かく恋ひむものとは我も 思ひにき
 心のうらぞ まさしかりける






北国ゆえの過ぎ行く夏の陽射しは貴重である、と女房に言い残して散策途中だった乙和だが、暫く歩くとふと足を止めた。


「‥‥‥あら、まあ」


やがて、美しい頬に浮かぶ愛しげな微笑。

視線の先、高櫓に面した庭に息子夫妻が居た。
他に人の姿はない事から、どうやら二人だけのひと時を満喫しているようだ。
声を掛けるべきか迷ったのは一瞬だけ。




「──ああ!もうちょっとで取れそうなのに!」


小豆色の髪を風に一筋浚われながら楓が頭上へ手を伸ばしていた。
どうやら傍の木に引っかかった何かを取ろうとしているらしい。
乙和の位置からはそれが何かは見えないが。

爪先立ち、何度も跳ねていると言うのに一向に取れる気配がない。
それでも躍起に手を伸ばす楓の隣で、息子は傍観していた。


「いい加減諦めたら?手伝ってあげるってさっきから言ってるのに」

「手伝うって‥‥‥普通に取ってくれる?」

「それは無理」


楓の申し出をばっさりと打ち切る。
普段は無造作に一つ括りに縛っている息子の髪は、今は背中で風に弄ばれている。


「確かに俺なら届くけど。そうしたら自分で取るって言ったあんたは嘘吐きになるだろ?俺は、自分の妻が嘘吐きと呼ばれるのは御免だから」

「そういうのは屁理屈って言うんだよ。それに私重いから、忠信の負担になるじゃない?」

「重いのは今更じゃないか」

「‥‥‥あのさあ、事実なんだけど腹が立つ、って気持ち分かるかな忠信くん?」

「ああ、冗談だよ。‥‥‥多分」

「どっちなの!」


ああ、成る程。
楓が見上げている木に掛かっているのは、忠信の髪紐で。
忠信が手を伸ばせば届くであろう位置。
しかしそうせず、敢えて楓を抱き上げて取らせようとして──楓に全力で拒否されている、と。


何とも見ていて面白い夫婦だ。


「そもそもさ、こんな事態になったのは誰の所為?」

「うっ‥‥‥私だけど」


楓の困った顔を、腕を組みながら愛でているらしい息子が浮かべる表情。
恐らく無意識に互いの指先を握っている辺り、微笑ましい程仲が良い。

こういう状態を楓が育ってきた世界──未来──では何と言ったか。

『ばか』‥‥何とかだった筈。

以前乙和夫妻に向かい、義娘が教えてくれた言葉。

覗き見ている乙和の存在にとっくに気付いている息子と、全く知る様子のない義娘。
そんな二人を(一応)木の陰に隠れながら観察し、ついでに頭を巡らせ始めた。






‥‥‥楓と初めて出逢ってほんの少し経った、暑い夏のことを思い出す。


















『父上と母上の様な夫婦を、傍目では「ばかっぷる」と呼ぶそうですよ』


自分からは滅多に要件以外を話しかけてこない息子から口火を切ったので、驚いたのを覚えている。
ああそうだ。
ばかっぷる、と最初に切り出したのは楓でなく息子だった。


『ちょっ‥‥四郎!?内緒にしててねって言ったのに!』


楓が来て二月が経ち、まるで此処で生まれ育ったかのように馴染んでいた。
この頃にはもう、楓が居て当たり前の光景に変わっていた。


『俺は約束していない』

『裏切り者っ!』

『あらあら。楓、そんなに慌ててどうしたのかしら?』


思わず首を傾げてしまう程焦っているから、疑問が零れるのは当然のこと。


『乙和の言う通りじゃ。楓は何を慌てておる?馬鹿何とか‥‥とは?』

『父上。馬鹿、ではなく”ばかっぷる”です。楓の生まれた国で使う言葉だそうですが』


息子達をはじめ城の者に、楓は『平泉より南部の名無き村』からやって来たと説明している。
勿論混乱を避ける為だ。
真実は、本人と城主夫妻だけが知る。

他に気付いた者が居るとするならば、それは正面に座している息子だろうか。
草原に倒れていた楓を見つけたのは彼だ。
その時に風変わりな着衣も目にしているのに、城に着いてから今まで一度もその事について触れて来ない。

その理由が一体何処にあるのか、敢えて此方から聞きはしないが。


『ほう、楓の国ののう』

『意味を教えてくださいませんか?‥‥楓?』


楓の様子からして耳に入れたくない言葉だと推察しつつも、可愛らしいので『つい』からかいたくなった。

それはきっと、乙和だけでない。


『ほら楓、母上が意味をお尋ねだよ』


話を持ちかけた息子もまた。


『へえ、まさか睨んでるつもり?迫力ないし笑えるんだけど』

『あのねえ!』

『ああごめん、”鼻で”笑うだった』

『‥‥‥』


拗ねてしまったのか頬を朱に染め睨む楓だけれど、確かに迫力は皆無だ。

くすりと笑いかけたがそれは可愛そうだと視線を隣の青年に滑らせて、───今度こそ乙和は息を呑んだ。


珍しく他者の視線に気付いていない忠信。
くっと喉の奥で笑う様子は、心の底から楽しそうだ。
思わず基治と目で頷きあってしまった。

そう。
息子のこんな表情、今までに見たことがなかった。





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