主導権はどちらに
「起きろ、妙案が浮かんだ」
バサリ、と音がしたと思うと足許からひやりと寒気が這い上がって来た。
何事かと思い、まだ寝ていたいと訴える瞼を片方、のっそりと開ければ体に掛けていたはずの布がなくなっている。
「・・・ぁ・・?」
何だ、と思った瞬間。
胸倉を掴まれ、物凄い力でベッドに沈んでいた体を引っ張り上げられた。
がくんと、首が揺れる衝撃に流石に両目が開く。
ぼんやりとした視界には薄暗い室内が。
首を捻ってベッド横の窓を見てみるが、カーテンの隙間から見えるのは室内と同じ様にまだ薄暗い空。
一体なにが起きたのか。
どっぷりと安眠に浸っていた脳みそではそれ以上を考える事は難しい。
ぼりぼりと頭を掻いて大きく欠伸をすると、頭の上から聞きなれた、でも聞きたくない鼻を鳴らす音が聞こえた。
「起きろと言うておるだろう、いつまでも寝汚い奴め」
顔を上げれば腕を組み冷たい視線で見下ろす皇帝様の姿が。
出来れば寝起き一番では見たくない顔だ。
「・・・・おやすみ」
床に落ちていた掛け布を拾い上げ、もう一度夢の中へ飛び込もうと決めた。
何が悲しくてこんな夜も明けない内に叩き起こされなければならないのか。
エプロンでも付けて「貴方起きて、朝よ」とかさ、可愛い恋人だとか奥さんとかに起こされるならまだしも。
拾い上げた布を足に掛け、さて転がろうと体を倒しかけたところでまた掛け布を素早く引っ手繰られた。
「起きろと言うたであろう、何故また寝る。
わざわざ私が足を運んできてやったというのに、その態度は些か無礼というものではないか」
暗い室内でもわかる程、皇帝様の顔は一気に不機嫌に歪んでいく。
「・・・勝手に人の部屋に来といて無礼もクソもないっつーか・・・」
もう本当にね、勘弁してくれないか。
年寄りの朝は早いっていうけど、幾らなんでも早過ぎだ。
健康な若者の俺はまだまだ成長期で、睡眠大事なの。
つーかこれ立派な安眠妨害だし。
「黙れ、私が来たい時に来て何が悪いのだ」
「・・・いや・・悪いッス」
「いい加減、私の足音と気配にくらい気付け。
そうして茶を出すくらいの配慮を身に付けろ」
なんだそれ。
どこの小姑だアンタは。
皇帝様の言葉に頬がヒクつくが、我慢。
俺ってば大人。
「ちなみに茶は茶でも紅茶だ。
私はハロッズが好きだ、覚えておけ」
いらない情報だ。
頼んでもないし、興味もない。
無駄に容量取れないんだから、真っ先に記憶から抹消してやる。
ふふん、と笑う皇帝様を尻目にそう決め込んだ。
「・・・で、何なんスか?
まだ朝にもなってないのに・・」
「妙案が浮かんだのだ。
まずお前に教えてやろうと思うてな、感謝するが良い」
あぁ・・・俺ってば凄く良い夢を見ていた途中だったのに。
真っ青な海に囲まれたビサイドで、あの子が迎えてくれる。
ザナルカンドじゃなかったけど、別にそれは良い。
あの子が待っていてくれる場所なら何処だって。
浜辺で大きく手を振って、かけ寄って。
「待ってたよ」なんて、声が震えててさ。
腕なんか回して抱き締めたらふわふわって柔らかくて、細くて。
髪に顔埋めたらすげー良い匂いもした。
ぎゅって俺にしがみ付いてくる力加減だってちょうど良くて。
もうね、このままいろんな事しちゃおうかなとか思ったりしたんだ。
流石にいきなりがっつくのは男としてみっともないから、まずは顔を近付けて額くっつけて。
そのままさり気無く唇に重ねちゃおうかな、なんてね。
まぁ、皇帝様に叩き起こされてその先は儚く散ったんだけど。
下心全開で紳士っぶってたのがバレたのかと思って焦ったね、本当。
「聞いているのか」
「いや、全然」
邪魔しないでくれ。
俺はあの子の可愛い顔思い出すのに必死なんだ。
アンタが邪魔してくれたから、あの続きは自分の想像力と妄想力を掻き集めて見ないといけないのに。
頑張れ俺、きっと出来る。
「貴様、頭も悪いのにとうとう耳まで悪くなったのか」
なんていうか、皇帝様の憐れむ様な顔は初めて見たわけだけど。
凄くムカつく顔だぞそれ。
「単に聞いてなかっただけッスよ。
後、頭悪いは余計ッス」
「ふん、本当の事ではないか」
「・・・俺アンタと話してるとすげー疲れるッス」
「体力だけが取り柄の分際で何をほざくか。
