5年後の結末21
三ヶ月。
経ったの三ヶ月。
それは共に過ごした5年には到底及ばない小さな月日。
だけども、確かにそのクラウドの刻んだ時間に俺は存在していない。
知らない間に、知らない事が、知らされる間もなく。
ただ、どうにもならない気持ちだけがそこに留まり続けた。
低く唸るフラワーキーパーの機械音に耳を預けながら、それでも視線だけはクラウドの背を追った。
飾った花には触れる事もなく、スーツのポケットに両手を突っ込んだままただジっと目の前のスタンドフラワーと対峙をしている。
俺と言えば、どうして良いのかわからず結局入口で足を止めたままこうして音に集中している振りをしながらクラウドを盗み見る事しか出来ずにいた。
(・・・事前に来ること教えてくれって、言ったのに)
今更居もしない店主にそう恨み事を吐き出したとしても、仕様がないとわかってはいたものの、自分は何の心構えも出来ていない。
あれだけ逃げるなと、怖がるなと、決めた覚悟ですら本人を目の前にすれば何の役にも立ちはしなかった。
その証拠に、俺は今怖くて堪らない。
クラウドはそこに居て、数歩歩いて近付けば手が届くのにそれをする事すら無言に咎められる。
言いたい事も話したい事も沢山あった筈なのに。
水分を含み過ぎた綿のように、触れれば沢山の感情が溢れてしまいそうだった。
「すまなかったな」
「・・・え、」
「フリオニールに作ってもらう予定で頼んだんだが、苦手とは知らなくてな」
「・・・気にしなくて、良いッスよ」
きゅっと、握ったエプロンの端。
皺が寄り過ぎて、引き攣れた様に歪む。
「助かった、有難う。
当日もこれで頼む」
そこにきて漸く振り返ったクラウドの青い瞳と、視線が混ざった。
久しく見てはいなかった真っ直ぐな瞳。
あの瞳に、俺は映ってはいない。
俺だけがこの目にクラウドを映している。
ジジジと、また唸りだしたフラワーキーパーにクラウドがつられるように顔を向けた。
「・・・結婚式、行くんスか?」
「あぁ」
声を掛けても、クラウドの顔はこちらを向かない。
俺の声なんてまるで聞こえていないかのようにずっと、収納された花達の方へと視線を彷徨わせていて。
「そっか・・・、その花喜んでもらえるッスかね」
「さぁな」
向かない視線は拒絶の現れだろうか。
素っ気ない、返事も。
もう自分を見てはいない人間と向き合うというのはこんなにもしんどい。
入り込む隙間の狭さを見せつけられているようで。
「でも、結婚式に個人でスタンドフラワー贈るのって珍しいッスね」
一つ言葉を口にする度に、喉の奥が焼ける様に痛む。
抵抗するように、無駄な言葉を吐いたとしても広がる空気も俺とクラウドの何かが変わるわけでもないのに。
こんな風になる前はどうやって会話の糸口を掴んでいたのか、今はもうそれすら思い出せない。
「・・・花束の方が結構多いんだけど」
「・・・そうかもな」
続かない会話は簡単に途切れ、後味の悪い余韻だけが辺りを漂う。
先程から響く機械音だけが室内で聞こえる唯一の音で、これがなければただ静かな空間に身を置く事に苦痛すら感じたかもしれない。
エプロンを握り過ぎた指に力が入り過ぎて、布越しに爪先が当たる。
「・・・フリオニールは俺から連絡しておく。
今日は有難うな」
漸くフラワーキーパーから顔を背けたクラウドが表情のない顔でそう言いうと、カツンと靴底を鳴らして一歩前へと踏み出した。
早くもなく、遅くもない、一定のリズムで刻まれる靴底の良い音。
それが自分の鼓動と混じって嫌な音に変わる。
眩暈を引き起こす様な痛みに、顔を顰めるよりも早く口を開いた。
「クラウド」
思っていたより、自分の声がしっかりしている。
喉は相変わらず焼ける様だし、口の中もカラカラに乾いているのに。
「なぁ、クラウド」
歩みの止まったクラウドに、今度は自分の方から少しずつ歩み寄ってみる。
それは俺が一番最初にするべき事だったと、今更ながらに踏みしめた硬い床を確かめる様に繰り返し自分に聞かせた。
「俺・・・、ずっとクラウドに会いたかったんだ」
会いたかった、本当に。
ずっとずっと。
「声も、聞きたかった」
また、ティーダって呼んで欲しくて。
何度でも呼んで欲しくて。
そう思って、口にした俺の言葉にクラウドの目がすぅっと細くなる。
「クラウドは、もう・・・終わりにしたいって言ったけど俺、まだ終わらせたくないんだ」
