か者の言い分







(暑い…)


むわりと立ち込める熱気が一際大きく広がると、風の後押しを受けて顔全体をまんべんなく撫でていく。
呼吸をするタイミングが悪かったのか、吸い込んだ空気に混ざった熱風が鼻から喉にかけて粘膜を焼くように流れ落ちていった。
吸ったのは確かに空気のはずだが、ここまで熱に支配されていると煮えたぎった湯を飲まされているような感覚になる。

はぁ、と。

小さく吐き出した自分の呼気すら温度を上げる要因の一つになっているような気がして口元を手の甲で押さえると、皮膚から滲んだ汗がぬるりと唇を汚していった。


(暑い…)


もう何度目になるかわからないほどに繰り返した乾いた呟き。
口から離した手の平を広げると、皺に沿うようにキラキラと光る汗が小さな川を作っており、それを見ているとまた意味もなくその言葉を繰り返してしまいそうだった。
自分を我慢強い性格だと思ったことはないが、それでも口に出してしまったら最後、何処へ向けていいのかわからないこの不満が止めどなく溢れてしまいそうで、ぎゅっと拳を握ると文句の代わりにまたため息を一つ落とす事にした。

「あー…暑い…暑いって、マジで」

そんな俺の小さな葛藤など知りもしない隣の男が、俺以上にしつこく声に出してそれを言ってくる。
せっかく我慢しているのに、隣で暑い暑いと喚かれると苛立ちは増えるしこっちまで暑くなってくる気がして余計に腹が立つ。

「もうこれ死ぬんじゃない?
今日で何日目だよ…7日?違うか、6日だっけ?
…俺マジで限界なんスけど」

「11日目だ。
俺だって暑い、我慢しろ」

「だって仕方ないじゃん、暑いもんは暑いんだって。
ていうか11日もこんなの続いてんの?」

「マジか…」と力なく発し項垂れた隣の男、ティーダの萎れた声が熱気に溶けて霧散する。
四方に跳ね回る暑苦しい頭部から目を反らすと、ティーダとは反対に真っ白な空へと顔を向けた。


おおよそ11日前から突如として始まった気温の変化。
それまでの聖域といえば、暑くもなく寒くもなく。
夜が来れば流石に少し肌寒く感じることもあったが、概ね過ごしやすい気候であったと記憶している。
日中は白んだ世界ばかりが広がっているが、夜があるということは太陽が何処かにあるのか。
この分厚い白に埋め尽くされた景色の裏側に隠れているだけで実は存在しているのかもしれないと。
この世界に来たばかりの頃、知らない世界に飛び込んだことからそんな現実逃避をしていたことが懐かしい。
それが実は妄想でもなんでもなく、本当だったらどうしようかと思い始めたのは気候が変わった11日前。

その日、就寝時から気温の違和感はあったが翌日を迎えても俺を含めてそのことに危惧する人間はおらず、違和感が異変に転じた頃にも単にこの世界の不安定さからくる一過性のものか、もしかしたら四季のようなものが存在するのかもしれないと思う程度に誰もが楽観視していたように思う。
それが三日が過ぎ五日目に差し掛かった頃、一向に下がらない気温に流石にこれはおかしいのではと各々が口を揃えて不安を吐露し始めた時にはすでに手遅れだったのか。
伸びる入道雲のように、手に追えない速さでぐんぐんと上がる外界の温度に一過性の線は捨てざるを得なくなってしまい、残るは四季の問題となったが、そもそも年間通して気温の変化が乏しく雨期も乾期も存在しない場所に四季など在り様もないことから、こちらもまた可能性の線から除外することとなり、なんの手立てもないまま今日までを過ごす結果となってしまった。


(暑い…溶けそうだ)


原因を解明したいのは山々だが、体を蝕むほどの暑さを放置する訳にもいかず、また唯一その答えも持っている可能性のある秩序の神も気温の変化があってからは聖域に姿を現していない。
冷暖房設備などないボロ宿で毎日蒸されながらいつ来るからわからない者を待つより、今この現状を乗り切れる処置を取ろうと意見が合致したのはごく自然な流れだろう。
幸いなことに、木桶やアルミのバケツなど生活用品は腐るほどあった為、あらゆる物に水を張り魔力に余裕のある人間がそこに氷塊を作り置いていくというなんとも古臭い方法でこの暑さを凌ぐことになった。
機械で設備された施設や空調完備が当たり前にあった世界で過ごしていた身としては、一体こんなものが本当に役に立つのかと心底疑ったが、テキパキと慣れた手付きで作業を始めた仲間達を思い出すと、突っ立ったまま動けなかった俺とティーダはずいぶんと恵まれた環境下にいたんだろうと、今になってその有り難みを実感した。

