情痕跡








じっとりとした熱気が体中に纏わり付き、肌の上をすらすらと滑ってはまた戻ってくる。
露出した肌の上でこれだけの熱気が直に伝わっているのだ、服の下はきっと想像している以上に汗を掻いているに違いない。

「熱くない?」

その熱気を生んでいる正体である温かい湯を片手で掬うと、指の隙間から逃げ出していくのも気にせずゆっくりとティーダの肩にかけた。

「・・・少し」

人間の手というのは、形のあるものに触れる時には敏感だが、温度には些か鈍いと思う。
手を浸し掻き回した時には丁度良かったのに、いざ体を沈めると案外熱くて突っ込みかけた足を退いてしまう事もある。
今、ティーダが浸かっている湯とてそうだ。

ティーダが長時間浸かっていてものぼせてしまわないようにと、細心の注意を払ったつもりだったのに、俺の手はどうやら温度を読み間違えていたらしい。

「水、汲んできて足そうか?」

毎朝近くの湖やら川から汲んでくる水は備蓄されている筈だ。
多少使ったところで問題なんてないだろう。
足りなくなったら、また汲みに足を運べば良い。
それが駄目なら今から俺が汲みに行ったって構わない。

「・・・いい、このままで」

ゆるゆると頭を振ったティーダの頬に濡れた横髪が張り付き、細い水滴が線を作っては幾度も流れていく。
それが、顎に辿りつくと煙りのあがる湯だまりの中へと落下していった。


綺麗だと思う。
こういう時のティーダは。


水に浸かっている姿などもう腐る飽きる程見てきたが、これがこんなにも新鮮に見えるのは湯の所為だろうか。
寝癖の様なピンピンと横に跳ねている髪も、今は多分に水分を含んでその重さから元来あるべき重力に従って下を向いていて、少し陽に焼けた肌は湯加減の所為か赤味を伴っては皮膚の薄い部分をより強調して見せている。
何もかもが、いつものティーダとは違って見えて。
それを見ているのが今俺一人なのだと思うと、狭い浴室に篭り徘徊する熱気よりもはるかに熱くぐずぐずとしたものが下腹部の方からせり上がってきた。

こんな時にそんな事を考えている場合ではないのだとわかっていても、頭のどこかで役得だと意地悪く思う自分に僅かに口角が上がる。
そうなると今度は、ティーダが怪我をして良かったと最低な考えまでもが笑顔で顔を出した。


先の戦いで、ティーダは背中と手足に怪我を負った。

背中には斜めに大きな一閃を描く様な傷が。
手足には片方ずつに、火傷を伴った深い傷が。

傷を負った直後に一緒に居た仲間達が持ち合わせていたありったけの水剤を振り撒いたらしいが、それでもティーダの傷はすぐには治らなかった。
小さな擦り傷や斬り傷はもう瘡蓋を作り初めていたが、背中と手足には今も相変わらず大きな傷を負ったままだ。
完治するまで寝たきり、という訳ではないが動かすのも大変な今、風呂を一人で済ます事が出来ない。
誰かが風呂の世話をしてやるべきだと、そういった話しが出るまでは然程時間もかからず。
きっと本人は嫌がるだろうと、過保護な連中は口走っていたが結局その予想を大きく裏切る形で、ティーダはただ一つ小さく首を縦に振った。

「薬、新しいの調合したから。
あがったら、試そうな」

「うん」

最初こそ、風呂の世話までされる事は思春期のティーダにとって屈辱だったのか、むっつりと口を噤みそっぽを向いたままただの一言も言葉を発しなかった。
見兼ねた連中共が世話役を換われと口喧しく言っていたが、薬の調合や手当ては俺が一任されている。
他に出来る奴はいないし、他の仲間が大きな怪我をした時だって俺が面倒を見て来たのだ。
今更ティーダだけの世話を換われ等と、寝ぼけた事を言われても譲る気は更々ない。

俺が最初から最後まで、起きてから寝るまでの全ての面倒を見るんだから。

「沁みたら言えな」

「うん」

再び自分の手を湯に沈めて温かな液体を掬うと、ティーダのかたにそろりとかけ流してやる。
そうすると早くも遅くもない速度で、ティーダの肩から胸をするすると湯が伝っていく。