その目の冷やかさに、怯んでみっともなく太股が震える。
だけど、今を逃したら次はもうない気がした。
開いた時間の分だけ、クラウドとの距離が遠くなっていつか忘れられてしまうんじゃないかと、そう思うと。
「・・・悪いが、話す事はもうないと言った」
だから突き離す様にそう言われても、退いてやる気なんか全然なくて。
「待てってば!」
足早に横を通り過ぎようとしたクラウドの腕を咄嗟に掴むと、力任せに叫んだ。
「クラウドになくても俺にはあるんだ!」
どれだけ拒絶されても言うと決めた。
何度だって、言うと決めた。
覚悟は全然足りないし、怖くて声が引っくり返るけれど。
でも、それでも好きなんだ。
忘れられたくないんだ。
「・・・離せ」
「嫌だ・・・離さない」
腕を振り払われない様に、ぎゅっと力を込める。
「行かせたくないんだ・・・」
そう言った言葉に、クラウドの肩が小さく本当に小さくだけど揺れた。
「俺、気付くのが遅くて・・・全部失くさないとわかんなくて・・・。
だからこんな事になったのは、全部クラウドの所為だってずっとそう思ってた。
友達じゃいられなくなったのも、5年の思い出がなくなったのも」
クラウドの所為にすれば、それで良かった。
そうすれば俺は何も思わずに済んだ。
友達じゃいられなくなった事に目を背けた事も、思い出を汚された事にも。
「クラウドの言葉の意味、わかってたのに逃げて・・・なかった事にしようとして・・・」
それがどれだけの物を失うか、知りもしないまま。
「その癖・・・クラウドが居なくなると思ったら、耐えれなくて。
その他大勢なんか、嫌で・・・」
クラウドを掴む手の平がじんじんと熱を帯びる。
それに呼応して、目の奥が滲みるように痛んだ。
「勝手だってわかってる!今更だって言われても仕方なくて、でも・・・っ、」
三ヶ月。
傷付けてきた。
撫でる振りをしては引っ掻いて。
突っ撥ねては、その手で自分だけを守った。
「・・・でも、」
居なくなって初めて、その手の狡さに気付いて。
それがどれだけの事をしたのか、その時になって漸く理解して。
今更で、本当にどうしようもないけれど。
「・・・っ、好きなんだ・・・」
後悔を覚えた日から、幾度となく腹底を這い回っていた言葉を絞り出した。
「クラウドが・・・、好き、なんだ」
一欠片でも良い、この想いが届いてくれれば。
クラウドの何処かに残ってくれれば。
願う様に、そうしてどこか懇願するようにクラウドの後頭部を見つめ続けていれば、動きを止めたままだったクラウドがゆっくりと首を動かし振り返った。
その、予想していなかった射殺す様に強くそうして苛立った瞳に動揺して、ひゅうっと喉から奇妙な息が漏れる。
「・・・何のつもりだ」
切り捨てる様なその声の低さに、半端に開いたままの唇が震えた。
「クラ、ウド・・・」
伝える事は困難で、きっと俺の言葉に反応が捗々しくないのもわかってはいたけれど。
恨みの篭る様な視線を向けられて、それが俺を射抜いているのだと知って。
大袈裟ではなく、首を絞められ息が詰まるような感覚に陥った。
これが、俺がクラウドにやってしまった事の代償なのだろうか。
「ふざけるのも大概にしろ」
振り払われた腕が、力無くクラウドの仕立ての良いスーツの袖を引っ掻き宙を滑る。
その冷たい声も、目も、振り払われた腕の強さも全て俺に向けられているのだと知って、血管が収縮するような酷い緊張感に襲われた。
耳鳴りのように聞こえる心臓の音と、冷え切っていく指先に自分が傷付いているのだと知る。
そうして傷付いた事がどうしようもなく情けなくて、また傷付いて。
「っ・・・、」
去っていくクラウドの足音が、遠ざかったり近付いたり。
上手く音を拾えない。
(クラウド、行かないで)
行かないで、お願いだから。
誰も知りもしないだろう痛みの中で一人声をあげる。
(行かない、で)
ほつれていく自分の声に重なって、いつかこの場所でティナが纏わせていた柔らかな煙草の匂いが鼻を擽った。
それはあの時よりもずっと、濃く重く俺の皮膚を刺激して。
「・・・っ、クラウド!!」
床にへばり付いて離れなかった足に力を入れると、最早呼びかける声を聞く気もないのか立ち止まる事もせず部屋から出て行ったクラウドの後を追い、俺も転がる様に後に続いた。
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