ずるいから好きです (1/2)
三学期になると教室の空気が少し変わった気がする。
ほんのちょっとだけ張り詰めた感じと、クラス内の会話の中でも判定がどうだったとか、志望校とか、そんな話題が出る事も稀じゃなくなって。
卒業の前に受験生だと実感してしまう、追い込みの季節がやってくる。
けれど、それも二月になるとやっぱりこの話題が一番なわけで。
「で、結局どうするのよ」
「‥‥か、香奈?そんなに詰め寄らなくても‥‥」
あのね、怖い顔で聞いてくる話題じゃないと思うんだけど。もっとこう、可愛く‥‥。
そう続けたら香奈は、一瞬鈴木くんに向ける様な眼で私を見た。
「私のキャラじゃないわよそんなもん」
「いいと思うけどなぁ。今よりもっと可愛くなったら鈴木くん喜ぶよ?」
「‥‥タカシはどうでもいいの」
ふと香奈の眼差しが翳る。
どうかしたのかと問う前に、香奈が口を開いた。
「それで?」
「あ、えーと、うん‥‥」
去年は「本命は香奈ね」って言ってたけど。
香奈も当時の彼氏を差し置いて「千咲が本命よ」なんて言ってくれたけど。
けれど、今年は‥‥勇気がいる。
「えっと‥‥‥沢渡くんに、渡せたら、いいなって」
「そうね、それがいいわ」
香奈は柔らかく笑った。
香奈は、私の気持ちを聞かない。
私自身、曖昧すぎてどう扱えばいいか分からない気持ち。
なのに、あっさり見抜かれてる。
「じゃ、今週の休みにでも一緒に買いに行く?」
「本当?香奈なら好み知ってると思うから、そうしてもらうと助かっちゃうかな。んーと、じゃあ私も鈴木くんにウケそうなの探してあげるね」
「だから奴はどうでもいいってば」
まだ一週間が始まったばかりなのに、心は週末の予定に飛んでゆきそう。
というよりも、今から緊張している。
こんな調子で日曜まで持つのだろうか。
‥‥‥文化祭のあの日から、沢渡くんと話す機会がうんと増えた。
廊下で擦れ違う前に止まって挨拶してくれる。
私も笑い返せるようになった。
「おはよう」も「バイバイ」も、不自然じゃない距離。
けれど、それだけ。
その姿を見るだけで、前よりもっと緊張している。
今では遠くからでも見つけられるようになった。
この気持ちが何なのか。
解らないほど私は子供じゃなく、認めるにはまだまだ未発達な気持ち。
‥‥一歩、踏み出してみたら何か分かるのかな。
バレンタインを目前にして舞い上がった私は、親友の浮かない顔にも気付けなかった。
数日経った放課後。
一月も終わりに近づく。
益々バレンタインの話題に色が付いたなんて思いながら校門を出たものの、課題のノートを教室に忘れている事に気付き慌てて引き戻した。
下駄箱で靴を履き替えようとすると、こちらを見る視線を感じる。
「‥‥水無瀬?」
「え、沢渡くん?」
振り向いて驚いた。
これって偶然なのかな。
「帰ってたんじゃないのか?さっき校門のあたりで見たけど」
「‥‥あ、うん、忘れ物‥」
やばい、嬉しい。
一気に緊張した私に、沢渡くんは特に気にもしないらしくにっこりと笑う。
「へぇ。水無瀬でも忘れたりするんだな」
笑顔が可愛い、なんて思えてしまって困った。
「あはは。普段は結構ぼーっとしてるみたい。よく香奈に怒られるし」
「あー‥‥分かる気がするかも。確かに見てて危なっかしいよな」
「そっ、そうなんだ‥‥自分じゃ気付かなかったけど‥」
「まぁそこがいいんじゃねぇの?───から」
「え、何?」
「いやっ、な、何でもねぇっ!それより教室行くぞ」
「え?‥教室?」
鞄を肩に掛けながら背中越しに振り向いて、ちょっと難しそうな顔で。
「俺も暇ついでに着いてくよ」
「えっ?わ、悪いからいいよ!」
「‥‥忘れ物取りに行って、また忘れそうだし」
「‥ええっ!?そこまではないよ!‥‥‥多分」
「多分かよ」
声を合わせて笑う。
距離が縮まった気がした。
楽しい。
香奈や鈴木くんや、他の友達とも違う。
心がざわめく。
ドキドキ、する。
スッキリ整った横顔も、触りたくなる様なさらりとした茶色い髪も、その下でほんのり赤く染まる耳も。
『まぁそこがいいんじゃねぇの?可愛いから』
沢渡くんが微かに落とした言葉が、私の聞き間違いでなかったらいいのに。
三年生の自由登校が目前となった今、校舎の三階はがらんとしていた。
流石に受験も間近ともなれば、推薦や就職内定が決まった少数を除いて追い込みの時期なのだから、居残りする生徒がいても図書館だったりするのか。
少なくとも廊下には誰もいなかった。
「付き合わせてごめんね」
「‥‥お、おう」
隣で困ったように笑う水無瀬から、眼を逸らした。
女子の中でも身長が低めの水無瀬が俺を見ると丁度見上げる形になるから、色々とヤバイ。
人気のない廊下、夕暮れ、二人きり。
手を伸ばして思い切り抱き締めたくなるのをぐっと堪える。
意識しないでいるほど俺は大人でもない。
かと言って衝動的に行動して嫌われたくないと思う程度には、子供じゃなかった。
「水無瀬の教室、階段からは遠いんだな」
「うん、一番奥だから。その代わり非常階段降りたら食堂には近いんだよ?」
「確かに。っつーか食堂関係なくね?水無瀬って弁当だろ」
「そうだよー。沢渡くんと一緒だね」
さらっと零れた「沢渡くんと一緒」の言葉に、息が詰まった。
水無瀬が隣にいる。
どんなに憧れてきたのか、知らないだろうな。
二年以上も見てきた子が今、届く位置にいる。
今がチャンスだと、さっきから心の中で声が煩い。
‥‥そうだよな。
今まで散々、さんざん、さんっざん!邪魔が入ったんだ。
脳裏にはいけ好かない笑顔の幼馴染、別名「お邪魔虫」の顔が浮かんでは消える。
その残像を振り払おうとした時、一歩前に出た水無瀬が振り向いた。
「じゃ、取ってくるから待っててね」
「お、おう」
水無瀬の手が教室の後扉の取っ手にかかる‥‥‥が、そのまま何故か動きをぴたりと止めた。
「‥‥‥‥‥‥あ‥」
「水無瀬?」
不審に思い問い掛けると、小さな肩がぴくりと揺れる。
「う、‥‥ううん!何でもない。やっぱり帰ろ?」
「は?だって忘れモンしたんだろ?」
「や、えーと、そうなんだけど‥‥あ、駄目!」
中に入るのを躊躇い、且つ俺を近付けまいと首を振る。
挙動不審なその様子に嫌な予感を覚えた俺は、水無瀬の後ろに立ち、彼女と同じ様に固まってしまった。
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