の男、獣につき











(これが・・・?これがそうなんスか?)




全く違う。
俺の象像していた人と全く違う。



(嘘だろ・・・)



頼りになる男だと聞いた。
多数居る仲間の中でも長者であり、中々に思慮深くそうして正義感溢れる男だと。
剣術の腕前は言うまでもなく、時折仲間の得物や技を模したそれを使って戦う様はまさに鬼人の如き働きだとか、なんとか。
確かに、仲間の口々から俺はそう聞いていたのに。



(こんな・・・草か土でも食ってそうなひょろひょろの男が?)



「よろしくなぁ」

ソファーの上でふんぞり返り、表紙の少し破れたショップのカタログを熱心に捲りながら碌に目も合わさずそう言った男に、俺の思い描いていた幻想は全てぶち壊された。














「ティーダ、こっち持っててくれる?」

先刻から俺の隣に座っては繕い物に没頭していたセシルが、その器用そうな指で摘んだ布を端をひらりと振った。

「あ、うん」

言われた通りに渡された布切れを摘むと、こっそりと見えない溜息を吐いた。


(なんかもう・・・色々裏切られた気分ッス)


本当に、がっかりした。
バッツ・クラウザーには、本当に心底がっかりさせられた。
今思い出しても、胃の奥からすぅっと冷める様な感覚しか蘇ってこないのだからそれがどれ程自分にとって衝撃的だったのか。
チクチクと、気持ちの良いリムズを刻んで糸を縫いつけていくセシルの指を食い入るように見つめ、更に深い溜息を吐いた。

俺がこの世界召喚されてまだ右も左もわからなかった頃から、既に今の仲間達は各々が探索や戦闘に赴いていた所為か、仲間全員が揃って自己紹介なんていうのは皆無だった。
探索に出ていた人間が宿に戻って、運が良ければ会える。その程度。
召喚されて間もない俺だって、すぐに戦闘に駆り出されていたんだから会える機会なんていうのは早々なかったのだけれど。
それでも時間と共に、一人、また一人と。
宿ではち合わせたり、誰かの手によって紹介されたり。
確実に歩みを進めて今では仲間のほとんどの顔も名前も知っているし、そこそこ慣れ親しんだとも思う。

ただ、その中で最後まで会う機会がなく結局最近になって漸く知り会えた男だけを除いて。


この世界に一番最後に召喚された俺が、一番最後に出会った仲間。
それがバッツ・クラウザーだった。


自由奔放で、何からも縛られず、だけども責任感や正義感は人一倍強い。
タイミングの悪さからか、バッツに会う事のなかった俺が聞かされていたのはそう言った人物像で。
その所為か、日に日に膨らんでいくバッツ・クラウザーという男が、会えない事も手伝ってか俺の中で憧憬の的になるにはそう時間はかからなかった。

早く会ってみたい。
どういう人なのか、この目で見てみたい。
きっと、筋骨隆々で雄々しく、その姿に見合っただけの風貌はただそこに佇んでいるだけでも威風堂々としした空気を漂わせているのだろう。
勝手に頭の中で出来上がっていくバッツ・クラウザーという男に、俺は一片の迷いすら抱かなかった。

今にして思えば、ほんの一欠けらくらい抱けば良かったと思っているけどね、本当に。
一緒にブリッツ出来るかもなんて思っていたあの頃が懐かしい。

あの時、広間のソファーでふんぞり返っている見知らぬ男を見た瞬間、俺の世界は崩壊して、もう戻らない沢山のものを失ってしまっていた。


(何が頼りになる男だっていうんスか)


これ繕ったらお茶でも淹れようね、とまるで母親のように優しく溶ける様に囁くセシル声を聞き流し、ちろりと視線を暖炉の方へと流す。
くべられた薪がパチリパチリと小さく乾いた音を吐き出すその前で、ジタンと地べたに座り込んで何やら談笑しているバッツを視界の端に捉えると、もう一度心の中で悪態を吐いてやった。
淡く揺らぐ炎がバッツの肌に沁み込むように色を付け、どこか別人のような影を生みだしている様は俺の思い描いていた人物像からどんどん遠ざかって行く。

