を木漏れ日に彩られながら、その少年は瞠目する僕に笑いかけた。
「今日は泣いてないんだな」
遠い記憶、今よりずっと高い声色が僕の鼓膜を撫でた。



* * *



それから何度も夢の中で幼い彼に出会った。気が付けば僕は公園のベンチに腰掛けていて、それが夢の始まりを告げる。夢の中では気配を感じることは出来ないのか、彼はいつも不意に現れては僕を驚かせた。最初は戸惑うように呼んでいた僕の今の名を軽やかに呼んで、彼は小さな手で僕の手を握っては走り出す。幼い頃に叶わなかった全てを取り戻すように。公園の遊具や砂場、彼が鞄に詰め込んで来る玩具や本、落書き帳に色鉛筆。手を替え品を替え、彼が僕に与える目まぐるしいほどの時間。そんな中、ベンチに腰掛けて束の間の休息を味わいながら、僕は彼に一つの疑問を投げかけた。
「最初に会った時、どうして僕がゼロロだって判ったの?」
話を聞く限りでは彼は幼い頃の僕しか知らないようだった。そんな彼に成長した今の姿でゼロロとして認識されたことが、些細ながらも僕に違和感を与えていた。自分の夢の微かなズレに首を捻る僕に彼は誇らしげに告げる。
「俺、判るんだ」
「判る?」
「うん、お前が泣いてるとか笑ってるとかそう言うの。何となくだけど何処にいるかも判ったりする。多分、遠くにいても見付けられるぞ」
そう笑う彼に僕は言葉を失う。確かに彼はいつだって泣いている自分のところに飛んで来てくれた。感情を察知するレーダーを備えているんじゃないかと思ったこともある。でも、それは飽くまで例えばの話だ。
「確かに大人で驚いたし、生き別れの兄ちゃんでもいたのかとも思ったんだ。でも「ああ、ゼロロだな」って。お前のことで俺が間違う筈ないって自信あったし、実際間違ってなかったろ?」
はにかむような笑顔が眩しくて眩暈がした。幼い彼が告げた思わぬ真実に妙に気恥ずかしくさせられる。想いびとに自分を理解されてる、なんて自分に都合の良い夢を見ているだけなのかも知れないと思うのに、それ以上のものが押し寄せては胸をざわめかせた。
(ど、どうしよう、口がにやける)
咄嗟に右の手のひらで口元を覆うが、顔に熱が溜まるのは防ぎようがない。
「大丈夫か?顔赤いぞ?」
「ダ、ダイジョブデス」
「ふーん?あ、それにこんな綺麗な髪と目の色した奴、お前以外に知らないからってのもある」
「!」
向けられる無垢な視線に居たたまれなくなりながら、更なる追い討ちを食らった僕は消え入るような声で「アリガトウゴザイマス」としか言えなかった。



* * *



本当に驚いた時は声って出ないものなんだな、と僕は何処か他人事のように感心していた。
「見付けてって何だ、見付けてって」
鼓膜を撫でた低音に懐かしさすら感じる。もしかして走って来たのだろうか、彼は荒い呼吸を整えながらベンチに腰掛ける僕を見下ろした。反して僕は彼を見上げて、木漏れ日に彩られた赤い髪に目を細める。まだ朝早い時間帯の公園には僕達以外の気配はない。ただ、鳥の声と木々の揺れる音、そして彼の息遣いだけがある。彼の右手に握られたくしゃくしゃの便箋は朝方僕が眠る彼の枕元に置いたものだ。
「名前、書かなかったのに、何で」
「どれだけの付き合いになると思ってるんだ。お前の筆跡くらい判る」
彼の言葉にああ、と納得した。確かに僕も彼やもうひとりの幼馴染みの筆跡は判る。何故そんな初歩的なことに気付かなかったんだろうか。便箋にはただ一言「見付けて」とだけ書いた。メッセージを残したのが僕だと知った上で彼が捜しに来てくれる保証はなかったし、悪戯だと思ってくれれば彼を煩わせることもない。そんなことを考えていたら名前を書く前に筆が止まってしまった。多分、怖かったんだ。
「それで?」
「え?」
「え、じゃないだろ。こんなことした理由を聞いてる。隠れん坊のつもりなら範囲を指定しろ、フェアじゃない」
不機嫌そうに眉を顰めて、彼は僕の左隣に腰を下ろした。幼い頃と同じように、夢の中の幼い彼と同じように。
「それは、えっと、ごめん」
勿論、隠れん坊のつもりはなかった。けれど、よくよく考えてみれば似たようなものかも知れない。捜す相手の名前も場所の範囲も示されていない、鬼ばかりが不利な条件の隠れん坊。「見付けて」とメッセージを残した癖に見付けて貰う気がないと言わんばかりだな、と今更ながらに苦笑する。
「確かめてみたかったんだ」
「何をだ」
「君が、僕を見付けられるかどうかを」
感情を察知するとか、成長した僕を僕自身だと見抜くとかよりも単純で判り易いと思った。「多分、遠くにいても見付けられるぞ」と夢の中で幼い彼が言ったことが本当かどうかを確かれば、自分に都合のいい夢を見てるのか否かがはっきりする。都合のいい夢なら、これ以上想いが膨らむ前に判らせて欲しかった。
「何でここだって判ったの?」
「前に偵察も兼ねてふたりでここ周辺を見回っただろう。その時、お前が「昔、よく遊び場にしてた公園に似てるね」って懐かしそうにこの公園を見てたのを思い出したんだ」
「…ごめん、覚えてない…かも」
ここ周辺を偵察がてら見回りをしたことは覚えているが、発言に関しては記憶がなかった。改めて公園を見渡すとけして広くないそこは、確かにあの公園に似ている。
「お前のことだ、指定をしてなくても俺と行ったことのある範囲内にいると思った。それで不意に思い出したここに来てみれば当たりって訳だ。判ったか」
「っ、い」
不意に彼の左手が眼前に迫ったかと思うと、思い切り鼻を摘まれる。その痛みに肩がびくついた。
「お前のおかげで今日は素晴らしく目覚め良かった。ありがとうな?」
にこーっと普段からは想像出来ないくらい爽やかで軽快な笑みを浮かべる彼に僕はとてつもなく申し訳ない気持ちにさせられた。ごめんなひゃいもうしまひぇん、と僕の間抜けな謝罪に彼は何処か満足げに笑うと、鼻から左手を離すと同時にベンチから立ち上がる。そして、子供が悪戯に成功した時みたいな笑顔を僕に向けて誇らしげに告げたのだ。

「俺はお前が何処にいようと見付けられるんだよ、ばーか」



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