「なぁ、なぁってば」

一つ、心外なことと言えばこいつと同じリアクションしか出来なかったということくらいで。

「スコールってば」

「うるさい聞こえている」

「じゃあ返事しろよ」

「暑いから喋りたくない」

「黙ってたほうがしんどいっつーの」

「なぁ、なぁ」と言って何度も服の裾を引っ張ってくるティーダに熱気の籠った息を吐くと、チラリと視線を動かした。

「氷、作れない?
俺の溶けちゃって」

へへっと何に対してなのか意味がわからない照れを口にしたティーダがはにかんだように笑い、思わずその手をむしり取った。

「無理」

「なんでだよ!
見ろよ俺の桶、もう氷なんかとっくの昔に溶けてお湯だよお湯!」

「ほらほら」と剥き出しの足を両手の指で差したティーダが力強く主張してくる。
そこには水の張られた木桶に突っ込んだ裸足の足があり、確かに氷がなくゆらゆらと揺蕩う水面が見えるだけ。
だが気温が上がってからは特別珍しい光景でもなく、宿では当たり前になりつつあるもので、なんなら今俺だって裸足で木桶に足を突っ込んでいる。
平素なら絶対にやらないと自信を持って言えるが、今は非常事態だ。
パンツの裾を膝まで捲り上げ、上着はとうの昔に着ることを止め、汗だくでなんとか涼もうとすることに最早躊躇いなどあるはずもない。

「俺だってないから我慢しろ」

「ケチ臭いこと言うなよ。
こう、パパッとさ、出せるだろ?」

「無理」

「だからなんでだよ!」

ギャンギャンと隣で喚くティーダの声が更に気温を上げているような気がして、顔を覆いたくなる。
まぁ汗まみれの自分の顔は触りたくもないし、両手で覆おうものなら熱気が籠って余計に汗をかくだけなので実行しようとは思わないが。

「頼むよぉ…後まだ半日は此処に居ないといけないんスから、氷がなかったら本当に死ぬって」

情けない声を出すティーダを普段なら鼻で笑い飛ばしてやるところだが、流石に今はそんな気など起こらない。
聖域の中とはいえ、俺達二人が居るのは宿の外であり建物の中に居ればある程度遮断されるものを直に受けているのだ。
なにが悲しくて男二人、それも互いに汗だくの状態で木桶に足まで突っ込んでこんなところに一日居ないといけないのか。

気温が上がってからというもの、長期間の探索は危険との判断により即座に中止になったが、聖域の見回りだけは止めることが出来なかった結果であることは重々承知している。
それが敵方の襲撃が聖域に及ぶことを防ぐ為という理由であることも勿論。

この異常な気温の上昇が長引くとは思っていなかった始めの頃、いつものように当番制の見回りに出たフリオニールとセシルが熱中症を引き起こしたのだ。
あんな分厚い鎧を着てこの暑さの中歩いていればそうなるだろうとは思うが、出向かないわけにもいかない。
熱中症を起こした二人より、熱された鉄板のようになった鎧で火傷をしなかったことの方に驚いたが、そんなことがあってからは見回りは聖域の中を歩かず宿の外で待機するということで話がまとまった。
本来なら一日に二組が半日交代で見回っていたものが、座っているだけだからという理由だけで一組だけに減らされ、時間も半日から一日へと変更。
仕方がないのだとわかってはいても、ただ座って聖域を眺めているだけでもこの暑さでは体力は消耗するし、今日の相方になってしまったティーダは煩くて、元々細いと自覚している神経がより心許なくなりそうだった。

誰が悪いわけでもないのに。

「スコール魔法得意だろ?なんとかならないんスか?」

諦めの悪いティーダが桶の水を足で叩いて抗議していると、パンッと軽快な音で弾かれた水滴が跳ね、地面を濡らした。

「だから無理だと言っているだろう。・・・使うのにそれなりに集中力がいるんだ、こんな暑さじゃまともに出せるわけがない」

「やってもない癖にそういうこと言う?」

「そもそも出せない奴に言われたくない」

落ちた水滴がすぅっと音もなく地面に吸い込まれていく間のほんの僅かな沈黙。
いつもならそんな間などない勢いで反論してくるはずなのに、ティーダから返ってきたのは「まぁ、そうだよねぇ」という空気の抜けた返事に、まさかの肯定というおまけ付き。
滅多にないその言いぐさに思わず横を向けば、だらしなく口を半開きにしたティーダが「そうなんだよなぁ」と繰り返し呟いていた。

「そりゃあ俺だって使えないわけじゃないけど、みんなに比べたら魔力が貧弱過ぎて話になんないだよなぁ」

俺だってやれば出来るだとか、センスは良いんだとか、やたら前向きで変な自信に満ちた科白はティーダの常套句だ。
だからこの会話もいつもと同じ、実力の伴わない口だけの返事を期待していただけにこの反応は意外ともいえた。

「練習次第でどうにでもなるってウォルはそう言ってたけど、あんまり期待出来ないっつーか」

なんの代わり映えもしない広々とした聖域に向けたティーダの目が、少しだけ細く縮まった。

「あーあ、簡単に使えたら此処全部氷まみれにしてやるのに」

「・・・別に出来ないなら無理にやる必要はないだろう。
ティナかオニオンに貰いに行けば良い」

「流石に毎日氷作ってもらってんのに言えるわけないじゃん」

俺が見ていることに気付いていないのか、どこか憂いを含んだような視線を遠くにやったまま、ティーダが日によく焼けた手で濡れた前髪をかき上げた。
たっぷりと汗を吸い、束になった黒とくすんだ金色の髪が後ろに流される。
そのうち流れきれなかった幾つかの髪が米神に掛かると、先端から細い水脈のようにじわりと汗が滲み落ちた。
それが頬を伝い、線のはっきりとした顎を過ぎると、大きく晒された首へと滑り落ちていった。

