temptation
「ねぇ、不思議だと思いません?」
おかしな声音だと思う。
自分が知っているこの男の声音というものは、もっと違ったはず。
甲高く、耳障りで、キンキンと後頭部が痛くなる程に響く。
大人の声なのに、子供の様なそんな声だった。
「私、不思議で仕方ないんですよ」
続けて発せられた声も、やはりどこか別人の様だ。
静かで、耳に浸透する。
まるで、波の音や雨音でも聞いている様な錯覚さえ覚えてしまいそうで。
会う度、聞く度、穏やかになっていく気さえした。
「不思議なのは、アンタの方ッスよ」
「私ですか?」
「そう、アンタ」
「私ですかぁ」
はぁ、そうなんですか。
と続いた言葉に、最早どう反応を返して良いのかわからず目を逸らすと、宙を泳ぐ幻光虫に視線を移した。
おかしいと思う。
いや、隣に座する道化もそうだけどこの関係が。
始まりは、記憶の片隅にも残らない程昔ではないけれど、それでも少し遠くの事だ。
最近では懐かしさを覚える様になってきたもんだから、ちょっと困っている。
夢の終わりと呼ばれた最果ての場所で二人。
特に何をする訳でもなく。
崖っぷちに腰掛け、ぶらぶらと足を放り出して、ただ互いの瞳に映る世界だけを見た。
俺にとって、夢の終わるこの場所は唯一の繋がりを確かめられる愛しい処でもあり、そうして一際憎い処でもあった。
だから俺は仲間の誰とも、此処に足を運ぶ事を拒んだ。
元々、仲間内では宙を泳ぐ得体の知れない虫を警戒して、此処に近付きたがらない者も多い。
それは俺にとって、とても都合が良かった。
夢を失くすこの場所に、もう誰かと行く事はしたくない。
始まりでもあり、終わりを迎えるこの場所になんか。
だから俺が此処に来る時はいつも一人だった。
特に何をする訳でもないんだけれど。
そんな時、何処から迷い込んだのかひょっこりと顔を出したのが隣の道化。
本当に迷って来たのかは今になってはもう聞く機会を逃してしまって、口をついて出る事はないけど。
当たり前だが、敵対する同士だから俺は迷わず剣を向けたけど、この道化と来たら外見同様中身もふざけた男で。
両手を上げると、首を振り「戦わない」と言ったっきり。
殺すなら殺せば良いと一方的に結論を出すと、地に突き刺さる大剣の側に寝転んでしまった。
それから始まった、この奇妙な関係。
本当は殺せば良かったんだと思う。
転がる道化の派手な衣装に、剣を突き立てて。
なんて事はない、無防備な相手に剣を落とすなんてのは息をするのと等しい程簡単だ。
だけど剣を振り翳した俺に、あろうことか道化は「どうぞ、ご自由に」と吐き捨てた。
漫然とした表情で俺を見つめる道化に、そんな意欲は散り散りに消え去ってしまって。
それから、何かしら此処へ足を運ぶ度この道化と顔を合わせた。
警戒心の取れない俺とは反対に、殺意の欠片も出さない道化は俺の事なんて眼中にないようにいつも一人遠くへ視線を這わせていた。
そんな状態が何度か続けば、気が緩むというか。
一人ビクビクと警戒しているのが馬鹿らしくなり、気付けば隣に座って時々会話をする様になっていった。
「でも、やっぱり不思議なんですよ」
俺の知る限り、隣の道化はもっと狂気染みた男だったはずなんだけど。
ティナに執着し、破壊を望み、狂気と殺意に溺れるそんな哀れな男。
だけど此処にいるのは、そのどれでもない。
やれ絶望好きの男がどうだとか、年増の魔女がどうとか。
くだらない世間話を、つまらなそうにぼやく男だった。
「アンタの言葉、難しい」
多くは語らなかったけど、それでもこの奇妙な関係が俺は嫌いになれなかった。
「はぁ、まぁなんと言いますか」
気の抜けた声につられて顔を向ければ、それに気付いた道化ものっそりと白い顔を向けて来た。
「アナタがどうして生きてるのか不思議で」
「は?」