それが悲しいのなんのって。

猛々しいと思っていたそれとは遥か対極にいるような姿。
筋骨隆々なんて、あんな栄養の足りなさそうな体付きじゃあ一生望めない。
それに、大体からしてあのやる気のなさそうな目付き。
加えてその姿勢の悪さ。猫背治せ、猫背を。
しゃんと背筋伸ばせ。
あぁ、もう!両手叩いて馬鹿笑いなんかすんな!みっともない!
目も当てられないような現実のバッツ・クラウザーに耐えられず、無意識に握り締めていた拳にぎゅうぎゅうと力が入る。
でもね、俺が勝手にバッツという人間を想像していただけでこの激しいジレンマにも似た憤りは、正直お門違いだっていう事はわかっている。

だけども、だけども!

頼りになる男だとか、思慮深いとかさ。
正義感強いとか、鬼人の如きとか聞いちゃったらさ。
仁王像の様な屈強で、豪然たる男を想像しちゃうじゃないか。
しかも口髭とか蓄えちゃってさ、どっしりと構えていたりなんかしてたらもう堪らない!

あ、いやそれは俺の想像っていうか憧れの人物像っていうか。

物心ついた時からそういう大人の男に囲まれて育った所為なのか、どうにもイメージがすぐそっちに結び付いてしまう。
俺の親父だって何かそんな感じだし。
後見人も、やっぱり似た様なもんだったし。

見れば見る程、かけ離れていくバッツ・クラウザーに俺は落胆する心をそっと慰め、隣に座るセシルの方へと擦り寄った。

「なぁ、セシル」

「ん?」

ふわふわと揺れるセシルの髪が頬に耳に当たってくすぐったい。

「明日の探索さ、俺と代わってくれないッスか」

そのあちこちに跳ねる横髪に隠れる様に、小さく言葉を零した。

「・・・どうしたの、急に」

手を止めたセシルが俺に合わせて少し身を屈め、覗き込むように尋ねて来る。
その、我が子に接する様な態度が亡き母を彷彿とさせて悲しさに余計な拍車をかけた。

「セシル、ほら・・・パンデモニウムで欲しい素材あるって言ってただろ?」

「それはそうだけど・・・ティーダも欲しい物があったんじゃないの?」

うん、そうなんスよ。
凄く欲しくて欲しくて、明日のパンデモニウムに向かう探索のメンバーに加えられた事知った時は、漸く手に入るかもって歓喜で震えたけどね。

「いや、俺もう必要なくなったっていうか・・・。
他に欲しい物出来てさ。
それがガレキの塔の先にありそうだから、そっちに探索行きたいなって。
セシル、明後日ガレキの塔に探索出るって聞いたから代わってもらえないかなって思ってさ」

それをこんな形で手放すなんて、俺だって本意じゃないんだ。
わかってくれ、セシル。
別にガレキの塔にもその先にも全く用件はないけどさ。
パンデモニウムに向かうメンバーにバッツが加わっている今、俺はそれを全力で回避したいんだ。
これ以上、思い描いていたバッツ像が崩れていくのは耐えられない。
実践を見るのも、正直御免被りたい。

ヘラヘラとしたあのだらしのない笑みを張り付けたバッツが、その薄っぺらい体を吹っ飛ばされる様を一瞬でも想像してしまい、全身に気持ちの悪い程の寒気が走った。

それに呼応するように、暖炉の方から聞こえてきた頭の悪そうな馬鹿笑いに、更に気分は降下。

もう最悪。

「そっか・・・、僕はティーダがそれで良いなら構わないよ」

きっと、俺の言葉を素直に信じただろうセシルに悪いとは思うけど。
優しく頷いてくれたセシルに、俺は更に更にと身を寄せて聞こえてくる笑い声にそっと耳を塞いだ。















***





実のところバッツ・クラウザーという男について、俺はあまりよく知らない。
知らなかった、という方が正しいのかもしれないけれど。
実際今もあまりよく知らないのだから、やっぱり知らなかったと言うには少し語弊があるかもしれない。

「・・・眠れねぇ」

真っ暗な室内。
視界いっぱいに広がる天井の木目を凝視し続けて一体どれくらい時間が経ったのかはわからないが、闇夜に視界が慣れきってしまい木目の隙間に出来た小さな傷みすら数えだしそうになり掛け、思わず掛け布を剥いだ。