ただ汗が落ちるだけのその様。
恐らく自分も似たような状態なんだろうとは思う。
くたびれて、汗まみれで、ベタベタしていて。
それなのに、首から下へと垂れていくティーダの汗は異様なほど褐色の肌にとても眩しく見えてしまって。
滑りきった汗が襟元に吸い込まれていったその瞬間、ぶわりと暑さがぶり返した。
首から上、もっと正確に言えば鼻から上だろうか。
信じられないくらいの熱気が顔面に集中し、視界が数度ぶれた。
殴られたわけでもないのに、じんじんと疼くような痛みを伴う感覚が鼻の奥から広がり、上瞼が僅かに痙攣する。
その合間に不規則に心臓が暴れ回り、後をたたない熱の膨らみに頭が痛くなりそうだった。


(あつ、い)


先ほどより明らかに増した熱気はどこからきたのか。
まさか、この期に及んでまた気温が上がってしまったのかとも思ったが隣のティーダは特に変わりなく、口を半開きにしたまま、濁音混じりの呻き声をあげながら手で風を扇いでいる。
人一倍暑がりのティーダが何も感じていないのであれば自分だけがこの熱を感知しているのか。
だが二人で屋外に居るのに自分一人だけがそれを感じるのもおかしな話ではあるし、やはりティーダが気付かないのはもっとおかしい。
それに顔面にだけ集まる熱は、まるで発熱時のそれに酷似していて剥き出しの手足には何も感じないなんて一体どういうことなんだ。
勢いを増す熱の増幅に目眩でも起こしてしまいそうで、支えようとしたのかそれとも庇おうとしたのか無意識に顔へ伸びた手が額に当たった瞬間、指先に汗が触れたところで動きが止まった。
爪と皮膚の狭いところに温い液体がじわりと染み込む。
ゆっくりと時間を掛けて侵食していく汗につかの間、呼吸を奪われ煮えたぎる思考が鮮明になった。


(冗談だろ)


この、異常ともいっていい程の熱の集まりに一つだけ覚えがある。
だがそれは決して外で起きるものではないと、短いなりの人生で理解しているし事実起きたこともない。
そんなみっともないことなど自分は絶対にしないし、そうならないで良いように予め対策を講じた上で生活しているのだ。
絶対にそんなことが起きることはない。
そう断言出来るだけの自信があるにもかかわらず、足元がぐらつくようなこの不安はなんだろうか。
違うと思えば思うほど熱は高まる一方で、懸念している方へと思考が大きく傾いていく。
もしかして類似している事象があるのではないかと、一縷の望みを掛け思い当たる全てを頭の中で擦り合わせてみるも、弾き出される結論は違っていて欲しいと、心の何処かで願っていた不安をより濃くするだけだった。


(最悪だ…)


はっはっと、浅い呼吸を繰り返しながら目を瞑れば、鼓動がより大きく聞こえる。
自分には不釣り合いなその音から逃げるようにぎゅっと強く唇を噛み締めると、これは単なる俺の勘違いなんだと何度も何度も心の中で祈るように繰り返す。

こんな馬鹿なこと、あっていいわけがないのだから。

熱風に煽られる睫毛に恐る恐る目を開くと、灼熱の空気を大きく巻き込んだ息が口から漏れ、パリッと乾いた音を立てて唇から前歯が剥がれ落ちた。

「あっちぃなぁ…」

目の前には瞳を閉じる前と同じく、手で顔を扇ぐティーダがいる。
額に張り付く髪も、均等に焼けた肌も、首から下へと滴っていく汗も、また同じで。


(最悪・・・、)


あんなに必死に否定したものの、丸々と太った熱は何度ティーダを見ても肥えていくだけでちっともおさまらない。
誤魔化しようのないその現実を目の当たりにして、風船が勢いよく空気を噴射し萎んでいくように抗う気力が失せていく。

それはとても単純なことで、端的に分かりやすく、そして恥ずかしげもなく開けっ広げに言ってしまえば性的興奮をしてしまったということだ。

屋外で、汗だくの、それも男のティーダに。


(なんでこいつ・・・)


気だるげに汗を拭っているティーダからそっと目を反らすと、とりあえず自分の体に目立った変化がないかどうか確認してみる。
変化のあるところなど一つしかないが、目視でわかる程にどうにかなってしまっていたら居たたまれない。
一生涯の恥になることは間違いないし、これを思い出す度に男としての沽券を傷付けられていくなど自分には耐え難い現実だ。

視線を落とし、少し開いた股座を覗き込めば案じていたような著しい変化は見られず、思わず安堵してしまう。
だが、ぞわぞわとした鳥肌が立つようなむず痒いような、肌の下を無数の小さな熱が走っていく感覚はしっかりとある。
それは向かう先が決まっているもので、時間が経てば必ず目に見えるものとして主張してくるということを俺はちゃんと理解している。
勿論、理性や忍耐で克服出来る人間もいるだろうが、それを容易に操れるほど自分は大人でもない。
生理現象に逆らったところで結局は負けてしまうのだから、用を足しに行くとでも言えば不自然ではないし今はなんとか此処から去ることの方が無難だろう。
幸いなことにティーダはそれほど察しも良くなければ、今は暑さで疲弊しているのだ。
まさか隣の俺が非常事態になっているなどとは思いもしていないだろう。

