「何をしている」


問いかける声音が不審に滲んでいるのも、右手数歩の位置に声の主が立っているのも気付いているけれど。

私も、正面の四郎も、そちらに視線を投げる余裕なんてなく。


「何でもありません御曹司」

「何でもないの御曹司」


身分の高い人に向かって取るべきではない態度だけど、素っ気無く言い返したのは同時。


「‥‥ちょっと!御曹司にむかってその態度はないでしょ!」

「人の事言えないだろ」

「あ、まだ反省してないのね?謝れば許してあげるのに」

「話を聞かないあんたに謝る道理なんてない」

「‥‥‥落ち着け、忠信。楓もだ」


御曹司が宥めてむぅと頬を膨らませたまま私が黙る。
そんな私に四郎はやれやれと肩を落とす。
「付き合ってられない」と言わんばかりの四郎の態度がやっぱり腹立つんだけど!


「ところで楓。何をそうまで立腹している?」


御曹司が優しく問いかけた。


「‥‥楽しみにしていた柑子がね、なくなったの。で、現場には四郎がいたんだよ」


食べ物の恨みは恐ろしいんだと思い知れ。


「成る程な。それで忠信を問うたのか」

「俺は取ってないと言ってるけど」

「嘘!昨日も私が剥いたやつ横から全部食べたじゃない」


それはいつもの事だ。

我ながら子供じみた事で怒っているなんて思うけれど、今更引き下がれなくなった。

最初に尋ねた時、四郎が哀れむような眼で見下ろしてきたのが嫌だっただけで、本当は此処まで怒る気もなかったけどな。


「だからって俺の所為にするのは早計すぎるだろ。それに、俺が盗ったとして誰に剥かせるわけ?」

「そ‥‥それは」

「結局あんたに持って来るんだけど」




聞き様によっては、私だけの特権だと言っている。



確かにそれは事実なんだけど、少し違う。

外見しか知らない女の子達が『氷の君』と憧れている王子様。
強く、颯爽と何でもこなしちゃうイメージで、実際やれば何でも出来ると思う。


一方で、彼は面倒だと思えば中々動かない困った人だったりする。

それを知っているのは身近のごく一部の人間。
勿論、私もその一人だけど。

柑橘類が大好きなくせに、私が見ている限りでは一度だって自分で剥いて食べたことのない人だ。

しかも私にしかさせないから、これは特権かなぁなんてつい甘やかしちゃう‥‥‥って、今は脱線している場合じゃないってば。


「だから落ち着くがいい楓。そなたの柑子とは、籠に盛っていたものか?」

「あ、うん。そこにあったの」


濡れ縁を指差すと、御曹司は深く頷いた。


「やはりな。それならば、国衡が女房に分けていたのを見たが」

「え‥‥‥国衡さん?」

「ああ。美味そうに食していたな」

「‥‥‥」


ほら見ろ。
と、無言の四郎の眼が細まる。


「これで忠信の嫌疑が晴れたな、楓?」

「うん。‥‥疑ってごめんね、四郎。楽しみにしてたから見境なく怒っちゃった」

「別にいいけど」



怒る様子もなくあっさり頷く。


「‥‥‥そう言えば。柑子じゃないけど、柚柑ならさっき女房が持ってきたな」

「ゆかん?あ、アレね。食べたい!」


柚柑とは、柚子みたいなものだ。
実は柚子より大きめで香りがすごくいい。
柑子より多少甘くて柑子より実が締まっているから、私は柑子より柚柑の方が好き。

‥‥って、そうじゃなくて。


「でも、柚柑を剥くのは流石に難しいなぁ」


だって柚柑は皮が厚いから、手を使うと一苦労。
ナイフがあれば簡単なんだけど、この時代にはナイフどころか包丁サイズの刃物すらないし‥‥。


「確かそなたは、以前にも薄刃で怪我をしたらしいな」

「あれは指先をちょっと掠っただけだよ。まさか野菜切るのに鉈(なた)渡されるとは思わなかったもん」


四郎や御曹司が腰に下げてる刀よりは短いけれど、長さ的には脇差とか小太刀って呼ばれるものより少し短い位。
刃は厚く、しかも相当重い。
手渡された時は途方に暮れたっけ。


