海原祭:前編


今日は海原祭1日目。開始から間もなく、あたし達の執事喫茶は大忙し。お客さんのほとんどは女子生徒で黄色い声が所々で上がっている。

「うちのクラスにイケメンっていたっけ?」
「確かに...いなくない?」
「強いて言うなら...真田くんじゃない?」
「あ!確かにー!!真田くんかっこいいよね!身長も高いし!」
『...』

バックヤードではこんな会話が繰り広げられているけど、弦一郎は密かに人気がある。でも、モテるって訳では無い。実際、弦一郎を好きって人は聞いたことがない。確かにあの堅いのを彼氏にしたくないのは分からなくもない。

『はい!6番席のドリンク!』
「ああ、有難う」
『弦一郎...、ちゃんと笑ってる?』
「そのつもりだ」

やる時はやる男だから大丈夫だと信じよう。しばらくするとだいぶ落ち着いてきて、ウェイターを頑張っていた男子たちも休憩でバックヤードに入って来る。椅子に座るなり、俺たちだけ...と文句を言い始めた。

「女子も接客やってくれよ」
「そうだよ!たいへんなんだぞ!」
「私たちがやっちゃったら意味がないじゃない!ここは執事喫茶なんだから」
「じゃあ男装すればいいじゃねーかよ!」
「嫌よ!絶対しないからね!」

前もって決めていたことを今更揉めるのはどうかと思うけど...なんて困っているとたまたまこのやり取りを聞いていた担任が「男装いいね!」なんて言い始めて、あたし達も執事服を着てウェイターをやらされる羽目に。

「先生、酷い!」
「でも、なんかちょっと楽しそうかも...」
「彩華似合ってるね!」
『え?そうかな?』

先生は演劇部からウィッグまで借りてきて、髪が長い子なんかは被らされていた。ここまで本格的に男装させられるなんて誰もが思っていなかっただろう。

男女が混じってウェイターをすることになって、男装してると言うのが広まったのかなんなのか分からないけどまた忙しくなり始めて、確かに男子だけにやらせるのは申し訳なかったかもと身をもって感じた。

『お帰りなさいませ!』
「え、彩華...」

たまたま対応したのが精市だなんて。しかもこの姿で...。恥ずかしくなり視線を逸らすと、精市は「ふふっ」と小さく笑った。

「似合ってるね、可愛い」

どうしてこういうことをすんなりと言うのだろうか、精市は。あたしは目を丸くするけど、精市は笑みを浮かべたままだ。

『ご案内致します』

精市は1人で来て、きっと弦一郎を冷やかしに来たに違いない。弦一郎に精市が来てる事を伝えると俺が行こうと言ってあたしは別のお客さんの対応に入った。

『お帰りなさいませ』
「え?キミ女の子?可愛いね!似合ってるよ!」
『あ、ありがとうございます...ご案内致します』

なんかあんまり関わりたくない他校の制服を着たチャラい人達がやってきた。こう言うのも弦一郎にお願いしよう...と思ったけど、弦一郎も忙しそうにしていて、他の男子もみんな対応に入っていたからここはあたしがやるしかなさそうだ。

『ご注文はお決まりですか?』
「これとこれ、あとキミこの後空いてる?」
『かしこまりました。すみません、忙しいので...』
「店番終わったら俺たちと回ろうよ!」
「結構タイプだし!」

どうしよう...変に返して逆上されるのも嫌だし...。

「困ってるの気づかないのかい?」

精市...。

「お前は関係ねーよ」
「俺たちはこの子を誘ってんの」
「変なのになんか言われる前に早く行こうよ!」
『!?』

いきなり手首を掴まれる。怖い...。周りもやっとこの状況に気づいたのかざわつき始めた。弦一郎が出てくればこの人たちなんか直ぐに出ていくはずなのに...。こういう時に限って弦一郎が出てこない。でも今は彼しかいない!精市に目を向けると、今まで見たことの無いような怒りを含んだ表情で彼らを睨みつけていた。

「彼女から手を離してもらおうか」
「うるせーな」
「お前この子のなんなんだよ」

精市は席を立ってこちらに向かってくると「彼氏とでも言っておこうか」とだけ言って彼らが唖然としている隙に振り払ってくれた。

『ごめんなさい、あとありがとう...』
「大丈夫?何もされてない?」
『うん、大丈夫...』
「今のうちにバックヤード行って、アイツらまだ懲りてないみたいだから」

これほどの事があったというのに彼らはまだ店内にいて、精市が心配になったからバックヤードから見ると、男2人は精市を囲んでいる。手こそ出てないものの、あんまりいい雰囲気ではないようだ。

「彩華大丈夫だった?」
「ごめんね、助けに行けなくて。先生には伝えたからもうすぐ来ると思う」
『大丈夫だよ、せ、幸村くんが助けてくれたから』
「どうした?何があった?」
「あ、真田くん!彩華があの男2人にちょっかい出されてて止めに入った幸村くんとなんか雰囲気悪くて...」
「なに?彩華、大丈夫か?」
『あたしは大丈夫、でも精市があの人たちと...』

あたしが言い切る前に弦一郎はバックヤードから出ていってしまい、精市を囲んでいる2人に声をかけると弦一郎を見た瞬間に2人は顔を青くして店から出て行ってしまった。何事もなく収まってよかった。

このこともあり、みんなが気にかけてくれてまたあたしはバックヤードの仕事に戻った。着替える時間がなかったからそのままの格好でやっていて気づけば店番交代の時間になっていた。

「彩華ー!チェキのご指名だよー!」
『え、あたし?』

気になった執事を指名してチェキを撮るって言うのもやっていて、弦一郎は結構指名入っていたけどあたしに入るなんて...。バックヤードから出ると、指名した人の正体は精市だった。

「いいでしょ?」

うう、複雑だけど一応精市はお客さんだから拒否することはできない。それにさっきの助けてくれたのもあるし...。

『うん...』
「まだ着替えてなくてよかったよ」

ぎこちない表情に距離、意識すればするほど笑顔は作れないし、距離も出てくる。カメラ持ってる子が「もっと寄って!」「彩華、笑って!」とか言ってくるけどとにかく早くシャッター押して欲しい。やっと「はいチーズ」って写真を撮ってくれたけど、出てきた写真のあたしは酷いものでガチガチなのが写真越しでも伝わってきた。

そんな写真なのに精市は嬉しそうに受け取って「ありがとう」と笑うと、颯爽と店を後にした。あんなの持っててどうするんだろ。小田原さんに怒られないのかな。

先程の出来事での精市のセリフとか思い返すとますます色んなことが分からなくなってくる。複雑な気持ちを抱えたまま、海原祭1日目は終わった。

×
- ナノ -