とにかく落ち着いて、冷静に。

色々考えるのも落ち込むのも後回しにして、この場をやり過ごす為の的確な判断をしなければ取り返しのつかないことになってしまう。
ただでさえ暑くて思考の動きが鈍いのだ、早くなんとか行動に移さねばと、もたつく頭で考えていると、「あっ」と隣からティーダの声が上がり、やめておけばいいのに思わず顔を上げてしまった。

「わかった。
もうさ、脱いじゃえばよくない?」

「・・・・・・脱ぐ・・・」

「だって汗でびしょびしょだし、このまま着てんの気持ち悪いじゃん。
それに上だけでも裸になればちょっとはマシだと思うんスよね。
どうせ俺とスコールしか居ないんだし、見られて困るもんでもないだろ。
もう俺暑くて限界」

ペラペラと勝手に喋り倒して満足したのか「よぉし」と意気込んだティーダが早速衣服に手を掛けると、なんの躊躇もなく肩から二の腕を露出した。
その大胆かつ素早い行動力に目を奪われて初動が遅れた俺は、心底間抜けな面をしていたに違いない。
日によく焼けた肌が剥き出しになり、もう少しで脇腹が見えるというところでようやく目の前で何が起きているのか理解して、慌ててティーダの腕を掴んだ。

「・・・なんスか?」

脱衣途中の半端な姿のまま、ティーダがゆっくりとこちらに顔を向けた。
かろうじて服は引っ掛かっているが、肩から腕、元々開けていた胸元まで丸出しの状態が視界いっぱいに惜し気もなく晒され、きゅっと小さく喉が鳴る。

「だ・・・駄目だ。
脱ぐんじゃない」

「なんで」

少々食い気味にそう言ったティーダは、不思議そうに俺の手と顔を交互に見ては遅れて首を傾げていた。
止めてしまったことに疑問があるのは俺も同じではあるし、まぁ普通そうなるだろうなと思う。
暑いから服を脱ぐなんて特別おかしいことでもなければ、男所帯なこともあってか風呂上がりに裸でうろつく奴だって宿にはいるし、なんなら俺とティーダだって上半身くらいなら互いに見たことくらいはある。
じゃあなんで手を掴んでまで止めてしまったかと聞かれれば、答えに窮してしまう。

というか、言えない。
言えるわけがない。

ティーダを見て、性的に刺激されたなんて。

「別にいいだろ、俺とスコールしか居ないんだし」

「そういう問題じゃないんだ。
いいからやめろ、脱ぐな」

「じゃあどういう問題なんだよ」

口に蓋をしてしまいたい衝動の中で訝しむティーダからの追撃。
明確な理由がないと納得しない性分なのは知っているが、今回だけは黙って言うことを聞いてくれないだろうか。
説明の仕様もない状態なのを汲んで欲しいと思う反面、もしこれがバレてしまったらどうするという焦りもある。
それなのに、掴んだティーダの手から伝わる体温やベタつく汗の感触に信じられないくらい気持ちが上ずってしまい、何か早く止める手段を考えなければいけないのに、頭の中で少しずつその力が潰されていく。

「なぁ、おいって。
聞いてんの?」

下から覗き込むように体を寄せてきたティーダ。
その浮き出た鎖骨の窪みがあまりにも生々しく鮮烈過ぎて、結局纏まらなかった言葉が防衛本能のように転がり落ちた。

「日、焼け・・・」

「日焼け?」

見てはいけないのに、そこから目が反らせない。
うっすらと汗の滲む皮膚が、呼吸する度に艶かしく上下に動く。


(駄目だ、見るな)


「日焼けすると・・・その、まずいだろ」

「・・・・・・日焼けって・・・、何言ってんのお前。
元々日焼けしてんだから今更したって一緒だろ。
女の子じゃあるまいし、一々そんなこと気にしないっつーの」


(見るんじゃない)


「いや、紫外線が・・・」

「太陽なんかどこに出てんだよ。
暑いだけでなんもねーじゃん」


(見るな!)


「いいからとにかく脱ぐな!」

怒鳴るように声を荒らげると、まだ動ける理性を目一杯かき集めてティーダのずり落ちた衣服を引っ張りあげ、僅かも肌が見えないように胸ぐらを掴んだ。

「うわっ!ちょ、・・・どうしたんだって」

どうかしたかだなんて、そんなことは俺が一番聞きたい。
此処は屋外で、相手はどこからどう見ても男で、同じ年の、ティーダで。
いくら女日照りの激しい場所だといっても、それなりに一人で処理はするし頭の中に性欲だけを溜め込んで仲間の男に盛るほど愚か者でもない。
大体、ティーダだ。

どう足掻いてもそういう対象にはならない相手なのに、絶対にないはずなのに、なんでこんなにいらぬ欲を刺激されるのか。
不安そうに見上げてくる瞳が忙しなく動く度に否定していた材料が覆され、服を掴む手にいっそう力が籠った。

「なんだよ、仕方ねぇじゃん・・・暑いんだし、脱ぐくらいしか涼む方法思い付かなかったんだよ・・・」

「脱ぐな」

「でも別に、」

「脱ぐな」

「・・・わかった、わかって!
もう脱がないから怒んなってば」

片手を上げで降参したティーダが「なんなんだよ」と小さくぼやき、不貞腐れたように口を尖らせた。
年の割に子供っぽい仕草は俺の嫌いなところで、同じ年だけを生きたティーダがそれをやってしまうと俺まで同じ土俵に引っ張り込まれ子供のような扱いを受けるのだ。
それが嫌で、見かける度にやめろと再三注意していたが、今はどうしてかそんな気分になれない。
なんならちょっとだけ本当に気持ち程度だが、その仕草が可愛く見えてしまったあたりいよいよ不味い気がする。

