5年後の結末18








今度こそ、とか。
次は、とか。
ちゃんとしないと、とか。



そういうのって、まだ想われてるんだと心のどこかで安心だか期待だかしていたから、出て来た気持ちなんだと思う。
だったらもうこっちを向いてはいない人間には、どうやってそれを持てば良いんだろうか。
簡単な言葉ですら通じなくなった俺達の間に、何かそれを持てるだけのものは残っていないのだろうか。




ほんの少しで良い。

ほんの少しで良いから。














「・・・気持ち悪い」

皮膚に張り付く粘っこい、ひんやりとした感触。
毛穴の中に入り込んでくるようなじゅくじゅくとした感触も実に好ましくない。
洗面台の側に置いてあるゴミ箱に目を落とせば「美肌効果大!コラーゲン増量」と男の自分には生涯縁のない様な文字の羅列が破り捨てられたパッケージの表面に書かれていた。

何か、いつもと違う事をしたいと思ったのだ。

例えば俺の場合、朝8時には起きてそこから10分くらいはベッドに未練がましくへばり付いている。
そろそろ起きないと、っていう言葉を数回零して漸く這い出すと歯を磨きに洗面所へ行く。
顔も洗って、さっぱりしたところで気分が乗ってれば時々走りに行って。
最後に朝陽を浴びながら走ったのは一体いつだったか覚えてない辺り、日課ではなかったのだろうと思うけれど。
まぁ良い、走りに行ったとしよう。
それから9時前には家に戻って、シャワーで汗を流して朝飯を食って9時45分には家を出る。
これが俺のいつもの生活。
夜の生活リズムはいつも滅茶苦茶で、その日その日によって全く違うのに朝だけはあまり変わり映えしないのだから、何とも不思議な事だ。

だから、少しだけ何か違う事をしたかった。
そうすれば、何か変わるかもしれないと単純な俺は単純なその考えに従順に従って。

そうでもしないと、安らげる筈の自分の家と言う名の城に忍びこんできたいたたまれなさに蹲ってしまいそうだった。

「何が美肌だよ」

だからと言って、何もクジャから押し付けられたパックなんて使うんじゃなかったと思う。
顔にピッタリと張り付いた様はまさに能面のようで、狭い口周りは口角の制限をされて笑うと不気味に拍車がかかる。
ずるずると、肌の上を這い回っている液体が零れて首筋を辿る頃にはもう耐えられず、顔から剥ぎ取ると迷わずゴミ箱へとぶち込んだ。

「あーくっそ、気持ち悪ぃ」

クジャに言ったら勿体無いだとか何だとか言われそうだけれど、やっぱり駄目だ。
蛇口を捻って水を出すと、顔の表面にたっぷりと付着した液体を念入りに洗い流した。

完全に失敗だ。

珈琲に入れる砂糖をいつもより少しだけ多くするとか、いつもより一時間早起きしてみるとか。
そういう事にしておけば良かった。

いたたまれなさが僅かも和らいでいない事を紛らわしたくて、流れていく水を掬うとばしゃりと大きな音と立てて顔面を浸した。













***






「綺麗ね」

小さくて、だけどよく通る高い声音に首を捻った。

「そうッスか?」

「うん、綺麗」

首を捻ったまま声のする方へと顔を向ければ、安物のパイプ椅子に腰を下ろしていたティナがもう一度「綺麗よ」と念を押す様に言った。

綺麗だと言われる事は、素直に嬉しい。
だけど、僅かも自分の中で満足のいかない物が他者から見て綺麗と思われるのは、なんだか嬉しさと悔しさの中間を彷徨っているようで、少し居心地が悪い。

「そうでも、ないんスよ」

目の前の大きなスタンドフラワーの造り掛けを見つめると、益々そんな気持ちになってくる。

「なんか、やっぱり違うんだ」

そう零すと、オアシスに刺さっていたグラジオラスを抜き取って作業台にそっと落とした。

結婚式に贈る御祝い用のスタンドフラワーを造って欲しいと、頼まれたのはほんの二日前の事だ。
頼んできたフリオニールが、その手の物を造るのが苦手だと言う事はずいぶん前から知っていたから二つ返事で了承したけれど。
依頼主が誰か、後から聞いて酷く動揺した。
出来れば頼まれた自分が作ってやりたかったと、フリオニールはそう言っていたけど得意不得意があって当然で。
出来ない事を無理にやるより、出来る人間に任せるのは正しい判断だったと思う。

だから仕方ないんだとか、仕事だからとか。

そういう気持ちを建前にして、今日もこうして一人狭い作業部屋でせっせと来月婚礼を控えた男女に贈る為のスタンド花を作ってはいるけど、かかった時間の割りに全く仕上がりの構図が浮かんで来ない。
結婚式は来月だと聞いたけれど、今から準備に取り掛からなければきっと間に合わないのに。
何度も刺しては抜いてを繰り返した所為か、土台のオアシスは穴だらけだ。
これでは流石に一度取り変えないといけないだろう。

依頼主がクラウドだと聞かされなければ、きっとこんな風に手間取ったりなんかしなかったのに。

「全然浮かんでこないんスよ」

だから、適当に花を差し込んでるだけになってしまう。
花を送られる側からすれば、全く持って失礼な話しだけれども。

「いつもなら、パパって浮かんでくるんだけど」

「そう」

「うん。ちょっと、駄目かな」

「そうなんだ」

「うん」

ティナの良いところだと思う。
あぁ、せっかく綺麗だったのに勿体無い、なんて言わないのは。

「此処の花、全部使うの?」

「わかんないッス」

倉庫としても使っているこの部屋には、フラワーキーパーに収められた花達が部屋を取り囲んでいる。
照明は一つしかないのに、色を持った花が所狭しと並んでいる所為か陽が差し込んでいるんじゃないかと勘違いする程に室内は明るい。