・・仕方あるまい、もう一度話してやるから有り難く思え」
どこまでも高圧的な物言いしか出来ないらしい。
このまま話し込めば俺、10年は一気に老け込む自信がある。
「良いか、今まではあ奴等の行動を待って動いていたが・・・、」
話しながらキョロキョロと辺りを見渡していた皇帝様が、テーブルの横にあった椅子に手を伸ばしガコガコと音を立てながら引き摺って来た。
どうやら本当に話しを始める気らしい。
俺の意見は無視ですか、そうですか。
「それこそが奴等の思うツボなのだ。
逆に此方から仕掛けるとしても、」
「あ、それ・・・」
「待て、黙って最後まで聞かぬか」
違う、そうじゃなくて。
その椅子。
「此方から動いたとしても、粗方手の内は知られてお、る、ぅだっ―!」
ドンっと皇帝様が椅子に腰を下ろした瞬間、何ていうか座りながら床に吸い込まれた。
正しくは、転がり落ちたんだけど。
「あぁ・・・俺の椅子が・・・」
だから止めようと思ったのに。
何やってんだよアンタ。
ベッドの上で胡坐を掻いたまま見下ろせば、床に転がりピクリとも動かない皇帝様の無残な姿が映る。
主に尻の部分が。
凄く格好悪い、俺だったら羞恥で死ねるねその体勢。
「き・・・貴様、謀ったか・・・」
「アンタ少しは人の話し聞いた方が良いッス」
のそのそと起き上がる皇帝様の顎が少し赤くなってるけど、見ない振りくらいはしてやらないと。
「それ少し前に俺が蹴って脚折っちまったんスよ。
だから座んない方が良いって教えてやろうと思ったのに、アンタ人の話し聞かないから」
「くっ・・何故脚の折れた椅子など置いておくのだ!
この阿呆め!」
そう言ってゲシゲシと椅子を蹴り出した。
酷い、それ俺の椅子なのに。
元々俺が壊していた前脚一本に加えて、皇帝様が蹴飛ばした所為で無事だった後脚も一本折れていた。
(もうこれ修復無理じゃないッスか?)
ただの残骸に成り果てた椅子を眺めていると、無性に悲しくなりそうして腹が立ってきた。
腹の辺りっていうか胃の辺りっていうか、その辺からムズムズって。
「ていうかさ、アンタ何でいっつも俺に構って来るんスか?
俺別に頼んだ覚えないッスけど」
勝手に部屋に入ってきて、安眠妨害して。
挙げ句俺の椅子までぶっ壊して責任転嫁。
ついでに罵声の嵐だなんて、頭にくるっつーの。
「いっつも言ってるけどさぁ、そんなに俺にゴチャゴチャ文句あんなら他行けよ。
アルティミシアとかエクスデスとか、もっと要領よくて使える奴なんか幾らでもいるじゃないッスか」
今までの罵詈雑言や扱いを思い出すと腹立たしさが増幅しそうだ。
大体、俺は皇帝様に従ったつもりなんてないんだ。
あっちが勝手やってるだけで、妥協してやってんのはむしろ俺の方だってのに。
「勝手ばっかしてさ、」
じわじわと広がる皇帝様への不満。
よくもまぁ、ここまで我慢出来た自分が凄いと思う。
我慢強い性格でも気が長い方でもないのに、なんで良い様に使われてたんだか。
今までぶつぶつと文句は言った事はあったけど、こんな風に一方的に不満を言ったのはこれが初めてだ。
寝起きの悪さも手伝ってか、声にも棘があるって自分でわかってるけど別に悪いなんて思わない。
(馬鹿らし・・・)
ふーっと、怒りを紛らわす代わりに長く息を吐き出した。
1言ったら10も100も返してくるような面倒臭い男だ。
とりあえず、この後また口喧しく罵声が飛んでくるだろうから覚悟はしておかないと。
さぁ来い、今の俺は負ける気しないッスよ。
そう構えて待ってみるが、室内は静まり返ったまま。
そろりと、目を皇帝様の方へ向ければ転がった椅子に足を乗せたままピクリとも動かない。
「・・・何とか言ったらどうッスか」
だんまりなんて、そんなの許さない。
せめて、一言ごめんと言ってくれれば俺だってこんなに不満は募らなかったんだ。
もしかすると、皇帝様逆切れするかもしれないけど。
その時は俺だって手加減なんてしてやるもんか。
黙る皇帝様の横顔をジっと見つめ、一人心の中でそう追い打ちをかけていると椅子を踏んでいた足が下ろされた。
「私が・・・・私が、貴様をぞんざいに扱うからか」
ぽつりと、呟いた皇帝様の声はいつもみたいな高慢さを含んでいない。
それどころか、何だか弱っちくさえ聞こえる。