くぁっと、大きな欠伸を一つ。

こうして欠伸は出るのに、眠気は全くやって来ない。
明日探索へと出立予定なのだから気が昂ぶって眠れないというならわかるけれども。
その探索もセシルに代わってもらった今、ゆっくりと深い眠りになだれ込んでしまいたいのに。

「茶でも飲むッスかね」

天井に向かって拳を突き上げ、大きく伸びをすると凝り固まった肩を解しながらベッドから這いずり出た。




バッツ・クラウザーという男をよく知らない事に、特別何か思う訳じゃない。
今は、知らなくて良かったと思う気持ちの方が強いからかもしれないけれど。
思い描いていたバッツ・クラウザーではなかったのなら、というかあんな優男だった事にずいぶん衝撃を受けたのだから、もう何も知りたいとは思わなかった。

恐らくは、見たままの人間なんだろう。
あのへらへらと笑う締まりのない顔も、やる気のなさそうな目付きも、いっそ矯正でもした方が良さそうな猫背も。

それに最初の接触の時だってそうだけど、あの態度の悪さったら。

人と話す時はちゃんと顔見て話せって教わらなかったのだろうか。
あー、はいはい。みたいなね。
そんなぞんざいな態度取られたら、イメージがた崩れしてんのに更に悪くなるったらない。
結局、理想のバッツ像を裏切られたのもそうだけれど、あの不遜な態度もバッツを遠ざけるきっかけの一端を担った事は間違いないのだ。
おかげで、碌に挨拶程度の会話もしないまま今日までを過ごしているわけだけども。

「別にそれで良いんスけど」

誰に言うわけでもなく、寝静まった宿の階段を下り一人そんな事をぼやく。

きっと屈強な男だとか、筋骨隆々だとか。
そういうのが自分にとっての男らしさであり、理想の男像であり、こうあるべきだという男の有様なのだ。
だからかもしれないけど、敵方に身を置いているセシルの兄貴だとかバッツと深い関係にあると聞かされたあの大樹を見て、俺は心が躍るのだろう。
別に変な意味合いで見てるわけじゃない。そこは、断じて。

ミシミシとしなる床を踏みしめ、広間へと続く廊下を歩いて居れば暗がりに紛れて仄々とした灯りが薄らと開いた扉の隙間から漏れている。
元々其処に用があったのだけれども何か見えない緩やかな手招きでもされているように、その鈍い光りの筋を辿って歩き進めば、中から僅かに人の気配がした。
夜の寒さに当てられてたっぷりと冷気を含んだ重い扉にひたりと手を付いて、そうっと前へと押せば軋んだ音と共に扉が開く。
どっぷりと沈んだ暗がりが開け、中からは思っていたよりもずいぶん暖かな灯りが充満していた。

「ぁ、」

ランプから零れ出す光りの帯を目で辿っていれば、テーブルに腰掛けた男と視線が絡まり、思わず喉から掠れたような呻きにも近い声が上がった。
ただ、視線が合ったのはほんの僅かな間で。

瞬きをした次には、もう男の視線は俺を射抜いてはいなかった。


(・・・ついてないッス・・・)


大人しくベッドに篭っていれば良かった。
眠れないからと、茶を所望してのこのこ広間にやってきた自分が心底愚か者に思えてくる。
かと言って、扉を押し開いて一歩踏み込んでしまったのに今更何でもなかったかのように戻るのも何だか癪だ。
中途半端に開いたままだった扉と、カップ片手にテーブルに腰掛けた男を交互に見遣ると、俺は憮然とした面持ちで中へと滑りこんだ。


(茶飲んだら戻る、飲んだら戻る)


念仏のようにそれらを繰り返し唱え、今更引き返せない足をずんずんと前に向けて歩く。
あぁ、でも素直に扉閉めて戻れば良かった。
そんな後悔がチラチラ顔を出しては、きゅうっと胃の奥底が悲鳴を上げた。
大体、こんな時間にこんなところで何で茶なんか啜ってんだ。