「こういうところに囲まれてお仕事出来るのって、何だか羨ましい」

「見てるだけならそうッスね」

「ふふ、そうかも」

肩を揺らして笑ったティナの下で、粗末なパイプ椅子がギチギチと音を立てた。
幾ら顔見知りと言っても、ティナは女性なのだからこんな安っぽい今にも壊れそうな椅子じゃなくて、もっとまともな物を用意するべきだったんじゃないかと思う。
経費で新しい椅子を買わないかとフリオニールに持ち掛けてみようか。
ティナの為だと言ったら、きっと駄目だとは言わない筈だろう。

「ねぇ、ティーダ」

「ん?」

無意識のうちに手に取っていたカサブランカを数本翳してみて、悩む振り。

「クラウド、呼ぼうか?」

声か名前か、判然としないけれど。
心臓が嫌な跳ね方をして、振りだけだったのに本当に悩んだ。

「何・・・急に」

「だって、ティーダ私達が訪ねに来てから一度も表に出てないでしょう?
手が離せないなら、呼んでくるよ」

忘れていた訳じゃないけど。
今ティナが此処にいるのは、クラウドと共に店に来ているからで。
知っていて、わかっていて、気にしない様にしていただけ。

「良いよ、クラウド今フリオニールと仕事の話ししてて忙しいだろうし。
どうせ店以外でも会えるしさ」

手に取ったものの、どうにも刺す位置がわからず作業台に戻すと今度はグリーンを代わりに取り上げた。
そうだ、まずはアウトラインを決めないといけなかったんだ。
すっかり忘れていた。
これじゃあ作れない訳だ。

「良いの?」

「うん」

「本当に?」

「後でメールしておくから」

馬鹿馬鹿しいにも程がある。
オアシスに刺したグリーンがゆらゆらと葉を靡かせる度に、眩暈がしそうだった。



店以外で会えるからだって。
メールしておくからだって。



馬鹿馬鹿しい、本当に馬鹿馬鹿しい。


どれもこれも全部出来ない癖に。
当たり前みたいに、友達だった頃のものを主張するんだ、俺。

「そう」

「うん」

もう友達ではない。
知り合いでも、ない。
他人になった。
繋ぐものが何もないんだよ、俺達。
だからずっとずっと、俺は後悔ばかりしてる。

ねぇ、俺もクラウドの事、好きだって言っても良いのかな。

そう囁くチャンスを自ら捨てたから。


(今ならクラウドの気持ちがわかるとか、そんな都合の良い事思わないけど)


それでもいつまで経っても腹の下で蠢く物が消えないのは、諦められない証拠だ。

リセットはされなかった。
崩れて、焼けて、更地になっただけ。
全部失くした代わりに、遅すぎる好意と未練だけがそこに残っていて、未だに持て余している。

その他大勢と同じだと、あの口から言われたのに。


「二人共、同じ事言うのね」

「え?」

「そうやって、同じ事言う」

大きなティナの瞳が、薄らと揺らめいた。

「ねぇ、お花見」

「え?」

「来週だって」

急に逸れた話題に、何がどうだと聞きそびれてしまった。

「そっか」

「うん」

「ちょうど、散る頃ッスかね」

「そうね。
きっと綺麗よ」

きっと。
二度目のティナの言葉は少し強くて、綺麗だった。

こんな風に、何かを強く言葉に出来たら変わるだろうか。
どんなにクラウドに求められても、一定に保った距離から近付こうともせず、決してクラウドを見てはいなかった俺が、今度は。


『ティナ』


コン、っと。
薄い扉が二度叩かれた。

ティナを呼ぶ、扉の先の声にじんわりと指先が熱を帯びる。

俺が呼ばれているわけじゃないのに。
声を聞くだけで、思い切り目を瞑って唇を噛み締めたくなる。
それは身にあまる衝動を堪える為の自己防衛にも、少し似ている気がした。


『そろそろ戻るぞ』

「うん、わかった」

相変わらずギチギチと音を鳴らす椅子が、ティナが腰をあげた事で一層大きく啼いた。

「ティーダ、お邪魔させてくれて有難う」

「うッス」

「またね」

横を通り過ぎたティナから、クラウドの煙草の匂いが香った気がして堪らず息を殺した。

「ティーダ」

扉の開く音と共に呼ばれた名前。
振り向けば、きっとクラウドがいる。

「次はお花見の時にね」

「・・・うん」

じゃあね、と。
続いた柔らかな声に引っ張られ、後ろを振り返れば。
閉まり行く戸の小さな隙間から、クラウドの青い瞳と一瞬視線が交わった気がした。

「・・・クラウド」

完全に閉まってしまった扉。
こうして、こんな風に。
何事もなかったように、俺達は終わって行くんだろうか。

「行かないで」


ねぇ、俺だってまだ、伝えてない。


「・・・行かないでよ」


本人の居ないことろでしか口に出来ないみっともなさ。
終わりにしたいと言われたのに、終わらせたくない未練がましさ。

どんなに泣いても喚いても、俺の触れたクラウドはもう何処にもいないというのに。

静かな室内で、フラワーキーパーから漏れるジジジという機械音だけが、いつまでも居たたまれなさと一緒に腹の底に重く振動を響かせていた。





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