「名案だったと思うんだけどなー」

惜しかったと言わんばかりに文句を垂れるティーダに頭の一つでも叩いてやりたいが、負けん気の強いティーダがまた突拍子もない行動に出ても非常に困る。
もうこいつのことは放っておいて早くトイレに行くべきだ。
このまま絡んでいてもきっとろくなことにはならないと判断し、とっととこの場から逃げ出そうと掴んでいたティーダの服から手を離すと同時に、熱い塊のようなものが額へと当てられた。

「うわ、お前髪びしょ濡れじゃん。
すげぇ汗かいてるッスよ」

押し当てられたそれがティーダの指だと理解するより早く、鼓動が凄まじい音を立ててうねり、全身へと広がった。

「暑苦しい頭ッスねー。
こんなに伸び散らかしてさぁ。
とりあえず結ぶとか剃るとかした方がいいんじゃないの?」

「あ、垂れてる」と言って、額から指が下がると先ほどよりもしっかりと熱を孕んだ手が雑に頬を拭った。

「つーか手拭いどこに置いたんだよ。
持ってきたんならちゃんと拭けって」

一度目は親指で、二度目は手の項で。
頬と顎に流れた汗を躊躇いもしないでティーダがさらっていく。
温度が上がってからというもの、ずっと暑くて暑くて。
気が狂いそうなほど身悶えする気温の中で与えられる他人の体温など不快でしかないはずなのに。
はね除ける隙もないくらい簡単に、自分より体温の高いティーダの手を心地好く受け入れてしまって。

触れられたところから蝋のように溶けていく熱の混ざりに、絶対的な否定も、保身も、体裁も、その全てが弾けて消散した。


(・・・もう、いいか)


飽きもせず続く暑さの中、耐え抜いたと思う。
終わりの見えない気温の上昇にも、そのせいで常に体がベタついているのも、熱気に一日中さらされる見張りも、氷が溶けて温くなった水も、ティーダの馬鹿な発言にも、その体温にも、全部我慢した。


(いいだろ)


諦めの後に残ったのは、茹だる暑さで著しく思考力が低下した頭と、制止が利かなくなった理性だけだった。

「俺の使う?
スコール潔癖っぽいから人が使ったの嫌だろうけどさ」

胸ぐらを掴まれたままであることを忘れているのかティーダが上半身を捻るとその反動で掴んでいた片方の襟が手から離れてしまい、また胸元があらわになる。

「あれ、俺のどこだっけ」

もう一度、服を引き上げてしまえば見ないで済む話ではあったが、細かく破り捨てられた理性の前ではその考えに辿り着くことも出来ず。
膨らみも、柔らかさもない、男の裸に今はただ視線を奪われて身動き一つすら取れなかった。

「さっき使ったんだけどなぁ」

もぞもぞと動くティーダがよくなかったのか、それとももう意味を成さないと俺の方が判断したのか。
いつの間にか服を掴む手からティーダが離れてしまい、あれだけ見るのを拒んだ半裸姿が視界を埋めた。
首に張り付いた濡れそぼつ金髪から汗が滲み、それが筋を伝って緩やかに胸を流れ臍へと吸い込まれていく。
少し時間を開けて、また次から次へと。

「暑っ・・・、」

頭皮から湧き出る汗が鬱陶しいのだろう、額に向かって伸ばされた手を、気付けば俺が掴んで止めていた。

「なに?手拭い探すからちょっと待っ、」

「・・・いい、必要ない」

振りほどこうとしたティーダを行かせまいと更に強い力を込めれば、驚きと困惑の中間のような微妙な顔をされた。

「いいっつったってびしょ濡れじゃん。
俺も汗拭きたいし。
あー・・・くそ、あちぃ」

半分引っ掛かったままの方の肩口でティーダが汗を拭うと、細い毛が乱雑に顔を汚す。
こいつには一生縁のない言葉だと思っていたが、振り乱れたそれがやけに大人っぽくて、じゅわりと唾液が溢れた。


(・・・触ったらまずいか)


そう、これはもしもの話しで万が一行動に移してしまったらという想像に過ぎないが、その汗をたっぷりと吸い込んだ首に齧りついたらどんな味がするんだろうかと思う。
これだけ汗をかいている人間に舌を這わせようなど正気の沙汰ではないが、仮の話しだ。

きっと塩気の強い味に温い汗が混ざっているんだろうかとか。
それともティーダ個人のなにか匂いや味がするのだろうか、とか。

別に喉が渇いているわけでもないのに、試してみたい欲求が勢いを増し、喉が小さく悲鳴をあげた。


(でもティーダなら・・・)


そうだ、ティーダなら一時の気の迷いだとか、暑さで意識が朦朧としていただとか、普通の人間なら納得しないような理由でも笑って許してくれそうな気がする。
正常な状態では思い付いても決して実行しようなどとは考えないが、育っていく欲望に汚染された頭では自分の都合の良い方へと思考が傾いていく。
そこに拒絶されて罵られるという現実など微塵も考慮に入れていないのがいい例だ。
後々のことを放棄してでも今はその首筋に顔を埋め、吸い付き舌を這わせ、あの浮き出た鎖骨を噛んでしまいたい。
一度走り出した感情は欲を纏って膨張し、最早煩悩の塊と化していたことに、俺は全く気付いていなかった。

