二章 中


〜二章・レモンクッキーは青春の味 中〜

「うわぁ、このシナリオ、ほかほかだ〜。ほら、マサキ」
「顔に押し付けんなよ、フェイ。わっ、でも本当に、あったか〜」
「ふふ、出来立てほやほやだからな」
放課後、俺達は霧野先輩が手配してくれた小ホールに集合した。赤い布を張った五十席のシートの前面が、ちょうど教団ほどの高さの小さな半円状のステージになっており、稽古をするのに申し分のない環境だ。プリントアウトしたばかりのシナリオがみんなに行き渡り、読み合わせがはじまる。
『僕も一ぺん従姉妹のところで写真を見たかもしれない。その人ならなかなか綺麗な人だった』
意外なことにシュウは、大宮役をそつなく演じていた。
ストイックさと誠実さを感じさせる声が、役のイメージに合っているせいもあるのだろうが、古風な言い回しの台詞を、使えることなく淡々と読みあげてゆく。
一方、主役の拓人先輩は、
『なかなかではまだ不服だね』
………。微妙だ。おまけに動作がいちいち大袈裟で、一言喋るごとに、両手を広げたり、上げたり、のけぞったり、頭を抱えて呻いたりする。シュウの抑えた演技と比べると、アンバランスすぎ、凄い違和感を感じる。
『世界には嵐が吹きまくっている。思想の嵐が。そのまっただ中に一本の大樹として自分が立ち上がって、一歩もその嵐に自分を譲らない。その力を与えてくれるのは、杉子だ。杉子が自分を信じてくれることだ』
嵐に揺れる木のように、体を左右にゆさゆさ揺らして身悶えると、今度は一転して、両手を胸の前で組み、眉毛をパチパチさせ、媚び媚びの甘い声で言う。
『あ〜、愛しい野島さま、私はあなたを信じています。あなたは勝利を得る方です。杉子を野島さまの妻にしてくださいませ〜〜』
「ストップ、ストップ!」
ノリノリで演じる拓人先輩の前に、俺はたまらず飛び出した。
「なんだい、早川くん。僕と杉子さんの愛の語らいを邪魔しないでくれ」
「誰が早川くんですか。いくら野島の妄想シーンでも、『くださいませ〜〜』とか語尾を伸ばすの、気持ち悪いからやめてください。台詞に波線つけた覚えはありません。動作も大袈裟すぎです」
「つい役になりきりすぎて、口と体が勝手に動いたんだ。ここまで別人になりきるなんて、俺って、俳優の才能があるのかもしれない」
「今のは、ただの危ない人でしたよ」
「ええええっ、恋する青年の切なさと初々しさを、お茶目に演じたつもりだったんだが」
「切なすぎて茫然です。余計なアクションを入れないで、もっと普通に演じてください」
「それじゃあ、野島クンの気持ちがお客さんに伝わらないじゃないか」
「伝わりすぎて、確実にドン引きです!」
言い合う俺と拓人先輩を、狩屋が目を丸くしてみている。シュウも意外そうな顔をしている。いつもの調子で、拓人先輩に突っ込みを入れまくってしまったことに気づき、俺はハッとした。
「と、とにかく、ちゃんとシナリオ通りにやってください」
拓人先輩が「はぁい」とあてにならない返事をし、練習が再開する。マズイな。教室では、あまり激しくないキャラで通していたのだが。
『杉子さん、杉子さん。あの雲を御覧なさい。誰かの顔に、似ているでしょ』
『誰の顔でしょう』
フェイも結構上手い。普段のフェイと正反対の凛とした女性の役なのだが、ちゃんとそれらしく聞こえる。
狩屋は緊張しているのか演技が固い。台詞を口にするとき恥ずかしそうな顔をする。意外と照れ屋なのかもしれない。目が合うと頬を赤らめ、慌ててそっぽを向く。
「剣城。次は剣城の台詞だぞ」
「あ、はい。『あはははは。武子さんに逢っては敵いませんね』」
「たく、剣城、棒読みすぎだ」
「剣城くん、笑い方、白々しい」
「剣城〜、もっと感情込めようよぉ」
「……(無言)」
俺の早川は、不評だった。


