text | ナノ



それは雨の降る夜だったように思う。今となっては曖昧な記憶となってしまったが、きっと、雨が降る夜だった。
彼は笑っていた。嘲笑とも取れるが、確かに彼は笑っていて、わたしも笑っていた。幸せだったのだろう。少なくとも、わたしは。彼は、ただただ笑うだけだった。わたしが一世一代の告白をしたときも、付き合っていたときも、何から何まで笑うだけだった。やっぱり嘲笑だっただろうか。そんなの、今更確かめようもない。彼は浴槽に浮かぶ気泡よりも哀れに消えてしまった。

「ねえ、リドル」
「なんだい?」

床に投げ捨てられた黒い日記が、地上から僅かに降り注ぐ光明に反射して輝いている。その傍には横たわる少女と少年の姿があった。生気の無い青白い顔には見覚えがあったが、彼らを哀れとは思わない。今こうして形骸化しても尚自分の存在を確かめようとする彼のほうが、よっぽど哀れというものだ。
彼は結局、笑うだけなのである。人を殺める時も、何もかも、全て。笑うことで彼は人を拒絶し、それと同時に人に受け入れて欲しいと願っている。矛盾。その矛盾を抱いて、私は彼に笑い返した。

「貴方って、笑ったことあるの?」
「…笑っているだろう?」

それで笑っているつもりなの? 貴方って可哀想な人ですね。

そう口に出せば、彼は顔を歪めた。リドルの似非笑い以外の表情は、これが初めてだった。
だがさしたる事ではない。あと三秒で彼は消え失せる。

一瞬だけ、貴方が本当に笑っているように見えました。それは錯覚でしょうか、それとも。でももうどちらでも良いのです。だって貴方はもう、いない。ああ、最後に聞いておけば良かった。貴方は私を、ほんの少しでいい、上に上り詰めるための道具としてではなく、ただ一人の女として、なまえ・みょうじとして見たことがったのかどうか…。


彼は、ただただ笑うだけだった。わたしが一世一代の告白をしたときも、付き合っていたときも、何から何まで笑うだけだった。やっぱり嘲笑だっただろうか。そんなの、今更確かめようもない。彼は浴槽に浮かぶ気泡よりも哀れに消えてしまった。






110922 修正
「#エロ」のBL小説を読む
BL小説 BLove
- ナノ -