いや、俺もそうだけどさ。

真っ直ぐに男の横を通り過ぎると、普段自分の使っているカップが置いてある棚に手を伸ばした。
誰かが洗ってくれたのかまだカップの側面に水滴が残っており、それがじわりと指先を濡らす。

「眠れないの?」

肩を滑って鼓膜に届いたその声に、カツっと爪が陶器で出来たカップに当たり嫌な音を立てた。
まさか、話しかけられるとは思ってもみなかった為、動揺が指を伝って流れ込んで来る。

「そっちこそ」

勢いよく鼻から息を吸い込むと、意を決して後ろを振り返った。

「まぁね」

振り返った先、テーブルに腰掛け緩く足を組んでいたバッツ・クラウザーが小さく鼻を鳴らしてそう言った。
テーブルに置かれたランプに当てられ、薄く笑ったバッツの口許に影が出来る。
光りがなくても目視出来るであろう真っ赤なシャツの前を止める事もしないまま、だらしなく羽織っただけのその身装に、自分の眉間が険しくなっていくのが手に取る様にわかってしまう。
こういうバッツを見る度、過度な期待を抱いていた自分が恐ろしく情けなくなってくる。
これが、あれ程までに憧憬を向けた男の姿かと。

隙だらけの細っこい背中を見ていると涙が出そうだ、あぁ悲しい。

「なに?そんなに見つめちゃって」

やはり俺の方には目もくれず、口許だけで笑みを作ってそんな言葉を口にするバッツの頬を殴り飛ばしたい衝動に駆られ、息を飲んだ。

何だ、見つめてって。
阿呆かアンタは。
そんなだらしねぇ猫背晒してんのが気になってるだけだっつーの。
後、そんなはしたない格好すんの止めろ。
男が胸元も腹も全開に晒すな。

「・・・別に見てなんかないッス」

言いたい事は山ほどあったけれど、碌に話した事もない人間に向かって言う言葉じゃないと思い留まった自分を手放しで褒め称えてやりたい。

悔しい事に、俺がどれだけ否定してもこれがバッツ・クラウザーという男なのだ。
必要最低限の欲望だけで生きるのは良いよ、なんて高らかに笑ってジタンに言い放ってしまうような男なのだ。

くっそ、それが猛る獣の様な男の言い様であればどんなに格好良いか!

生憎、そんな下品な事を言ってのけるのはこの目の前の優男なのだけれど。
両手に取ったカップを強く握り締め、納得のいかないバッツ像に一人切歯扼腕としていれば、「そういえば、」とバッツが更に口を開いた。

「お前ってさ、何か違うのな」

どうでも良さそうに、しかし小馬鹿にしたようなその言葉に思わずカッと頭に血が昇る。

「ジタンやスコールから聞いてたのと何か全然違う。
もっと犬っころみたいなのイメージしてたんだけど」

ずずっ、と茶を啜る音に紛れて聞こえる言葉に、信じられないくらい手が震えた。

「なーんか、期待外れだわ」

がっかりした。

それは、俺がバッツに抱いていたものが打ち砕かれた時に何度も思った言葉で。
まさか、それを壊した本人から言われるとは。
しかも、碌に話した事もない俺に対してその言い草。
足元からどんどん崩れ去っていく、想像の中で生まれた仁王像のバッツ・クラウザー。

「あ、お前も茶飲むの?次いでだから淹れてやるよ」

ひょいっと俺の手の中から勝手にカップを奪い取ったバッツが、暢気に鼻唄を歌い始める。
もうね、なんていうかね。
ずっと想像の中だけで生きてくれればと思ったッスよ本当に。

これが、これがあのバッツ・クラウザーだと。

いや、俺だってバッツに対して勝手にこうだって思ってたけどさ、それ口にするような事しなかったぞ。
大体なんだ犬っころって、アンタこそ猫背の分際で失礼だろ!