「ティーダ」

発した声が熱くて掠れる。
ティーダから手を離すと、引っ込めるつもりのなかった腕そのまま真っ直ぐに伸ばした。
濡れた襟足に指を突っ込んで首の裏側へと進めば、少しだけひんやりとした感触が指の股を伝う。

「お前どうしたんだよ、さっきから・・・」

気味が悪そうに見上げてくるティーダの瞳がぐらぐらと揺れ、それが緩やかな波を思わせて目が離せない。
太陽も日差しもないのに、眼球が動く度に明るい青があちこちに反射して輝いているようだった。
そういえばこんなにじっくり顔を見たことなんてなかったが、男前だと周りに吹聴しているだけあって、確かに顔の造りも悪くない。
整えられた眉も、滑らかな鼻筋も、吹き出物一つないつるりとした褐色の肌も、口角の上がった唇も。

どう足掻いても女には見えないが、なんだかやっぱり、可愛く見えてしまった。

「なぁ、俺の話聞いてる?」

「・・・まぁ、それなりには」

「それなりにはって、それ聞いてなくない?」

頬にするか、顎にするか。
でもやっぱり首にしてみたい。
首に回した手を引き寄せ、喋るティーダの声に耳を塞ぐといっそう距離を縮めた。
今か今かと待ちきれず開いた口からは、初めの頃よりもずっと熱い呼気が漏れる。


(早く、)


もう粗相をしてしまってもいいから、このむず痒くおさまらない欲を満たして欲しい。
徐々に視界が狭まり、うぶ毛が見えそうなほどの距離で焼けた肌が断片的に見えたのを最後に、気だるい瞼を下ろした。

「どうだ、励んでいるか?」

あと少し、ほんの僅な隙間を残して視界が閉ざされかけた時、此処には居ないはずの声が頭上に散らばった。

「あ、クラウド」

霞んだ景色と自分の睫毛が映り込んだ曖昧な状態のまま、視界が止まった。

「なんだよ、薪割りもう終わったんスか?
量がえげつないって昨日バッツが文句言ってたけど」

「バッツは使い物にならなかったが、セシルがいいストレス発散になると精を出してくれてな。
思いの外早く終わった」

「マジか。
いいなぁ、俺の当番の時にも手伝ってくれないッスかねー」

「掛け合ってみるといい。
案外あっさり引き受けてくれるかもしれないぞ」

狭く薄かった世界が二人の弾むような声に段々と色を取り戻し、接着しかけていた瞼が勢いを失って視界が見通しよく開けた。

「まぁこのまま宿に戻っても良かったがせっかく早く終わった事だし、差し入れでもと思ってな」

一体、いつからそこに居たのか。
ぎこちない動作でティーダの焼けた肌から横へと目を向ければ、アルミのバケツを両手に持ったクラウドが高い位置から笑顔でこちらを見下ろしていた。

「うんと冷えた水だぞ」

「マジで!?氷は!?」

「ちゃんと取り除いてある」

「やった!」

傭兵としての訓練を積んだ自分が、こんなに近くに接近されるまでその存在に気付かなかったのはとんだ誤算だ。
それほどまでにティーダに没頭し過ぎていたのだろうか。
意味がわからない二人の会話と、寸でのところで塞き止められた欲の吐き処に理解が追い付かず、呆然とクラウドとティーダを交互に見つめていると、重そうなバケツを置いたクラウドに「じゃあ頼むッス」と目を瞑りティーダが鼻を摘まんだ。
置いてけぼりにされた頭と状況では、そもそも何故クラウドが此処に居るのか、差し入れの水とはなんなのか、何故こんな中途半端な状態で放置されているのか、それら全てが一向に把握出来ず、漸く疑問が口から落ちかけた時には既に遅く、側頭部から頬にかけて凄まじい衝撃が皮膚を伝って骨にまで振動を与え、たまらず体が仰け反った。

「うわっ、やべー!気持ちいい!!」

反射的に目を瞑ったのは自分の意思とは関係ない防衛本能からか。
閉じた眼裏でティーダの歓喜する声がやたら大きく聞こえる。

一体なにがどうなっているんだ。

頭は鈍器で殴られたような重さを受け、頬は打たれたのかと思うほど痛む。
じんじんと、疼きを伴う痛さに頬に手をやれば汗とは全く異なる冷ややかな感触がし、ハッと目を開いた。

「やっぱこれッスよねー!
汗かいて良かったー」

なんだこれは。
なんなんだこれは。
目を開いた先に、頭からずぶ濡れのティーダが満面の笑みで髪をかきあげている。
先ほどまで汗で毛先を濡らしていたものとは違い、頭の天辺からぐっしょりと水分をふんだんに吸った髪と顔面にへばりつく後れ毛。
更に目線を下に下げれば、はだけた服も、そこから見える肌も下半身も濡れそぼり、まるでティーダ自身が水溜まりに座っているような有り様になっていた。

