言葉の温度






自分のどこが嫌いかと問われれば、俺は手だと答えるだろう。
この世界に来て、初めてそう思う様になった。








ひたりと、窓に預けた手。
右から左、また右へと動かしてみる。
そうして今度は窓を握る様にぎゅっと指を小さく折った。

「酷い雨ッスね」

グローブの下で鈍く走った痛みに、いい加減うんざりしてしまう。
窓に映った不愉快そうな自分の姿を見たくなくて、代わりに流れていく水滴を目で追った。
勢いが良くって、ずっと追っていたら変に酔いそうだ。

「流石に、これじゃあ午後の見周りには行けそうもないな」

「そうッスかぁ・・・」

「なんだ、行きたかったのか?」

流れる水ばかりの窓越しの視界に飛び込んだ黄色が見え、小さく笑うと後ろを振り返った。

「そりゃあだってあちこち見て回れるッスから」

「お前は明日からセシル達と偵察に向かうんだろう?
体力の温存だと思えば良い」

ぬっと伸びてきた手が、前髪に滑り込みそのままくしゃくしゃと頭を撫でる。
俺は、これが嫌いじゃない。

「クラウドの手、冷たいッスね」

「そうか」

あまり口数の多くない彼だけど、その細められる目がとても優しくて。
言いたい事とか、何となく伝わる。
人と向き合った時、纏う空気がちゃんと優しくなるっていうのはクラウドの良いところだと思う。
頭に置かれたクラウドの手に、そっと自分の手を重ねてみると頭皮で感じるよりもずっとその手が冷えている事がグローブ越しでもわかる。
色が白くてどことなく華奢なイメージがあるけれど、触れるクラウドの手はちゃんと男のもので。
ごつごつとした指は、あの大きな剣を握るにはきっと相応しいんだろう。
重ねたままだった手を掴み、頭から下ろすとペタンとそのままクラウドの手の平に自分の手を当てた。

「羨ましいッス」

良いな、良いな。

「俺、この手になりたい」

俺がこんな手だったら、きっと嫌いに思わなくて済んだかもしれない。

「いっぱい、苦労してきた手は羨ましいッス」

グローブの上からでもわかる、自分よりも大きな手。
剣を握り戦った、色んな事を知っている手。
俺とは違う手。

みんなと違う俺の手。

生きる為に、戦い抜いた手をみんなは持っている。
ふと、そんな事に気付いて自分の手をじっくり眺めた時、凄く嫌な気持ちになった。
俺がこの手に与えた苦労なんて、精々一人での生活の中、家事で荒れさせたりブリッツで出来た豆作ったり。
これが所謂苦労知らずの手なのかと思うと、無性に憎たらしくなった。
だって、女の子のティナでさえ薄らと残る傷を沢山付けていて皮膚も少し厚くなっていたんだ。
初めて見た時の息を飲む様な驚きは忘れられない。
そうしたら、色々気になって。
自分と違うみんなの手に、とても悲しくなった。

あの小さなオニオンでさえ、体には到底似つかわしくない傷をその手に持っていたのを見た時なんて特に。

生きてきた世界が違うんだから良いじゃないか。
なんて、到底思えなかった。

だから、嫌になった。
凄く凄く、嫌になった。
本当はあの大きく硬いボールを片手で掴めるのが自慢で、誇らしいとさえ思った手なのに。
今ではなんで此処にくっ付いているのかと、文句を言いたくなる。
手を相手に、馬鹿らしいけど。

「この手が、好きッス」

後、何度剣を握れば俺も同じ様な手になるんだろうか。
俺もいつか、クラウドの様にこの手に沢山の経験を与えていけるんだろうか。

でもそれって、凄く終わりが見えない。

「俺も」

合わせたままだった手をクラウドが少し横にずらすと、そのまま指を折り絡めるように俺の手を握った。

「お前の手が好きだ」

「俺の手?」

頷いたクラウドが、手を握ったまま俺の横に来るとそのまま壁へと少し体を預け窓の方へと視線を動かした。

「お前は、此処に来る前の事をほとんど覚えていないと言ったが・・・。
覚えていないだけで、何かしらこの手に沢山のものを刻んできた筈だ」

「・・・それは、・・」

本当にそうだろうか。
ザナルカンドの記憶も朧気で、でもザナルカンドとか違う別のどこかの記憶も少しだけあって。
そんな曖昧な記憶の集合体でも、俺がこの手に残してきた物があるというのだろうか。