「鉈じゃないって言ってるのにさ、楓が驚いて落としたんだよね」


四郎が呆れた声音で補足する。


「う、煩いなぁ、もう!今の私はあの時と違うの。簡単な料理なら出来るんだから」


未だにあの鉈みたいな刃物は苦手だけど。
まぁ、焼き魚とかアサリの汁物位なら出来るし。


「それ、劇物?」

「失礼な、食べ物以外の何があるのよ」


四郎にべーっと舌を出してやった。
本当、憎まれ口ばっかり叩くんだから。


「そうか。‥‥‥では、楓」


大きな手が私の肩にぽんと触れる。
隣を見上げれば、長身の御曹司が少し身を屈めて笑っていた。


「そなたと私で作ればよい。これでも幼少時は鞍馬で料理も手掛けていたのでな、腕には多少覚えがあるぞ?」

「ほんと?」

「ああ。楽しいと思わぬか?」

「うーん。‥‥‥確かに一人で作るより捗るし、いいかも」


何故か夜ご飯を二人で作る話になっていたが、この際どうだっていい。
既に私の中で、四郎に美味しいご飯を食べさせて、その鼻を明かしてやりたいと意気込んでいた。

それが御曹司のペースに嵌っているのだと、気付く由もなく。


「御曹司、こいつに料理をさせるのは無駄です。敵の大将首を取る方が楽じゃないですか」


話に割り込んできた四郎は、何となく不機嫌そう。


「ちょっと!そんな事ないよ失礼ね!」

「あれ?得体の知れない魚料理を食べさせられた三郎兄上が犠牲になったこと、まさか忘れたの?」

「う‥‥」


いやアレはちょっと火が通り切ってなかっただけで。
魚のムニエルの筈だったんだけど、ほら、コンロと竈とは火加減が違うし‥‥ねぇ?
ただ季節が真夏だったから、ちょっと大変だったんだ。
それだけだ、うん。


「心配要らぬ。私が付いておるゆえな。忠信はゆるりと刀の手入れでもすれば良い」


頭をくしゃりと撫でる御曹司の手が、私の頬に触れる。
瞬間、空気がぴしりと音を立てた気がした。


「‥‥いいえ、楓を見張っています。御曹司に何かあれば俺は御館に申し開き出来ませんから」

「だから、大丈夫だってば!」


そんなに私は信用ないのか。
流石に少し傷付くんですけど。

内心でいじけながら二人を見て、何だか違和感を覚えた。

‥‥‥二人を取り巻く気温が下がった?
きっと、気のせいだよね。


「忠信が真に見張りたいのは楓ではないと、素直に認めればどうだ?」

「仰っている意味を解しかねます」

「私と二人が許せぬと申せば、考えてやらぬ事もない」

「御曹司の思考が俺には謎です。相手はただの女じゃなく、楓ですが?」


どういう意味だ。
四郎、後でぶっ飛ばす。



「春の野に菫摘みにと来し我ぞ」


いきなり御曹司が口にした一語に、四郎がぎょっとしている。
短歌の上の句かな?
意味は解らないけど、そう思う。


「楓は初花の如く愛らしい。男なら手に摘みて、愛でるべきだと思わぬか?」

「‥‥‥叶わぬ夢でも見る気ですか」

「‥‥‥うわ、ぁ‥」



二人共爛々と見つめ合っているし、邪魔しちゃ悪い気がする。

アレが俗に言う、「二人の世界」なんだろうか。









「あ!いいとこにいた三郎くん!ちょっと弓の引き方で教えて欲しいんだけど」

「ああ、引き方の癖の事でしょう?楓殿は少し引き納めた矢の位置が低い時があるので‥‥‥ところで、御曹司と四郎は如何したのですか?」

「アレね‥‥迂闊に触れちゃいけない世界があるんだよ」

「?」

「それよりあっち行こう?実践で教えてね」

「え?あ、はぁ‥‥」


通りすがりのキラキラ癒しスマイルの持ち主を上手いこと誘い、その場を退散することに成功した。

その後彼らがいつ我に返ったのか、知るのは本人達のみ。




文中で御曹司が歌った上の句は、万葉集1428・山部赤人

春の野に菫摘みにと来し我ぞ
 野をなつかしみ一夜寝にける

「野には菫を摘みに来ただけなのに、離れがたくて一夜過ごしてしまった」

という意味で、歌の様に「二人きりにさせたら『離れがたくて』何をするか分からないぞ」と匂わせていたり。
御曹司は楽しんでます。そして何気なく継信オチ(笑)
三つ巴とのリクエストなのでもっとライバル的な何かを考えてたんですが、蓋を開ければ食べ物ネタ。流石は楓。

柚姫さま、ありがとうございました!



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