「明日はお前も探索だろう?あんまり夜更かしすると起きれなくなるからな」

言っておくけど、俺起こしに行ったりしないから。と、余計な一言が付けたされ俺の腹の中でお腹いっぱいだと訴える怒りがのたうち回る。

こんな男だったのか、バッツ・クラウザーとは。

見た目のひょろひょろさもすいぶんと俺の期待を裏切ってくれたが中身も相当だ。

「行かない・・・」

こんな男に俺はなにを期待していたのだろうか。
無神経で、その無神経さを軽々しく口にするような男に。

「俺は、行かないから」

あぁ、まだ口を聞かなかった方がずっと良かったに違いない。
口を開けば開く程、バッツという人間がバッツではないような気すらして眩暈がしそうだ。
自然と垂れ下がってくる頭に従って俯けば、悲しさと怒りはより一層増した。

「なんで?」

頭の上で聞こえる声にも、もう返事を返すのが面倒臭い。

「お前も探索のメンバーに居るんだろ?
俺、お前と出るの初めてだから楽しみにしてたんだけど」

「・・・行かない、セシルに代わってもらったから」

知らねぇよ、勝手に一人で楽しんでこい。
人を犬っころ呼ばわりするような男と誰が一緒に行くもんか。

「ねぇ、なんで?」

ねぇ、としつこく食い下がってくるバッツに俺は一言文句でも言ってやろうと顔をあげて、息を止めた。

「なんで勝手にそういう事すんの?」

茶注ぐ手を休め、じっと此方を見つめるバッツの鳶色の瞳の中でランプの炎が揺らぐ。

「ねぇ、」

「・・・いや、だって・・・」

アンタが居るから嫌だと、そう言ってのければ良いのに。
俺だって大概失礼な事言われたんだから、それくらい言い返しても良いのに。
突き刺してくる視線も表情もあまりに真剣で、出鼻を挫かれた。

「俺聞いてないよ」

コツンと、テーブルの上にカップ置いたバッツが俺の方に向き直る。
完全に放棄された茶を淹れるという行為を目の当たりにして、急激に喉が渇いたような気がした。

「だから、その・・・今言ったッスよ」

「今?じゃあ今俺が聞かなかったら明日まで言わない気でいたの?」

そりゃあ、勿論そうに決まっている。
誰が好んで幻想ぶち壊した張本人に行かない理由なんてほいほい話すんだ。
バッツの問いになんと言い訳をしたものか繰り返し考えていると、鳶色の瞳に宿った炎が一際大きく赤を増した。

「俺さ、そういうの嫌いだから止めてくれない?」

本当に不愉快なんだけど。と付けたされた言葉に、なんで俺が咎められているのかさっぱり理解出来なかった。

そもそも、バッツという男が俺の想像していたバッツではなかった事から全てが始まって、まぁ見た目の事に関して文句を垂れたって、バッツが筋骨隆々になる事はありえないし、仁王だって到底無理だ。
目を瞑るには酷く心が痛むし、悲しいけれど、百歩も千歩も譲って妥協してやろう。
その妥協をして、借りにバッツの中身が雄々しかったり皆の言う、その鬼人の如くとやらであればもしかしたらあまり気にならなかったのかもしれない。

だけども現実は蹴りを入れてやりたいような猫背に、はしたない言動。
おまけにひん曲がってんのは姿勢だけではないと思わせる、不遜な態度。

そんな人間に、自分が咎められているのだと知っても理解など甚だ出来やしない。

「知らないッスよ・・・そんな事。
なんでアンタの為に一々気なんか遣わなきゃ・・・」

「あー・・・もういいや、お前本当に期待外れ」

呆れを盛大に含ませたその言葉に、視界が極彩色に覆われ鮮やかに点滅を繰り返した。
そのチカチカと眩しく頭痛のするような痛みに襲われながらも、自分の腕が高く上がりそうして勢い任せに風を切って振り降ろす感覚だけはそこだけ切り取られたように強く腕に残っていた。
バシンっと、含んだ空気までを共に割く様な大きく乾いた音。
視界の端で、ランプの灯りが一拍遅れて揺らめいた。

「いい加減にしろよ!なんだよさっきから!
アンタに期待外れなんて言われる筋合いないんだよ!!」

忌々しい。
本当に忌々しい!

「アンタの方こそ期待外れでこっちは心底がっかりしてんだよ!」

荒ぶる猛者でもなく、仁王像でもない、ただのひょろっとした旅人の癖に。
俺の幻想木っ端微塵に跡形もなく打ち砕いた癖に!