「思い出せなくとも、今お前がこの手に刻んでいるものは確かに残る」

窓から視線を外したクラウドが、小さく笑った。

「例えば、グローブの下の潰れた豆とか、な」

「えっ」

驚いて握られた手に思わず力を入れてしまった。

「あ・・・いや、」

何で知っている。

「え?」

「ティーダの事なら、何でもわかる」

そう言って笑ったクラウドに、カッと顔が熱くなった。
見える怪我はどうしようもないけど、この手の豆だけは決して誰にも言わなかったのに。
どうして知っているんだ。

この手が嫌で、少しでも一人前の皆と同じ手になりたくて。
そう思ったから、皆のいない処で必死に鍛錬に励んだ。
時間があれば、愛剣を抱え宿をこっそり抜け出してみたり。
血が滲んで皮が剥けて、豆だらけになったりもした。
ポーションや、回復魔法を掛けてもらえばすぐに治るんだろうけど。
だけど、それじゃあ駄目な様な気がして。
俺の頑張った証だって、自分で勝手に決めてて。
潰れて、新しい皮が出来てそうしてまた強くなっていくのがちょっとした成長の過程で。

一人だけの秘密だったのに。
どうして知っているんだ。

「お、俺・・・いや違うくて!」

肩を震わせて笑い始めたクラウドに、俺は羞恥で顔を覆いたくなった。
あぁもう、そんなところまで気付かなくて良いのに。
なんでそう勘が鋭いんだ、これじゃあこっそりやっていた意味がないじゃないか。
隠していた日記とか落書きが見付かった様な気分で何とも居たたまれない。

「ちょっと!笑い過ぎッス!」

相も変わらず笑い続けるクラウドに、繋いだ手をぶんぶんと振って抗議してみるけれど
あまり目立った効果は見られない。
こんな風に笑うクラウドはとても珍しいけど、今はそれどころじゃなくて。
とりあえず口止めをしようかと考えた時、クラウドが握っていた手を引いた。

「いつも手を隠していただろう。
最初の頃はそうでもなかったのに、最近じゃグローブを外しているところも見ない」

ぐっと引き寄せられたクラウドとの距離があまりにも近くてたじろいでしまう。
それに俺達の体の間にある手を慈しむ様な眼差しで見られると、顔だけでなく体の内側まで熱くなりそうだ。

「目に見えるものだけが、その人間の生き様を表すものじゃないぞティーダ」

絡まったクラウドの親指が、俺の人差し指の側面をゆっくり撫でる。
その労わる様な擦り方に、まるで「大丈夫」だと言われている様できゅっと胸のあたりが縮む感じがする。
俺の大嫌いな手なのに。
それを好きだと言ってくれる。

「ティーダだけしか持っていない、ティーダだけの手だからな。
大事にしてやると良い、これから沢山の事をお前に教えてくれる手だ」

じわじわと多幸感が繋いだ手から訪れる。
不思議な感じだ。
何度剣を振り回しても、豆が潰れてもこんな気持ちにはならなかったのに。


(好きだって、俺の手が)


ブリッツをやっていた頃の、自慢だと思えた時のように。
いつか、俺も自分の手をもう一度好きになれるかな。


(嬉しいんだ、俺)


今はまだ凄く嫌いだけれど、クラウド一人でも好きで居続けてくれるなら。
ちょっとくらい、頑張ったなってこの豆だらけの手を褒めてやるのも、もしかしたら悪くないのかもしれない。


(俺だけの手)


いつかグローブを取り去って、胸を張ってこれが俺の手だと言えたら。
その時は、腹立たしさも悔しさもきっと全部なくなりそうな気がした。


「じゃあまずは明日に備えて、その手が剣を落とさないよう治療をするぞ」

「あ、うん」


そう言って歩き出したクラウドに、繋いだままのだった手を引っ張られた。


(なんッスかね、ほかほかする)


あれだけ冷たかったクラウドの手が何時の間にか暖かくなっていて。
確かに変わる事もあるのだと思うと、妬ましさや悔しさがじんわりと溶けていく気がした。





自分のどこが嫌いかと問われれば、俺は手だと答えるだろう。
ただ、この先好きになれるかもしれないと付け足して。

この世界に来て、初めてそう思える様になった。





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君が言うから。



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