「私ねぇ、不思議で不思議で仕方ないんですよ。
命も夢も希望も、目に見える形で存在してないのにアナタは生きてる。
不思議だと思いません?」
珍しい道化の問いかけに、俺は口を噤んだ。
自分が夢の存在だという事を知られている。
血をわけた父が敵方にいるのだ、同じ幻光体として存在しているのだから何かしら知られていたとしても別段不思議ではない。
だが、あの父がそうベラベラと身の内の秘め事を口にするとは到底思えなかった。
「何で知ってるんスか?」
「はい?」
「俺が、夢だって」
「何でって、」
道化は目を丸くすると、首を傾げた。
「アナタが教えてくれたんじゃないですか」
「・・・え?」
意想外の言葉に、息がとまった。
「あれ?だってアナタ、」
パチパチと目を瞬かせていた道化が「あ、」と小さく声を出し、ペチンと自分の額を一つ叩いた。
「あらあら、これは失礼しました。
アナタだけど、アナタじゃなかったですね」
「おい、アンタ何言ってんだ」
「すいませんねぇ。つい、懐かしくて」
会話が噛み合わない上に、一人で納得してしまった道化に焦燥にも似た困惑がわきあがってくる。
「あぁ・・・こういう気持ち、何て言うんでしたかねぇ」
遠くを見つめた道化の目がどこか懐かしむ様に、優しく細まった。
その姿が、さらに俺の困惑を蟠らせていく。
「あら?」
先程とは違う、どこか剣呑とした声音にぴくりと人差し指が動いた。
「あれアナタのお仲間じゃありません?」
「え?」
道化の視線の先を見つめてみるが、深い闇夜が続くだけで俺には何も見えない。
「二人・・・いや三人ですかねぇ。
やだやだ、こんな辺鄙な処にまで嗅ぎ付けてくるなんて。
暇な奴等だこと」
本当に嫌そうに顔を歪めた道化に、あの優しかった瞳はどこにもない。
仲間が此処に向かってきているという事より、道化が不機嫌になってしまった事の方が俺には残念でならなかった。
「じゃ、私はこれで」
ふわりと立ち上がった道化が、パンパンと服の裾を払い宙に浮いた。
「ねぇ、」
「なんスか」
「・・・命とか夢とか、希望ってね、私大嫌いなんですよ」
「・・・そうッスか」
「でもね、同じくらい愛していたんです」
聞き間違えではないかと思う程、穏やかな声に思わず顔が上がった。
「愛していたんです」
だから、ね?
「生きてみたいと思いませんか?」
頭上で慈悲の笑みを張り付けた道化が、甘ったるくそう言った。
「私なら、アナタを生きた人間に出来ると思うんですよ。
そうしたら、私もこの不思議な気持のままでいなくて済む」
「・・・何言ってんだ・・・」
「ねぇ、」
遠くで、仲間の叫ぶ声が聞こえる。
あぁ、道化が言った事は本当だったのか。
「生きてみたいと思いませんか?」
二度の科白に、俺は言葉が詰まって何も言えなかった。
「時間を差し上げましょう。
次にお会いする時にでも答えを聞かせて下さい」
ほほ、っと小さく笑った道化はそれだけいうと足音も立てず身を翻した。
何を馬鹿な事を。
そんな事、出来る訳ないじゃないか。
と思う反面、その言葉は酷く甘い響きで。
「ケフカ」
道化師の言う事なんて、所詮世迷言。
わかってはいるけれど。
『生きてみたいと思いませんか?』
囁きが、焦がれて待ち望んでいたかのように自分の中に沁みわたっていく。
奇妙な関係に、意味が付いてしまった。
諦めていた先の人生に、期待という影がチラついた。
それが自分にとって、激しい苦悩を意味するものであるとわかってはいても。
甘い誘惑に、振り返らずにはいられなかった。
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道化の誘惑。
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