ていうか、ぞんざいに扱ってるって自覚あったのかアンタ。
「そうッスね、それもあるッスよ」
優しくされたい訳じゃないけど。
むしろ優しい皇帝様とかちょっと気持ち悪い、無理。
「・・・私は、こういう性分なのだ。
最早、変えようもなければ変えるつもりもない」
「はぁ・・・」
「使えるものは使う、私は私の理念を通す為にあらゆるものを駆使しているに過ぎない。
所詮、人間など一枚皮を剥げば皆同じなのだ。
腹底では謀事を目論み、隙あらば寝首を掻こうという人間ばかり。
此処に居る者共も同じだ、何も変わらん」
椅子を見下ろす皇帝様の目が、静かに曇っていく。
それがあまりにも悲しそうで。
不覚にも、言い過ぎたのかもしれないと言う気持が湧き上がってきてしまう。
「だが、その・・・貴様は違ったのだ」
「あ?」
「私に言うであろう」
「何がッスか」
「・・・遠慮もなく、ずけずけと。
あぁでもない、こうでもない。
私が言う事にも物怖じ一つせず・・・・言いたい放題」
「・・・・そりゃあだって、言いたい事は言わないと。
アンタ好き勝手やるッスからね」
「ほれ、それだ」
少し嫌そうに目を細めた皇帝様が俺の方へと顔を向けた。
「私の周りには貴様のように能天気で頭も口も悪く、謀計とは無縁の者など居らん。
気を、何と言うか・・・・揉まなくて良いと、思えると、つい・・・言い過ぎる」
そう言ってとうとう口を噤んでしまった皇帝様に、首を捻った。
大概失礼な事言われた気がするけど。
つまり、それって。
「俺と一緒に居たら安心するんスか?」
「馬鹿め!勘違いをするな!
誰が貴様などと居て安心など―」
「違うんスか?」
カっと目を開いて反論してくるけどさ。
なんかちっとも迫力ないや。
「そーッスか」
「ま、待て!」
掛け布は諦めてそのままベッドに転がろうとしたが、皇帝様の思ったより大きな声で俺は動きを止めた。
「・・・・っ、わ・・悪かっ、た」
歯切れの悪い、だが確かに聞えた謝罪の言葉。
今日まで皇帝様と話してきて初めて聞いた。
どんなに文句言ったって絶対そんな事言わないヤツだったのに。
「言い過ぎた・・・否は、認めよう・・・」
小さくなる語尾に気まずいのか、ふいっと皇帝様が顔を逸らしてしまった。
部屋が暗いけど、見間違いでなければこれは驚きだ。
あの皇帝様が、あの皇帝様がだ。
ほんのりと頬を染めてる。
デカイ図体してそれは気持ち悪いったらないんだけどさ、でもでも。
(なんだよ、ちゃんと言えるんじゃないッスか)
不器用な人なんだと思ったら、凄く腹立たしかったのに、なんかもうどうでも良くなってくる。
それよりも、皇帝様の意外な一面になんだか嬉しくなっちゃって。
「仕方ないッスね、全く皇帝様は」
よいしょっと声を出してベッドから降りると、グっと背伸びをする。
「しょーがないッスから、許してやるッス」
「む・・・・・」
「今回だけッスよ」
なんだ、そうか。
口が悪いのも、自分勝手なのも。
全部全部。
(結構好かれてたんッスかね俺)
単純に駒として扱われていなかった事に、嬉しいと思ってるのはちょっと秘密にしておこう。
「とりあえずさ、さっき言ってた妙案ってやつ、もう一回話してくれッスよ」
「・・・ふん、煩わせおって。
次はないと思え」
「アンタもな」
「・・・・」
「後、新しい椅子用意してくれよ。
それで全部許してやるッス」
面倒な男だと思ってたけど、思わぬ一面にちょっと楽しくなってきた。
今までは俺ばかりが言う事聞いてたけど、俺も我儘とか言えば意外と聞いてくれるのかもしれない。
そんな事を考えていると、くるりと背を向けた皇帝様が咳払いを一つした。
「・・・・ならば着いて来い、好きなのを・・・くれてやる」
嬉しそうな声に聞こえたんだけど。
今顔覗き込んだら怒るかな。
先を歩く皇帝様の後ろを追いかけながら、そんな事を考えた。
高慢で我儘で高飛車で、救いようのない自信家でおまけに嗜虐的な皇帝様。
でも案外、主導権握ってるのは俺なのかもしれない。
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実は構ってもらって嬉しいんです。
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