5年後の結末22










店内へ、そしてスタッフルームへと続く細く狭い廊下。
ずんずんと、迷わずに店内の方へと進むクラウドの背中を見付け慌てて追いかけた。

「待てよ!クラウド!!」

返事もなく、ただ風を切るだけの音に歯痒くて手を伸ばす。

「クラウド!」

だけど、掴んだ筈の腕は即座に振り払われて。

「待てってば!」

それでも諦められず今度は目一杯力を込めて、両手で掴むと引き摺る様に通路の壁にクラウドの背を押し付けた。
クラウドの背から鈍い音がし、その衝撃が掴んだ腕を伝って指先から肘にかけて鋭く走り抜けて行く。

「俺はふざけてなんかない!」

薄暗い通路の中、店内から差し込む灯りがくっきりと陰影を付けたクラウドの顔を浮かび上がらせる。
こんなに間近で顔を見るのはどれくらい振りになるだろうか。
端正な顔立ちをしたクラウドがいつも優しく笑ってくれるのが好きで自慢だったのに。
今目の前にいるのは、5年の間一度たりとも見た事がない冷たい顔を晒していた。

「ふざけてこんな事・・・っ、」

「ふざけてなかったらなんだ」

ティーダ、と。
あの柔らかな声ではもう応えてはくれない。
俺の知らない顔で、俺の知らない声で。

「俺とは友人で居たかったんだろう?」

小馬鹿にしたように、明後日の方を向いて笑う。

「っ、・・・・」

その仕草の一つ一つが、胸の内を食い破りクラウドと俺の繋がりの薄さを如実にした。

「だから受け入れられなかったんだろう?」

「・・・・」

自嘲を含んだその物言いに、否定の言葉は出ない。
当たり前だ、それを確かに俺は一度も二度も望んだのだ。
今更、取り繕う言葉などの口が言えるというのか。

「それが何だ、友人で居られなくなる事に今更惜しくでもなったのか」

鋭い言葉の切れ端が、ずくずくと容赦なく突き立てられる。

「違う・・・」

「ずいぶんと勝手な事だな」

「違う!」

「何が違う!」

叫んだ俺よりもずっと大きな声で怒鳴ったクラウドの声に、掴む手が緩みそうになる。

「突き離すだけ突き離して、拒むだけ拒んでおいて。
俺が離れようとしたら今度はそれすら許さない。
それを勝手と呼ぶのに、何が違う!」

何を言われても、仕方なのない事だ。
自分の言った言葉、した行動。
それを責めたてられても、甘んじて受け入れなくてはいけない。
わかっている、ちゃんと理解している。

だけど、俺の中でしっかりと形を持った気持ちまで別の何かと括るつもりでいるのだろうか。

「俺は・・・ちゃんと、クラウドが」

「止めろ、聞きたくない」

ぴしゃりと放たれる強い言葉に、一度唇を噛むと俯きそうになっていた顔を上げた。

「・・・クラウドが好きなんだ」

「・・・・」

零れる明りで鈍く光るクラウドの瞳が、不愉快そうに細まったかと思うと小さな舌打ちと共に、掴んでいた腕を叩かれて逆に奪い取られた。
声を出す間もなく引っ張られ、体を横へとずらしたクラウドの代わりに今度は俺が壁に衝突する。
慌てて顔を背けたものの、たっぷりと冷気を含んだコンクリートの壁にぶつかった肩が摩擦を起こし一瞬燃える様に痛んだ。

「いっ・・・!」

「・・・お前は何もわかってない・・・っ!」

背後に回ったクラウドが掴んだままの俺の片腕を高く持ち上げると、壁に激しく叩き付ける様に押さえ付けた。
その力の強さと、壁に擦れる手の平の痛みに堪らず呻き声が漏れる。
ぶつけた肩の痛みなんて忘れてしまうほどに、壁とクラウドの手の間に挟まれた腕が圧迫感から痺れていく。

こんな風に扱われた事なんてただの一度もなくて、それが悲しいのかそれとも痛くて辛いのかわからず、ざらつくコンクリートの壁に額を擦り付けた。

「そういう言葉で俺がどんな思いをするのか考えた事もないだろう!」

「クラウド!痛いっ!」

掴み押し付ける手に一層力が篭って、指と爪が容赦なく皮膚に食い込む。
このままいけばその爪が皮膚を裂くのではないかと思い、余った腕で堪らずクラウドの腕を引き剥がして止めようとするもすぐに弾き飛ばされてしまった。

