『親不幸者であると重々承知しています。一城の主の子として、相応しからぬことを申し上げているのだとも』



‥‥ああ、今日はやたらと昔を思い出す日だ。



『俺はこの先誰も娶りません』



息子自ら名付けた娘は腕の中で忽然と消えた。

と、大鳥城に帰ってきた息子から、俄かには信じ難い報告を受けた。
感情もなく淡々と告げた言葉の中に、一体どれ程の絶望が込められていたのだろう。






出会わなければ良かったのかもしれない。



あの日から暫くの間、乙和は何度もそう考えていた。
そうすれば、息子のこんな姿を見ずとも済んだ。

その眼に何も映さず、寝食も忘れ、只管警護や野党の追捕に没頭する姿を。
心を彼方に置き去りせざるを得なかった。
そんな息子を見守るしかない親心を、知らずに済んだ。

──否、出会いたくなかった筈はない。

物怖じせず視線を合わせ笑う楓を確かに愛おしいと、接した短い期間の中で乙和もまた思っていた。

そうでなければ、たとえ『楓が自分から了承したなら』という条件付きとは言えど、源氏の御曹司との婚姻など受けたりしない。
敬愛する奥州藤原氏の頭領が要請したとしても。








「乙和さ、‥‥義母上?ご気分でも悪いんですか?」


乙和の様子を敏感に感じ取った娘が、乙和の手をそっと握る。
じんわりと触れた熱が、陽射しよりも暖かく染み込んでゆく。

微笑を浮かべ、


「大丈夫です、ありがとう」


と返すと娘も安堵したように肩を落とした。


「一つ聞いても良いかしら」

「私ですか?はい」

「楓は後悔していませんか?貴女が選んだ道を」


その問いに、娘の眼が開かれる。

聞いてみたかった。

生きていた世界を切り捨てた事。
親も、友も、これから広がったであろう彼女の『未来』を。
一度は帰られたのに、再び『過去』を選んで。
諦めてまで得たものが、果たして後悔の対象になっていないだろうか。

息子も静かに彼女を見詰めていた。
その表情に焦りも翳りもない事から、恐らくとうに答えを聞いているのだと思う。

時間で言えばほんの瞬きの間、やがて楓は柔らかく笑った。


「後悔はしていません。でも」

「‥‥でも?」


言葉を区切り楓は人差し指を口元に当てる。
隣の忠信が、真摯な表情を呆れたそれに変えた。


「本音を言えば、ちょっとだけ心残りがあるんですよ。私、あっちで有名だった店のケーキを食べ損ねたままだったんですよね。しかもここに来る前に平泉の駅で買って、ホテルの冷蔵庫に置きっぱなしだったの。それが悔しいというか、たまーに思い出すというか」

「‥?景気‥?」

「外来の焼き菓子のことです母上」

「そうですか。‥‥それが心残りなのですか?」


もう一度問い返せば、きらきらと輝く瞳で大きく頷く。


「はい、すっごく美味しいらしいんですよ!ネット‥‥口コミ?じゃ解り辛いか、ええと、噂?でそこのお店が評判で。普段は二時間並ばなきゃ買えないのに、たまたま並ばずに買えてラッキー!って」

「ら‥‥?」

「運が良いという意味らしいですよ、母上」

「ああそうなの‥‥」


思い切り脱力した。

その菓子とやらを思い浮かべているのか、どれだけ楽しみにしていたのかを力説し始めた楓。
どうやら本気で心残りらしい。

そして息子。
聞き覚えの無い単語の意味を一々説明してくれるのは有り難い。
有り難いが、何処まで楓の言葉を理解しているのか。知りたいような知りたくないような。


「だから‥‥いつか食べに行こうねって忠信と約束したんです」

「‥‥‥約束?」


『未来』へ行く方法でもあるのだろうか。


「はい。この時代で精一杯生きて、生まれ変わったら一緒に行くって約束したの。ね?」

「俺は別にどうでもいいけど。楓を一人にしたら周りが困るし、子守は必要だから」


だから楓と約束した、と続ける。


「へいへい、私は子供ですか」

「違った?」

「‥‥もう、素直じゃないなぁ。この前話した時は私をずっとはなさ、‥‥ふぎっ」

「母上、陽射しがきつくなってきたのでそろそろ城に戻りましょう。俺や楓は兎も角、貴女は病み上がりなのですから」


言い募ろうとした楓の頬がまた抓まれて、しっかり妨害されている。
誰がやったか考えるまでもない。

此方としては、是非楓の言葉の先が知りたいのだが。


「あら、まだ戻らなくとも構いませんわ」

「なりません。父上と三郎兄上に俺が叱られてしまいます」

「‥‥‥頑固な所は誰に似たものかしら」


少しだけ恨めしい気分で夫の顔を思い浮かべた。
夫の方が融通利くだけましだ。
思うのだが、楓はこんな頑固男で本当に良いのだろうか。
我が息子ながら『好きな子ほど苛める』を実行する困った人物なのに。


「志津が言うには、不本意ですが俺と母上は中身まで良く似ているそうですよ」

「それは、心底から不本意ですわね」


息子ほど、そんなに意地が悪くない、と城に戻ったら志津に説教してやろう。
自分の場合はただ夫を心の底から愛でているだけなのだから──と。

その点が『そっくり』と称される所以だと露ほども思っていない親子は、苦い物を噛み潰した後の様な顔でそっぽを向く。


「あ、私も志津さんの言葉にさんせ、うぐっ」

「うふふ、そんな事を言うのはこの口かしら?」

「お、おひょわひゃんっ!?」


能天気な声が途切れた。

こうして摘んでみると、何とも柔らかくて触り心地の良い頬だ。
少し涙目で見つめてくる瞳も可愛らしいことこの上ない。

これは息子が病み付きになるのも頷ける。


「‥‥母上」

「あらあら焼きもちさんね」


じろりとこちらを睨んでくる常盤色に、半ば呆れた溜息がひとつ。

誰にも触れさせたくないのなら、いっそ閉じ込めてしまえば良いものを。
‥‥たった今親子で同じ考えに身を浸していたとは露知らず。


西に傾き始めた陽光が、城に戻ってゆくみっつの背中を照らしていた。











生まれ変わったら、また出逢う。

互いにそう信じている彼らが微笑ましいと思う。

──奥底に眠る切なさを、知らぬまま。






このように恋してしまうことは自分でもわかっていたよ
 心の占いは正しかった (古今集700)


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