「・・・な、ん・・・これ、」

こぼれた呟きを追い掛けるように乾いた地面を見れば、水滴が点々と走っている。
それが自分の方へと繋がっているとわかった時、酷く嫌な予感がした。
桶に浸かっていないのに何故か濡れている太ももやふくらはぎ。
汗を含んだものとは全く異なる重く冷たいシャツの感触。
雨漏りのように止めどなく毛先から滴る水。
見上げた先、空になったバケツの中身を見せ付けたクラウドがにっこりと微笑んでいるのを見て、ようやく何をされたのか理解した。

「あんた・・・なに、して・・・」

信じ難い話だが、ぶっかけられたのだ、バケツの中の水を。
体にかかった水の冷たさを実感するより早く、頭の熱が引いていく。
ティーダは初めからクラウドが何をする気でいたのか知っていたんだろうか。
何故あの時ティーダが目を瞑り鼻を摘まんだのか今更理解してしまい、遅れてやってきた鼻の痛みに奥歯を噛み締めた。

「良いじゃん、どうせ汗で濡れてたんだしさぁ」

良いわけあるか。
人に向かって水をぶちまけるなんてどうかしているし、事前に知らされたとしても俺は御免だ。

「嫌だったの?」

「当たり前だ!」

「えー、俺は嬉しいッスけど・・・」

呑気に頭の悪い発言をしているティーダに噛んだ奥歯が軋む。


(汗で濡れるのと水をかけられるのじゃ全然違うだろ…なにが嬉しいんだ)


予告もなしにされた側の気持ちなど到底理解出来そうにないティーダに心の中だけで文句を垂れていると、空のバケツを置いたクラウドが少し屈んだ体勢でこちらを覗き込んできた。

「悪かった、ティーダが当番の日はいつもやっていたから、てっきりお前も知っているものだと思ってな」

「・・・そんなの知っているわけないだろ。
あんたも年長者ならこんなくだらないこと一緒になってやってないで窘める立場になったらどうなんだ」

「まぁそう言うな。
この気温で皆疲弊しきっているし、楽しみの一つでもなければただ辛いだけだろう?
これでも常識の範囲内でやっているつもりなんだ、ちょっとした娯楽とでも思って大目に見てくれ」

常識?人にいきなり水をかけるのは娯楽で常識の範囲なのか?
そんな世間一般から大いにはみ出した娯楽と常識があってたまるか。
それともなんだ、暑さでみんな頭がおかしくなったのか?


(どいつもこいつも・・・)


著しくずれた仲間達との価値観に釈然としない気持ちはあるが、珍しく謝罪めいたことを口にしたクラウドに些か腹の虫は大人しくなった。
勿論、頭の中の疑問は絶えないし相変わらず笑ったままのクラウドが申し訳なさそうにしている素振りは全くうかがえないが。

「こんだけ暑けりゃすぐ乾くって、そんなに気にすんなよ」

「・・・うるさい、そういう問題じゃないだろ」

「小さい野郎ッスねー、ただの水浴びじゃん。
うだうだ言うなっての」

剥き出しの腕に水の玉をくっつけたティーダに肩を小突かれると、水分を大量に吸った服がべしゃりと嫌な音を立てた。
こいつに関しては暑さでどうにかなったとかではなく、元々の頭の作りが残念なんだと思っておくのが精神衛生上いいような気がする。


(まともにやり合うだけ労力の無駄だ・・・)


「バッツと一緒の時は背中からやってもらうんだぜ」と面白くもない出来事を嬉々として語りだしたティーダに一つため息を吐くと、べったりと額に張り付いた髪に手を伸ばした。

「あぁ、でも」

妙なところで言葉を切ったクラウドがのっそりと腰を上げ、それをなんとはなしに追い掛けると髪に指を絡めたままその背後を見上げた。
白ばかりが広がる空がやけに目に刺さり僅かに目を細めると、やはり太陽は出ていないのだということを実感する。
いっそ、それが元凶であればこの不快でどうしようもない環境にも、不毛な感情にも折り合いがつくのに。


(異世界の気紛れに振り回される、か)


なんて、すっかり濡れ鼠になった姿で黄昏ながら耽ったのは時間にしてほんの数秒。
それもまぁ悪くないと思う程度には、この世界に何らかの形で情にも似たものが芽生えたのかもしれないと思ったところで、冷や水を浴びせられた。

例えではなく文字通り、頭から水を掛けられた。

じゃーっという聞き慣れないけたたましい水音に、視界を遮断する水のカーテン。
頭頂部を殴りつけてくる衝撃で顔が地面へと強く引っ張られる。
今しがた自分が何を考えていたのか忘れるほどの威力に呆然としていれば、最後にカンッという地を叩く軽い音で、水の勢いが止んだ。

「お前はもう少し、頭を冷やした方が良さそうだけどな」

カラカラと音を立てる方へとゆっくり目を向ければ、転がったバケツが一つ、クラウドの足元を汚しながら横たわっていた。

「……は、?」

一瞬、ほんの一瞬だけ空になったバケツを蹴飛ばしでもしたのかと思ったが、先ほどよりもいっそう冷えた頭と体を前に、そこまで鈍い結論には至らなかった。

「は?」

じわじわと、皮膚に沁みこむ冷えた感覚と空のバケツの転がる空しい姿に、流石になにをされたのかわかり、ゆっくりと顔を上げた。

クラウドは、二つ目の水をかけたのだ。
それも今度は頭から、俺だけに。

「良かったな、これでちょっとは冷えただろう」

口を開くより先にクラウドの手が肩に乗り、ティーダに小突かれた時よりも深く冷たさが皮膚へと凍み込んだ。

「スコールだけずるいッスよ!」

「お前はまた今度な」

「えぇ・・・俺だって暑いのに・・・」

「宿に戻ったら氷を用意してやるから、今日はそれで我慢してくれ」

まるで菓子を買ってくれとせがむ子供のように駄々を言うティーダをクラウドが穏やかに宥めている。
宿でも何度か見たことのある至って普通の光景だが、今ティーダが強請っているのは菓子ではなく冷たい水で、それを頭からぶっかけられたいという狂った要求をしているのだ。
しかもその要求をティーダにではなく、何故か俺に向け実行したのだ。
頼んだ覚えはないし、なんならさっきまでクラウドは俺に悪かったと口にしたはずなのに。