「忘れたくてもいつだってそれをお前が許さないでいるのに!」

「クラ―、」

背後に居るクラウドの覆い被さるその重みと、腹に回された腕の感触につかの間、呼吸を忘れた。

背から、衣服を通り越してくる体温。
首筋にあたる、クラウドの低い冷たい肌。
腹を締め付ける様に抱き締める片腕の強さ。

触れた事がないわけではないのに、それはまるで知らない誰かの皮膚のような。

「っ・・・・、」

服越しに流れ込んでくるクラウドの鼓動に気押されて、唇が震える。
吐き出されたクラウドの言葉を繰り返し腹の中で反芻しては、背に掛る重みに目頭が熱くなった。

「・・・俺と同じ物なんて持ちもしない癖にっ・・・」

耳の裏側から響く低い声が啜り泣く様に聞こえ、ゆっくりと首を後ろへと回せば視界の端を、ほんの少しだけクラウドの髪色が掠めた。

「ク、ラウド・・・」

「・・・・・・知らないだろう」

互いの呼吸音だけが辺りを埋め尽くす空間で、クラウドの発する声はやけに大きく聞こえた。
その先程のような息の詰まった声音とは違う声質に、クラウドの感触の染みついた背骨が軋んだ。

「俺が、お前をどんな目で見てるか」

あっ、と。
声に出す暇もなく、腹に回っていたクラウドのその手が腰に巻いたエプロンからシャツを引き抜くと、何の躊躇もなく腹の中へと忍び込んできた。

一つ、瞬きをした間に起こったその一瞬の事に反応が遅れ、壁に押さえつけられていた手に力が篭り爪先が硬い表面を強く引っ掻く。
ガリリと、爪の割れそうなその不快な音とクラウドの恐ろしいまでの皮膚の冷たさに「ひっ」と喉が鳴った。

「待っ・・・!」

乾いた指先が、腹から胸にかけてゆっくりと這い上がってくる。
蛇のような、その動きと冷たさに咄嗟にクラウドの腕を掴んだ。
震える息が口の中で渦巻き、何度唾を飲んでも乾いたように喉が悲鳴をあげる。
掴んだ腕を服の中から追い出そうと、自然と掴む手が下へ下へとクラウドの腕を押し遣るのに一向に上へと昇ってくるクラウドの手は止まない。
その手の冷たさからか、それとも緊張からか。
なぞる指先の線がくっきりと浮かび、触れられた箇所が遅れて熱を帯びる。
熱塊で焦がされていくようなその鋭い火傷にも似た痛みを含む熱さに、恐怖心が足元からひっそりと顔を覗かせた。

「クラウド!やめっ―、」

目に見えるその動きと、肌の上を直接這う感触に益々恐怖心が煽られて足が震える。

「やめろ!」

何をされているのか、わかっているからこそ。

「やめない」

「クラウド!」

感情の篭らない声が耳殻に纏わり付き、少し荒れているのかカサついた唇が項に落ちた。
その荒れた唇の感触が皮膚の上を滑り啄んで行く度に、視界がぶれる。

「やめ、ろ・・・」

友人でもない、しかし他人とも呼べない。

何処に置いていいかわからない、ただの男の手と唇が其処にはあって。

「やめろってば!!」

それが胸の奥から生まれた感情を躊躇いもなく崩していく事に、胃を押し潰すような痛みすら覚え、堪らず叫んだ時には既にクラウドの這う手は止まっていた。

服の中に入り込んでた手が、胸の真ん中辺りで止まっている。

十分に俺の体温を奪い取った筈だろうに、いつまでもクラウドの手は冷たい。
そこだけが、切り取られて何か別の物の様に。

「・・・・やめ・・・て、くれよ・・・」

情けないくらいに声は震え、奥歯が不自然に鳴る。
それは目に見て、そうして肌を通して感じる確かな恐怖心からだ。
だけどそれよりも悲しいのは、すぐそこに居るのに、互いに何一つ伝わらない事で。