「大体なに様のつもりッスかアンタ!碌に口も聞いた事もない仲間に向かって失礼にも程があんだろ!」

頬を叩かれ、ぽかんと口を開きっ放しだったバッツが不可解なものを見る様な目をじっとりと俺に向けて来る。
上等じゃないか、やり返してくるなりなんなりすれば良い。
もう勢いだけだけど、こんなひょろい男に負ける気なんか更々ないのだから。

「痛い・・・」

しかし俺のそんな意気込みなんてそっちのけで、バッツは叩かれた頬に手を添えるとスルスルと上下に撫でてはしきりにそう呟いていた。

「た、叩いたんだから当たり前だろうが!」

「・・・うん、そうなんだけど」

痛いよねぇ、と独り言のように零しそうしてその手をはたりと止めた。
かと思うと、今度は口角を釣り上げにんまりと満面の笑みを浮かべ肩を震わせている。


(なんスか・・・気持ち悪い・・・)


頬を叩かれて逆上するなら兎も角、何故笑っているのだ。
気持ち悪い。気持ち悪いぞ。

「ははっ、どうしよう」

ねぇ俺、どうしよう。と、そう言ってよたよたと近付いてくるバッツに、俺は思わず一歩下がった。
怖いからじゃない、気持ち悪いからだ。

「全然期待外れじゃなかった」

ぐっと距離を一気に詰めてきたバッツに対処出来ず、そのままバッツの額がトンっと俺の肩に乗った。
堪らず小さな悲鳴が喉から飛び出したけれど、別に正常な反応だと思う。

「ごめんな、うん。ごめん」

「・・・なんスか・・・急に、」

肩にぐりぐりと額を擦りつけてくるバッツをどうしたら良いのかわからず、半端に持ち上げてしまった両手だけが所在なく狼狽える。
叩いてしまった事に後悔はないし、むしろあれはバッツが悪いのだと思うのだけれど。
急に態度を変えた事に焦った。
だって、叩かれて一方的に怒鳴られて笑ってるなんてどう考えても、捻っても、気持ち悪い。

「うん、何て言うか違ったからごめんな」

一通り、満足いくまで笑ったのか肩から顔を離したバッツがにこにこと嬉しそうに微笑んでいる。
あぁ・・・これがやっぱり自分の思い描いた人物であれば、と思う考えのしつこさにも呆れたが、それよりも未だにだらしなくシャツの前を全開にしたままのその格好の方が気になって。

今度は俺が叩かれるかもしれないと思いつつ、そっと手を伸ばした。

「・・・わかれば良いんスよ」

「うん」

「・・・後、こういう着かたしない方が良いッス。みっともない」

「うん」

釦を止め出した俺を咎める事もなく、バッツは只うんうんと嬉しそうに頷くばかりで先程の出来事は幻覚だったのではないかと記憶を疑いそうになりかけた時。
釦を止めていた両の手首をガッと掴まれた。

「ひっ!」

やっぱり殴られるかも、なんて思って一瞬足が竦んだ。

「なぁ、やっぱり明日一緒に行こう」

なのに予想の遥か上を飛び越えてバッツが言った言葉に、身構えそうになった体が変に硬直した。

「駄目?俺お前と行きたいんだけど」

「い、いや・・・それは、」

「ねぇお願い、行こう?な?」

「だから、」

手を掴むその力が思ったよりも強く、振り解くに解けない。

「セシルにもう・・・代わってもらってるし・・・」

「良いよ、俺が何とかするから。
だからさ、ね?良い?良いよね?」

この食い付き様は何なんだ。

「なんで、」

思っただけのそれがほろりと口から漏れると、目の前のバッツは俺の手を握る力をより一層強め破顔すると、晴れやかな声を響き渡らせた。


「俺、お前の事気に入っちゃった」


にこにこと笑うその晴天を思わせるその笑顔に張り付いた不自然にも見える鳶色の瞳。
そこに獣のように揺れる強い、真っ赤な猛る炎を見た気がしたのはきっと、気の所為ではない。









幻想をぶち壊した男がいる。

やる気のない目付きに、曲がった背筋。
口幅ったい物言いも、不遜な態度も惜しげもなく晒す、理想の対岸に佇む男。



その男、バッツ・クラウザーが只の獣だったと知るのは、それから少し後の事だった。






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御主人、見付けました。






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