あぁ、良いな。

今流れた場所を俺も指でなぞっていきたい。
きっと湯に触れるより熱くて、気持ちが良いに違いない。
熱気に当てられ額に滲んだ汗を、胸倉を掴んだ自分の服で拭うと先程よりも視界が鮮明になった様な気がした。

「なぁ、バッツ」

「ん?」

ティーダは水面に映る自分の姿でもみているのか、湯に顔を落としたまま一点をじっと見みつめている。

「ごめんな」

世話、してもらって。

音こそなかったが湯の中に居た自分の手が盛大に跳ねた。

「情けないッス」

「そんな事ない」

「あるよ」

「ない」

「だって、」

「ないって。
俺がないって言ったらないの」

湯を掬い続けていたせいか、引き上げた手は手首から先が真っ赤に染まっていた。
その濡れた手をティーダの背中の傷口にそっと当ててみる。

案の定、沁みたのかティーダの体が硬直し表情が崩れた。

「ほら、まだ痛いだろ?」

当てていただけの手を上下に動かし、呻くティーダを無視して何度も何度も其処に手を這わせた。

「痛い、けど」

「うん、だからな、良いんだ」

そうして少しだけ、その傷口を爪で引っ掻くといよいよティーダの顔が苦悶に歪んだ。
決して痛いとは口に出さないティーダだったけど、唇を噛んで痛みをやり過ごそうとする姿に、これは流石にやり過ぎたと手を離した。

「ごめんな、痛かったよな」

思ってもない事を口にしながら視線を落とせば爪と指の隙間に、湯で滲んだ血が僅かに広がっていた。
その赤があまりにも鮮やかで、ぐずぐずと下腹部で渦巻いていた熱気がぞわりと一層膨らみ、汗を掻く程熱い浴室に身を置いているのに全身が総毛立った。

「っ、大丈夫・・・」

「ごめんな。
傷口拭くから、そろそろあがろうかティーダ」

「うん、」

「じゃあ掴まって」

浴槽の縁に手を置き、ぬっと首をティーダに向かって差し出す。
そうすると、ザバザバと湯が激しくうねる音と共に、熱い熱い塊が首に張り付いた。

「バッツ、また服濡れる」

「良いの。
服くらい、着替えれば良いんだから」

首に回された濡れたティーダの体を引き上げると、そのまま抱え上げた。
薄い服を簡単に濡らしてティーダそのものの温度がじわじわと溶ける様に体に染み込んでいく。

この瞬間が堪らなく好きだ。
まるで俺まで一緒に湯に浸った気分になる。

「ごめんな、バッツ」

「ほらまた謝る。
良いんだって」

「ごめんな」

「良いんだよ」

でもそう言ってもティーダは明日も俺にごめんと謝るのだろう。

こんな事、苦でも何でもないのに。
ティーダの為ならば、何だってしてやるのに。
怪我が治ってからだって毎日お風呂に入れて、寝るまで傍に居てあげるのに。


(お前にだったら、俺全部差し出せるよ?)


ひたりひたりと、ティーダを抱えたまま心の中でそっと囁く。

「早く、治ると良いな」

「そうッスね」

「ゆっくり治していこうな」

「うん」

頷いたティーダが少しだけ笑ってくれた。
まるで、俺の心の中の囁きに返事をしてくれたようで言い様のない幸福感が濡れた皮膚に浸透する。

「ゆっくりな」

「うん」

ゆっくりゆっくり。

沢山時間をかけて治そう。
その間だけは、お前は俺のものになる。
だから沢山俺に、世話をさせてね。


俺の全部、あげるからさ。


「バッツ」

「ん?」

「部屋戻ったらさ、林檎食べよう」

「良いよ」

酸っぱいのが良いなぁと湯の熱に浮かされたように、ぼんやりと呟いたティーダに俺は細く笑うと濡れた髪へと鼻を押し当てた。
熟れた林檎と同じ色をした、あの背の傷。
そこに重なるように俺がつけた小さな引っ掻き傷だけは。




あれだけはいつまでも、ティーダの背に残ってて欲しいと願いながら。




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全部君のもの





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