もしも言葉を知らなければ | ナノ







嘘みたいに綺麗な人だと思った。


限りなく透明な太陽の光が何にも邪魔されず降り注ぐ。広く手入れの行き届いた庭園はそれを全身に浴び、緑はきらきらと輝いている。
大きな木の陰に丸くなって、その葉と葉の隙間から空を見上げたらあまりの青さと眩しさに目が眩みそうだった。
スクアーロはもう部屋に俺がいないことに気付いただろうか。そしてあの攻撃的な吊り目を更に険しくしながら屋敷中を捜し回っている頃だろうか。
見つかったらまたいつもみたいにしこたま怒られるんだろうけど、それでもあんな狭い部屋でぬいぐるみと遊んでいるよりはよっぽどましだ。

今日は庭をもう少し遠くまで探検しようかと考えながら空を見上げていると、突然、何者かの気配を感じた。場所は唯一の入口である正門の方だ。
普段は外部から人間が来てもわからないから、この屋敷に一体どんな客人が来るのか興味があった。庭園まで辿り着いたということは、そこに至るまでの幾多の警備を潜ってきたということだ。どんな屈強な大男か、はたまた腕の立つ術師、とにかく怖いもの見たさにも似た純粋な好奇心で、俺は胸の音を抑えながら客人を見張ることにした。
木の上に登り、身を隠しながらそいつが来るのを待った。しかしいつまでたっても目の前の道を人が通らない。広い庭園の中で屋敷の入口へ直接通じる道は一本。目の前のそれ以外にないはずだ。一体何をしているのかと思い、木から降りると、その道を恐る恐る門の方まで辿っていった。
気づけばもう門の前。道中で子猫一匹見なかったというのに。まさか客人など初めからいなかったのではないかという気さえしてきて、小さく舌打ちをし来た道を戻ろうしたその時、道からそれた木の陰に誰かがいるのに気付いた。思わず身構える。すると、小さな物音に気付いたのかその者はこちらを振り返った。
一刻も早く隠れなくては、その思いだけはあるのに、なぜかその場を一歩も動けなかった。
見惚れてしまったのだ。

木の陰にいたのは若い青年だった。年は自分より5つくらい上だろうか。透き通る淡い金色の髪に、太陽を受けて同じく透けそうな程白い肌。色素の薄い睫毛に縁取られた二つの大きな瞳は丸くキラキラとこちらを見ている。
こんな綺麗な人を見たのは生まれて初めてだった。いや、実は見たことがある。幼い頃に住んでいた城の大広間に飾ってあった高貴な天使の絵。彼の印象はまさしくそれを思い出させた。

「あ、あの…!」
彼の方から話しかけられハッと我に返る。
「お、おれ…その…迷っちゃって…」
そう言うと彼は恥ずかしそうに頭を掻きながら下を向いた。
「迷った」とは一体どういうことだろう。確かにここは庭にしては広いが、門から屋敷の入口まで道らしきものはあるし、どこをどうしたら迷ってそんな木の間に入ってしまうのだろう。
「きみは、ここの人だよね?その、ヴァリアーの。玄関どっちか教えてくれませんか?」

綺麗な顔で見当違いなことを言い出す彼に動揺しながらも、黙って入口の方を指差してあげた。彼は何度も頭を下げると丁寧にお礼を言って急いで屋敷に向かって走っていった。その途中にも何度か転ぶ姿を見送りながら、俺はまるで夢のような陽射しの中、惚けたように突っ立っていた。


その日の夜、屋敷に戻った俺をスクアーロは特に怒ることもなく出迎えた。虫の居所が良かったのかなと得した気分になっていると、夕飯が俺だけ大嫌いな野菜づくしで一瞬でも喜んだことを後悔した。
その夜、布団をかけにきたスクアーロを引き止めて、今日の客人のことを聞いてみた。

「ん?ああ、ディーノかぁ」
「ディーノ?」
「あれだ、その…俺の、知り合いだぁ」
彼はスクアーロの客だったのか。ディーノ、その名前を頭の中でもう一度繰り返してみた。
「あー…そういやお前のこと言ってたかもなぁ」
「俺のこと?ディーノ、が?」
「…天使みたいな子に会った、ってよ」
スクアーロはその後、平気な顔で気障なことを言える奴だとか、何が天使だ悪魔の間違いじゃないかとか、色々と愚痴を言っていた。でも俺はそんな言葉が全く頭に入ってこないほど、今日出会った彼と、初めて知ったその名に夢中だった。
ディーノ、か。何度も頭の中で反芻する。その夜は一晩中窓から月を眺めていた。何でこんなに眠くならないのか、自分でも不思議だった。


それからディーノは頻繁にスクアーロに会いにやってくるようになった。何でも他の時期は偉い人たちが集まる会に出席したりと色々と忙しく、自由に時間を使えるのが夏の間の短い期間しかないということだった。その貴重な時間を使ってまで会いに来るのだから、スクアーロはディーノにとって大切な友人なのだと思った。それが嬉しくもあり、ちょっとだけ悔しかった。
それからディーノは何度も遊びにやってきた。そしてそのうちに自然と俺もディーノと一緒に遊ぶようになった。スクアーロがボスに呼ばれていない時は一緒にチェスをしたりした。ディーノはよく転ぶくせにチェスが強くて、今まで一度も負けたことが無かった俺は半分くらい負けた。そして勝っても負けてもディーノは俺のことを賢い子だと褒めて頭を撫でてくれた。
それでもほとんどはスクアーロと三人で遊んだ。スクアーロは俺がついてくることを良く思っていなかったけれど、ディーノは一緒に来るよう誘ってくれて、最終的には何だかんだでスクアーロも楽しそうだった。
俺たち三人は一緒に石の塀に腰かけて果物をかじった。庭で水遊びをして虹を作った。街に出かけて流行りの映画も見た。時々は勉強もした。夜は空いっぱいの星を首が痛くなるほど眺めた。

