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いつから人間は、進化していく過程の中で、子を成すことに愛を感じ始めたのだろう。子孫を残すためだけに性交は存在するというのに、人間はそれに愛を感じる。果たしてそれらは進化に必要だったのか。切り捨てるべきものではなかったのか。
そんなことを悶々を考え続ける中学生なんて中二病も甚だしいが、気になるものは気になるし、一度疑問を持つと答えを得たくて仕方が無くなるのがあたしの性である。そしてあたしが答えを得るために使う手段は、大抵、かの風紀委員長に率直に尋ねるという他人から見れば無謀極まりない手段であった。



「恭弥、ねえ恭弥」

眠そうに頬杖をついていた恭弥のYシャツの袖を掴み、優しく揺さぶる。教訓その壱、寝起きの恭弥に対して強気で接してはいけない。肉食動物の本能を刺激してしまうからである。因みにこの教訓は随分前に得たもので、あの時の思い切りトンファーで殴られた衝撃と痛みは今でも身に沁み付いている。
ともあれ、彼はあたしに対して他の人間に比べれば遥かに優しく接してくれていると思う。しかしそれは曖昧なラインの内側に「今は立てている」というだけで、実際のところ、あたしさえも彼の捕食対象にいくらでも成り得るのだ。それは不変のものであり、不変でなくてはならないものであった。変わってしまえば、あたしはこのままではいられなくなるだろう。そんなの真っ平ごめんだ。
目を擦りながら恭弥が視線を寄越した。暫し、無言の圧力。然しあたしが何も言わないのに観念したのか(ただ単に興味がないのかもしれないが)恭弥は諦めた。あたしが無言イコール紅茶をください、だ。実のところ、恭弥の淹れる紅茶(あたしのお気に入りは天下のアッサムである)はとても美味しい。

「…仕方ないな」
「どうもスミマセン」

溜め息をつきつつも小さな台所へ向かう恭弥の後姿が愛しい。時折一線を越えた感情が沸き上がってくるのだが、今のところそれを表に出したことは一度もないだろう。ばれてしまわないようにと精々祈るとする。
しかしそんなことを思ったところで、こんな光景は日常茶飯事で、何ら不思議なものではないのだ。彼が私に対して持っている感情は決して特別なものではない。であるからして、私が「彼にばれないように」と思うことは、言ってしまえば自意識過剰で、ばれたところで彼の心は揺らがないだろう。
はた、と気づく。曖昧であるはずなのに、もうあたしにとって恭弥の存在は、失ったときのことを考えるととても悲しくなってしまうものなのだ。


「どうぞ」

暫しぼんやりと物思いに耽っていたが、恭弥の声と紅茶の香りで意識を取り戻す。相も変わらず美味しそうな紅茶の臭いに鼻腔がひくついた。
しかめっ面の恭弥を尻目に、机に置かれたカップへと手を伸ばす。が、恭弥が突如静止をかけた。

「…なにさー、恭弥」
「先に、話してよ」
「何を?」
「知らないよ、そんなこと」

この問答も何度目だろうか。どうしてばれるのかなあ、と落胆を隠すことなく溜め息をつく。
彼はずるいのだ。あたしのことをあたし以上に理解している。だから、言い訳も、隠し事も、嘘も、何もあたしはできない。無力感がどっと押し寄せてくるが、それももう今更である。あたしはもう一度溜め息を吐いた。

「…大したことじゃないんだけど、どうして人は人を愛すのかなあ、って」
「………それを僕に聞くの?」
「いやいや、言えって言ったの誰。あーもう、だから言いたくなかったのに」

迷うことなく今度こそカップに手を伸ばし、熱々の紅茶を一口飲んだ。喉が焼ける感覚がした。美味しいが、熱い。
分かっている筈だった。淹れたての紅茶なんだから熱々なことも、恭弥はあたしを知り尽くしていて、あたしが何を考えているのかなんて全部分かっていることも。全部全部分かっている。だがあたしは、恭弥の前では平常のあたしでいられない。そうさせたのは誰でもない、あたし自身である。だからこそ余計に自己嫌悪に陥ってしまう。いい加減、恭弥以外を見てもいい筈だ。恭弥だけを世界にするつもりか、と。
恭弥が再び溜め息をついた。何の溜め息なのだろう。彼は様々な感情を抱えているため、想像もつかない。いや、そうではない。あたしは彼のことを、何も知らないのだ。何一つ、教えてもらおうともしていない。
恭弥はあたしを見ていてくれている、それに対して必死で逃げ続けているあたし。その構図を想像して、胸が苦しくなった。自業自得といわれれば終わりだが、それさえも不変なのだろう。


「例えばね、なまえ」
「…うん」
「もし人間が、理性を持たないただの獣だったなら。きっと生殖は本能だけで行うもので、そこに愛も感情も、理論も何も無い。子孫を残すための、ただの行為だ」
「うん」
「でもね、なまえ。人間は言葉を覚え思考し、理性を手に入れた。その瞬間から、人は生殖がどんなものなのか、各々の価値観に基づいて考えるようになった。それが聖なるものだと言う者も、恥ずかしい事だと言う者もいるだろう」

ずらずらと言葉を並べられ、心の内で唸る。実際には声に出さないでおき、取り敢えず分かったふりをしておく。だがそれすらも分かっていたようで、恭弥は「全てを分かろうとしなくていい」と付け足した。
そういう問題なのかと思わずにはいられないが、あたしは大人しく頷いた。


「生殖イコール…その先に何を見出すかは人それぞれだ。でも、恥じを越えてでもそうしたいと思ったなら、そこには本能以外のものが宿る。その中の一つが、愛ってやつなのかもしれないね。…興味ないけど」
「…ふうん」
「分かった?」
「あい」

あたしは頷いて、もう一度アッサムティーを口に含んだ。少しばかり温くなった紅茶の味が体中に浸透していく。
あたしは、彼を愛しているのだろう。あたしは本能で彼とともにいるわけではない。
充足感を得て、あたしはひっそりと笑った。

その返答で十分だよ、恭弥。喩え何時か別れの日が来るのだとしても

その言葉は、死ぬまであたしの口から出る事はないだろう。だがそれでいいのだ。あたしが彼を愛しているのは、彼との永遠の別れがどうしようもなく怖い、そんな身勝手な理由なのであるから。






110922 修正
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