5年後の結末26
変わっていく世界で、僕だけは変わらないと誓おう。
また明日も、その次の日も、また次の日も。
変わらないと。
5年先も、またずっと。
君と居るから。
寒空の下、吹き抜けていく風を遮断するようにティーダの手が俺の手をしっかりと包んだ。
微かな震えを伴ったそのやけに暖かな体温を、どうやって拒めば良かったのか。
手を伸ばされた時に弾いてしまえば、それとも今この瞬間にでも放してくれとでも言えば。
「今度は、俺が・・・5年、待つから」
そうすれば、ティーダはこの手を放して俺に背を向けて。
いつかの日のように遠くへと消えてしまうのだろうか。
「ク、クラウドが・・・想ってくれた5年と同じだけ・・・っ、俺も待つから」
頭の隅でそんな事を考える自分が確かにいるのに。
握った俺の手を見つめたまま、瞬きもせずに必死に言葉を紡ぐティーダに、それを行動に移せるだけの何かが俺にはもう何も残されてはいなかった。
「だから、好きで・・・いさせて欲しい」
ぼたぼたと、湧水のように次から次へと忙しなくティーダの頬を駆け下りていく涙が、中途半端に笑ったまま震える唇が。
そうして、俺に向けられたその言葉が。
長い時間をかけて何度もしつこく遠ざけ、諦めたいと抵抗し続けていた気持ちに終わりを突き付けた。
「・・・っ、」
(腹が立って、憎らしささえ感じて、何度も突っ撥ねたのに)
お前が俺に向けた言葉を、そのままお前に返してやりたくて。
僅かな可能性ですら信じてしまう事が怖くて、何一つ掬い取りはしなかった。
その癖好きで、どうしようもなく好きで。
忘れる事も諦める事も、その振りですら出来なかったのに。
「ティ、ダ・・・」
長い沈黙だけが滑り込んでくるティーダと俺の狭い空間で、何か発しなければ握った手が離れてしまいそうで。
あれだけ拒んでおきながら、離れていってしまう事が何よりも怖いと感じ思わず握られた手を強く握り返してしまった。
「俺は・・・、」
今にも声をあげて泣き喚きそうなティーダの表情が崩れ、鼻と喉の奥がカッと熱くなる。
途端、米神が痛くなる程強く頭を圧迫される感覚に襲われ、次の瞬間にはもうティーダの姿がぼやけて見えなくなってしまっていた。
「俺、は・・・」
長年蓄積された想いの塊が雨水を含んだ泥のように重くなり、それが腹の底から一気に込み上げてくる。
それでも、何から言って良いのかわからず何度も飲み込んでは、ただ頬を伝う熱い湯にも似た涙ばかりが激しさを増して落下していった。
「っ、俺、・・・」
吸い込もうとした息ですら上手くいかず、口の中でひゅっとみっともない音が鳴ってしまう。
きっと、この優しく暖かな手を取ってしまったら二度と、俺は一人にはなれない。
もう手放してしまう事が出来なくなってしまう。
好きだと気付いた日から、今日まで。
ティーダを想わない日などなかったのだ。
どれだけ否定しようとも、どれだけ自分に言い訳をしようとも。
それをわかっているのだろうか。
ティーダは理解して、それでも俺を好きだと言ってくれるだろうか。
5年後もまた、変わらずに。
「クラウド」
中途半端に言葉を残したまま何も言えず、いつの間にか垂れ下がっていた頭がティーダの声によって引き上げられる。
地面を這っていた視線をゆっくりと持ち上げれば、ぼろぼろと泣きながら何処か晴れやかに笑うティーダがそっと身を寄せて来た。
「好きッスよ」
風の中で泳いでいた桃色の花弁が遊ぶようにティーダの髪に滑り込んで、笑顔に華やかさを添える。
「俺ちゃんと・・・待てるから。
だから、」
泣くなよ、と。
そう言ってティーダが泣き笑いなんてするから。
予想だにしない程の、急激な感情の波が押し寄せてきてしまい、堪らず背を折った。
(・・・だからお前を好きになったんだ)
泣き崩れた俺を支える様に、身を寄せて来たティーダが俺の後頭部にそっと手を添えると、そのまま引き寄せてきた。
それを俺に拒む理由は、もう何処にもない。
