夏の終わりに


夏休みも残すところあと1週間。中学校生活最後の夏休みだと言うのになんの思い出も作れなかった。そもそも予定がなかったから、あっという間に宿題が終わった。それはある意味よかったかもしれない。

テレビからは、夏の風物詩と言われている高校野球の決勝戦が流れている。野球のルールはあんまり分からない。でもお母さんが見ているからつられてあたしも見る。

「弦一郎くん明日が決勝戦って言ってたわよ、見に行かないの?」
『うーん...』

実は弦一郎から決勝戦を見に来て欲しいと声を掛けられたけど、あたしが行ってもいいのかな。深く考えずに立海を応援しに行くって事で行けばいい話だけど、もしあたしの姿を見た小田原さんとか...精市が気分を害さないかなって。でも、弦一郎がテニスをしている姿も見たいし、だったら精市も...。悩んでいるとテレビから歓声が聞こえてくる、優勝校が決まったらしい。


結局あんまり寝れなかった。まだ迷っている。でも、こんなことしていると試合が終わってしまう...。会場までは1時間程。ここで見に行かなかったらきっと後悔する...。弦一郎は三連覇の為に中学校生活をテニスに捧げた。精市は、途中病に倒れながらも克服して、やっとの復帰の試合なんだ!あたしは出かける準備をして、家を出た。いつも精市の試合を見に行く時に必ず持って行っていたお守りを握りしめて。


会場に着くと、盛り上がりが最高潮に達していた。まさに精市の試合だった。相手の男の子も負けじと頑張っていて、若干精市が押され気味だ。

「優勝は青春学園!」

精市は負けた。でも、凄く感動した試合だった、来てよかった。弦一郎の試合を見れなかったのは残念だけど、精市の試合を見れたのが何よりも良かった。閉会式も終わって会場を出ると名前を呼ばれたから振り向くと弦一郎がいた。こういう時、なんて声をかければいいんだろう。三連覇を成し遂げることが出来なかったんだ、普段からあんなに言っていたのに...。幼なじみ相手でも、分からないことはある。

「何も言わないでいい、来てくれただけで有難いからな」
『ごめん...、あと、弦一郎、お疲れ様』
「ああ、有難う。俺たちは負けた」
『...。』
「幸村のところ、行かないのか?」
『ううん、行った時点であたしは何も出来ないし帰るよ』

「彩華、来てくれてありがとう」

弦一郎の後ろから現れたのは、精市...。無理やり笑ってるのかな、だけど相変わらず綺麗な笑顔。精市は今日初めてテニスで負けたのに。

「幸村、先行ってるぞ」
「ああ、悪いね」

え!弦一郎行っちゃうの!?弦一郎よりもなんて声をかければいいのか分からないのに。夕陽に照らされて、辺りがオレンジ色になる。決勝戦が行われたアリーナをバックに、いい感じに西陽が差すから逆光で精市の表情は見えない。

『お疲れ様...』
「ありがとう、負けちゃったよ」
『ううん、精市は勝ったよ。もうテニス出来ないって言われて、でもそこからコートに戻ってきたんだもん』
「...だからこそ、悔しいんだ。勝ちたかった」

声が震えている、泣いてるの?あたしは精市に歩み寄った。この距離に来れば表情がよく分かる。きらきらと光る涙の粒が精市の頬を伝う。こんな精市の姿、初めて見た。きっと、部員の前でも泣かなかったんだろう。でも、今のあたしにはどうすることもできないんだ。

『ごめんなさい、何も出来なくて』
「いいんだ...そばにいてくれるだけで、それだけで十分だよ...」
『ちょっ...精市っ!?』

あろう事か、いきなり精市に抱きしめられる。こんな所、小田原さんに見られたら良くないのに...、でも、離さないで欲しいと思っている自分がいる。ずっとこのままでいれたらいいのに。

『精市...、あたし、汗かいたからそろそろ...』
「俺もだよ、お願いだ、もうしばらくこうさせてくれ」

静かに時が流れる。辺りには誰もいない。先程まで全国大会決勝戦が行われていたとは思えない程だ。ああ、今この瞬間がすごく幸せ、別れたなんて、精市が小田原さんと付き合っているなんて幻だったらいいのに。

「精市!もうバス出るよ...って、精市!?」

そんな幸せな時間も彼女によってぶち壊された。あたしは咄嗟に精市を突き放した。小田原さんは怒りを含んだ表情でこっちを見る、当たり前だよね、彼氏が元カノと抱き合ってるなんて嫌な気分になるに決まっている。

『ごめんなさい...』

あたしはそれだけ言ってその場から走り去った。突き放した時の精市の表情がしばらく頭から離れなかった。なんでそんな顔するの?ずるいよ、悲しそうな顔するなんて...。

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