何故俺が、二度も水を掛けられないといけない。

言いたいことは山ほどあるのに、何から喋るべきなのか。
頭の中の疑問符があちこちに飛び散り、適切な言葉を選べないでいると掴まれた肩がぎゅっと抓られるように痛んだ。

「お前も、」

緩やかな弧を描いていたクラウドの目が僅かに開くと、その隙間からうっそりと青を覗かせた。

「これに懲りたら一時の感情で動かない方がいい」

そう言うと、自分よりも高い位置から視線を投げて寄越してくるクラウドがきゅっと口角を上げで笑った。

「な、に・・・言、」

「わかっているだろう?」

脈絡の掴めない会話を一方的に投げてくるクラウドが俺の声を遮ると、身を屈ませ顔を擦り寄せてきた。

「手を出す相手を選べと言っているんだ。
半殺しにされても文句は言えないぞ」

囁かれた言葉が鼓膜を突き破り、脳天まで一気に駆け上がる。
乗り物酔いをした時のように揺さぶられる脳内で、仲間に掛けるには物騒過ぎる台詞が何度も反響していた。

「相手が俺で良かったな、感謝するといい」

すぅっと顔を引いたクラウドが鼻先が触れそうな程の距離でにっこりと、先ほどとは異なる作り物めいた笑みを向けてくる。
その中で、やはり目だけは薄っすらと開いたまま。

交差する視線の中で思い出すのは、ティーダの褐色の肌と滴る汗。
そして、行き場のない持て余した己の若過ぎる欲望の塊。

「っ、!」

「おっと、」

肩に乗った手を勢い任せに振り払ったのと同時に、クラウドが素早く身を引く。
弾くつもりだった手は一歩遅かったのか、クラウドに掠る事もなく宙を裂いた。

「あんた・・・、いつから」

見られていた。
見られていたのだ。

渦巻く熱気に注意力が散漫で、薄皮一枚剥いだところにあった欲をコントロール出来なかった姿を。
上塗りに上塗りを重ねて層のように分厚くなった己の痴態を。

この男は、いつからか、見ていたのだ。

途端、カッと顔面に熱が広がり鼓動が聞いたこともないような音を立てた。
恥ずかしいとかみっともないとか、そういう感情もあるが、動悸の原因はそれだけじゃない。
やってはいけないとわかりきっていたことに手を出し、それをよりによってこの男に見られてしまっていたという確かな恐怖心からくるものだった。


(こいつ…)


見ていたのなら何故、もっと早くに止めなかった。
わざわざタイミングを見計らい含みのある言い方で牽制したのは、この男なりの優しさや親切心からくるものじゃない。
単に俺の行動が気に入らなかっただけで、ティーダにちょっかい出したことが不満だったのだ。


(なにが俺で良かっただ)


だからこそ俺にだけわかるような警告をチラつかせて、八つ当たりのように水を二度もかけたに違いない。

ほくそ笑んだあの顔の理由に合点がいき、再び顔面に熱が集中した。

「魔が差した、と言うには些か目に余るからな。
次は精々見つからないようにするんだな」

なにか、反論の一つでもしてやりたいのに、冷えた頭と皮膚に沈み込んだ水の冷たさに体も口も動かない。
そもそも言い訳のしようがないことをやったのは俺自身ではあるが、こそこそと盗み見るような真似をしていたクラウドも十分どうかしているというのに。


(本当にどいつもこいつも・・・っ!)


「じゃあ俺はもう行く。
暑いだろうが引き続き頑張れってくれ」

「ん?あ、うッス!クラウドもまた後でな」

事情がよく飲み込めていないであろうティーダが俺達二人を交互に見遣り首を傾げたのも一瞬で、背を向けたクラウドへ向かって呑気に手を振っていた。
去り際に、またあの鋭い目を俺に向けて挑発的に口角を上げていたことなど知りもしないだろう。

「あーあ・・・行っちゃった。
水もっと欲しかったんだけどなぁ」

ティーダの腑抜けた声と共に、バサバサと衣服の擦れる音がする。
学習能力がないからきっとこいつはまた簡単に服をはだけさせているんだろう。

だけど、もう俺にはそれを見る勇気がない。


(暑さのせいだ)


自制心が上手く機能しなかったのも、うっかりティーダなんかに手を出そうとしたことも。


(俺のせいじゃない)


全部この狂った気温のせいに決まっている。

「あー・・・くっそあっちぃ」

耳のすぐ裏側で聞こえた声に、興味本位で触ってしまったティーダの熱さが今も指先に残っているような気がして、辺りを漂う熱気と共に、拳の中へと強く握り混んだ。




















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暑くて暑くて。




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