引き寄せられた先、自分の冷たい額にティーダの硬い鎖骨が当たる感触がする。
「俺達、また・・・始められる、かな」
頭の後ろにあった手がするすると項から背中に落ち、そうして息もままならない俺の背をあやすように擦り出した。
摩擦のせいなのか、それともティーダの体温のせいなのか判別は付かないが、それでも手の平から伝わるその温もりに、ずいぶんと溜まりっ放しだった涙が全部引き摺り出される。
聞きたい事も、言いたい事も多すぎて互いに何を言って良いのかわからなかったあの頃。
剥き出しの腕を互いに引っ掻きまわして、罵り合って。
此処まで傷付けて、傷付けられて、信じて、信じられなければ。
誰よりも近くに居たのに、何一つ分かり合えなかった。
(ティーダ、)
ほろほろと互いの繋いだ手の上へ積もっていく桜の花弁。
(信じても良いか、お前のその言葉)
その花弁に、更に濃い滲みが広がったのを最後に俺は、だんまりを破るように握り返していたティーダの手を一旦放し、代わりに腕を掴んで引っ張った。
「・・・クラ・・・、」
「5年」
吐いた息がティーダの体を滑り抜けても白さを失わず、宙へと昇る。
「5年お前を待った。
それなのに、後5年も待ったら、俺は30だ」
「・・・」
「・・・そんなに・・・待てない」
擦る手が止まったのか、背中にはティーダの手の平の少し重い感触だけがじわじわと広がる。
それに呼応するように、痛いようなまた泣き出したくなるような感覚が喉元まで込み上げてきた。
散々泣いたのに、まだ自分は泣く気でいるのかと思ったら更に泣きたい気持ちに駆られる。
擦り付ける様に置いていたティーダの鎖骨付近からのっそりと顔を上げれば、酷く強張り傷を負った瞳と視線が交差した。
「もう5年も、俺はお前を待てない」
泣いているせいか、耳の奥が熱く自分の声が少しだけ篭って聞こえる。
「・・・クラウド」
じわりと、ティーダの目に濃い涙の膜が滲む。
その表情に、胸の内から崩れた感情がぼろぼろと零れ落ちて剥がれていくのがわかった。
それは、疑心であったり、不快であったり、傲慢でだけども愛おしい。
5年間、大事にしてきた俺のティーダへの想いに確かに存在していた感情だ。
「待てないから・・・」
空いていた手を持ち上げ、涙で汚れきったティーダの頬を人差し指で少しだけなぞった。
「待たせないでくれ」
涙の後を辿っていれば、傷付いたままだった瞳が一瞬だけ信じられない物を見る様に開いて、またすぐにくしゃりと不細工に歪んだ。
「駄目か・・・、ティーダ」
鼻声の自分の声を誤魔化すように深く息を吸えば、喉を伝っていく空気が僅かに震えていた。
想いを伝えたあの日から、やっと今。
初めてティーダと向かい合えたのだと、そう思うと泣き喚きたくなるのは自分の方だと知っているから余計に。
「っ、クラ・・・・」
握った手に力が篭るのは緊張の表れか。
笑ったつもりの顔はきっとぎこちなく歪んでいるに決まっている。
「此処に、居るから」
わっと、泣き出したティーダよりも早く。
我慢出来なかった俺は早口にそう言うと、重力に逆らう事もしないまま膝を折ると、そのまま蹲った。
きっと、この先もティーダを傷付けない日はないだろう。
恐らく、ティーダに傷付けられない日もない。
また互いに想いの違いで拗れてしまう事もある。
もしかしたら、背を向けてしまう事もあるかもしれない。
先の事は何一つわからなくて。
今は言葉で約束をする事しか出来ない。
俺も、ティーダも。
今は言葉しか俺達にはないのだ。
だけど、言葉から始めなければ俺達には何もない。
此処から始めるしかないのだ。
俺とティーダが選んだ、此処が始まりなのだから。
「此処に、」
繋いだ手だけはそのままに、決して放さない様に。
もう何処にも行かないのだと、互いに思えるまでは。
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