ある日、スクアーロからディーノが来ることを聞かされていなかったので、今日も退屈だと思いまたこっそり庭へ遊びに出た。すると、庭を歩いてくるディーノの姿が見えた。びっくりして声をかけようと思ったが、来ることがわかっていたのに自分に教えてくれなかったスクアーロの意地悪にちょっと腹がたって、あとで二人でいる所に内緒で行って怒ってやろうと考えた。
しばらく庭で時間を潰し、屋敷に戻ってスクアーロの部屋まで行った。部屋が近づくとドアが少し開いていて、そこから僅かに二人の声が聞こえてきた。やっぱりスクアーロは自分を仲間はずれにしようとしたのだと思い、そうっとドアに近寄っていきなり出て行って驚かせてやろうと思った。しかし、それは叶わなかった。
ドアの隙間からそっと中を覗くと、いつも通りのスクアーロの後ろ姿が見えた。しめしめと思いドアノブに手をかける時、ハッと息を飲んだ。
その奥、とても近い距離ににチラと見えたディーノの淡い金髪。スクアーロの手はディーノの薄っすらと紅い頬にそえられている。二人は、キスをしていた。
心臓が飛び出そうだった。目の前の光景を信じることが出来ず、様々な感情が一気に頭の中ではじけた。いつも一緒に遊んでいた二人。確かに年齢の差はあるけれど、それでもその距離を遠く感じたことなんて一度もなかった。それが今は、こんなに遠い。まるで知らない二人の恋人を見ているようだ。ドアから数メートルもないようなその距離が、今は決して辿り着けない遠い遠い場所に感じられた。
ディーノが来ることを黙っていたスクアーロの気持ちを考えた。今までに感じたことのないくらい胸が痛んで、思わず大声で泣き出しそうだった。
それでも目をそらすことが出来なかったのは、その姿が、あまりにも綺麗だったから。
スクアーロの唇を受けるディーノの顔は、いつもよりずっとずっと綺麗で、幸せそうだった。そんな顔、今まで見たことがなかった。

そっとドアから身を離した。本当はそのまま思い切り走り去りたかった。それでも俺は勇気を振り絞って、そっと、決して二人に気付かれることのないようその場を後にした。廊下を歩きながら、下唇を噛み、震える手で口を押さえ声を押し殺した。それでも絶えず溢れ出す大粒の涙だけは止められなかった。


次の日もディーノがやってきた。ついこの間までは燦々と照りつける太陽に支配されていた毎日も、気付けば肌に感じる風が少し涼しく感じられるくらいになっていた。俺は一晩泣き腫らした目がばれることのない自分の長い前髪に心底感謝して、何度も一人で練習したみたいに何事もなかったかのように挨拶をした。
ディーノはいつもみたいにラフな格好ではなくて、きっちりとスーツを着込んでいた。そしていつもは持っていない手荷物も持っていた。スクアーロとの会話を聞くに、今日からまた忙しくなるのでここにはしばらく来られなくなるということだった。今日もこの後すぐに大事な会に出席しなくてはならないから、挨拶だけ済ませて行ってしまうらしい。スクアーロはと言えば本当に淡々としたものだった。ああそうか、とだけ言って次はいつ会えるかなんていう話も全くしなかった。忙しいならそんなことを言う為にわざわざ来なくてもよかったとも言った。
ディーノは少し寂しそうに笑うと、持ってきた手荷物を取り出し、スクアーロに渡した。何か前に欲しがっていたアクセサリーらしい。そして袋からもう一つの包みを取り出すと、身を屈めてそれを俺に渡した。とても綺麗な装飾のされた箱入りのキャンディだった。
近くでディーノの顔を見ると、昨日のことを思い出してドキッとした。その宝石みたいな瞳を見ていると、全てを悟られてしまいそうで怖かった。

ディーノは本当にそれだけの用件を済ませると出て行った。部屋の窓から、玄関を出るその後姿を見ていた。こうしてディーノの姿を眺めるのは、まるで初めて会った日のようだ。あの日のことは今でも鮮明に思い出せた。
俺はいてもたってもいられなくなり、部屋を飛び出て走り出した。途中の廊下で擦れ違ったスクアーロに大声で引き止められるのも無視して、ただひたすら全速力で走った。屋敷の玄関を抜けて庭に出る。息を切らせながら更に走ると、ちょうど門の直前、あの日ディーノと初めて出会った辺りにその後ろ姿を見つけた。

「ディーノ!」
大声で叫ぶと驚いて足を止めこちらを振り向いた。はあはあと肩で息をしながら、やっと追いついた。
「ディーノ…」
何も言えなかった。そもそも何故追いかけたのかもわからない。ただ、走り出さずにはいられなかった。
ディーノは黙って身を屈め、いつもみたいに優しく頭を撫でてくれた。そして、その手で前髪をかきあげた。ディーノは俺の目を見て一瞬ハッとしたが、その後すぐに優しく切ない顔で微笑んだ。きっとディーノには全てお見通しなんだ。

ディーノはそのまま俺のおでこにそっとキスをした。スクアーロの唇と重ねていた、あの唇で。

「じゃあな、王子様」
いつも通りの夏の太陽みたいな綺麗すぎる笑顔を向けると、背を向け手を振った。

俺はその消えていく後姿をずっと見つめていた。出会った日とは違う、秋を呼ぶ風がサァっと庭を通り抜けていった。



(もしも言葉を知らなければ)






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