体を這い回った手より悲しかったのはきっと、そういう気持ちだと今ならはっきりと自覚出来た。

「・・・これで、わかっただろう」

項にかかる荒く熱い息が、押し殺したような声に乗って鼓膜を震わせる。

「お前は俺を受け入れられないし、同じ物なんて、持てない・・・・」

熱かった息が一瞬遠ざかったかと思うと、トンと軽い音を立てて肩に新しい重みを生まみ出した。

「どんなに言葉にしても・・・変わらない事もあるんだ。
・・・俺とお前が友人でいられないのも・・・・男同士なのも・・・」

ぐっと、肩に押し付けられているのがクラウドの額だとわかっていても。
俺は振り向く事が出来ず、只管クラウドの言葉に息を飲んだ。

此処に居るのに、俺とクラウドは。
ぴったりとくっついているのに。

何一つ、混じり合わない。

「・・・だからもう、終わりにしたい」

絞り出す、その聞きたくない言葉に耳を塞ぐ事も出来ずに茫然と目の前の壁を食い入るように見つめた。



(終わりになんか・・・)



「・・・お前を・・・忘れたいのに・・・、」



(忘れたくなんか・・・)



壁に押さえ付けられていた腕が僅かに軽くなる。
見上げたそこからクラウドの手が俺の手の甲にそっと重なったかとおもうと、まるで抱き締めるかのようにクラウドの指が俺の指の間に折り重なった。

「・・・それなのに・・・まだお前が、好きで・・・」

通路に響く、その押し殺した声に一気に視界が歪んだ。

厚い膜の張る視界を覆い尽くす濃灰の壁に浮き出た染み。
その一点が薄く広がっていく様に、いつからか違った気持ちは枠を超えてこの染みのように広がっていったのだろうか。

ただ好きだという、それすらも重なる事が出来ずに。

「・・・好きで・・・、・・・っ、」

肩からひたりと伝う濡れた感触。
じんわりと浸透していく温い様な冷たいそれに、触発されてぷっくりと下瞼の上に膨らんでいた水が緩やかに落下した。

重なり握ったクラウドの手が小刻みに震え、その小さな振動に今日まで一人耐え忍んできた姿を見てしまった気がして、頬を伝う雫は一層激しさを増した。

「・・・もう・・・終わりにさせてくれ・・・」

その水滴よりもずっと緩慢な動作で、するすると手から、服の中から離れていくクラウドの白く長い指。
そこからは、最初のような荒々しさは何処にも見当たらない。

背中にあった重みも徐々になくなり、すぅすぅと冷たい空気だけが入り込んできてそこが、暖かかったのだと冷気に奪われて初めて気付いた。

「い・・行か、ないで」

咄嗟にそう声を出すも、嗚咽に阻まれ言葉が何度も引っ掛かる。


「・・・終わ、りになんか・・・っ、したく、ない・・・」


知っていた。

理解していたつもりだった。

忘れたわけでもなかった。


だけど、いざ男である事を思い知らされて、その欲が自分に向いていると知って、慄いた。

それはクラウドを拒んだ事になるのだろうか。
目先の感情だけで動いたように思われていたんだろうか。
この気持ちに、嘘偽りなんてないのに。

それを今以上に伝えるにはどうしたら良いのか。

「っ、」

膝から崩れそうになる体を、壁に置いた腕一本で支える。
ぎゅっと手の平を握り、丸い拳を作っては歯を食い縛った。

涙ばかりの零れる今、背後でクラウドの足音が遠ざかるのがわかってはいても、止める言葉は出てこない。
漏れるのは、どうにもならない詰まる悲鳴のような嗚咽だけ。

じりじりと、痛みの積もる喉元が何度も何度も忙しなく動いては、落ちるだけでは間に合わない涙を飲み込んだ。


(行かないと・・・クラウド、追いかけないと・・・)


もうないはずの背全体から伝わる空の重みが、行き場のなかったクラウドの5年分の想いのようで。
それをこうして直に肌で感じなければ、ずっと気付かずに受け止めたつもりで軽視していたに違いない。



この、呼吸もままならない程の長く眩暈を引き起こすような激しい情感に。



扉の閉まる音を背に、それでもクラウドを諦める事など僅かも出来ず。
震え今にも座り込んでしまいそうな足に動けと、叱咤を繰り返した。






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