練習終了後、フェイがにこにこしながら、拓人先輩のほうへ近づいていった。
「拓人く〜ん、今日、駅前のショップがオープンするんだ。チラシもらったんだけど、文房具とか、安いんだって。これから寄ってない?」
「それはいいな。マサキもどうだ?」
「俺は別に…でも、拓人先輩が行くなら」
「わぁい!マサキも、一緒にいこ〜!」
はじめは不安だったが、狩屋とフェイは、それなりにうまくやっているようだ。その三人がいなくなってしまった後、俺もシュウとホールを出た。
いつかと同じように赤い夕日を浴びながら、シュウは自転車を押し、俺は隣を並んで歩く。
「演技って難しいな」
「気にすることはないよ。プロの役者じゃないんだし、うまくできなくて当然だよ」
「シュウは上手かったと思う。声も出ていたし、驚いた」
「そうかな?シナリオの通りに読んでるだけなんだけどね」
「もとの声もいいからな。やはり大宮の役は、シュウにぴったりだ」
「……そうかもしれないね」
…?なんだか暗い。褒めたつもりだったが、まずいことを言ったのだろうか?
と、そのとき、シュウの目が驚きに見開かれた。
「!」
ゆっくりと暗くなってゆく校庭の先―。赤く黒く浮かび上がる校門の脇に、古い桜の木が生えている。黒く染まった葉と曲がりくねった枝が寒々と広がるその木の後ろ側に、半ば身を潜めるようにして、空野が立っていた。
憂いを含んだ瞳に涙をいっぱい滲ませ、まるで真冬の雪の中にいるように手足や唇を震わせている。
空野はいきなり走ってくると、シュウの胸にすがりつき、切れ切れに訴えた。
「シュウ…私……どうしたらいいの…たすけて……シュウ」
背筋を冷たいものがつらぬく。―俺は見てしまった。シュウの上着を握りしめる空野の指先が、赤い液体で濡れているのを。
血?いや、夕日のせいか?
泣きじゃくる空野の体を隠すように、シュウが抱きしめる。俯いた彼の横顔は、苦しそうにゆがんでいた。

翌朝、通学路でシュウを見かけた。

シュウは自転車を止め、ポストに白い長方形の封筒を投函していた。
張り詰めた眼差しを見た瞬間、昨日のことを思い出した。
声をかけようか迷っていると、シュウが顔をこちらへ向け、目が合った。
「おはよう」
静かに微笑んで見せると、一瞬ためらうような表情をした後、同じように微笑んだ。
「おはよう、剣城」
胸の奥でざわめく不安を押し隠し、俺は彼に近づいた。
「手紙、この前も出していたな」
「家族に頼まれたんだ。保険の手続きとか、そんなものらしい」
並んで歩きながら、当たり障りのない会話を続ける。
校門を通り過ぎたところで、不意に、シュウが低い声でつぶやいた。
「昨日は、ゴメンね」
ドキッとした。―あの後、俺はシュウと空野を残して先に帰ったので、二人がどんな言葉を交わしたのかを知らない。空野の涙の理由が何であったのかも。細い指先で光っていたものの正体も…。
「あいつ、シュウとどんな関係の奴なんだ?」
空野のことを知らないふりをして尋ねると、眉根を寄せて辛そうに答えた。
「…昔、ちょっとね」
はっきりしない答えだ。空野は、確か兄妹と言っていたが…。
「ごめん。このことは、向こうの問題に関わるから、話せないんだ」
シュウはますます眉間に皺を寄せ、口をギュッと結んだ。なんだか俺の胸まで苦しくなってしまった。
「いや。俺こそすまない。もう訊かない。それより、英語の問題で……」
普通の口調で、話題を変えた。


放課後は、ホールで劇の練習をした。
もう訊かないといったが、シュウと空野の間になにがあったのか、俺はずっと気になっていた。
シュウはステージの上で、危なげなく大宮を演じている。ちょうど拓人先輩の野島と、恋愛談義をするシーンだ。
『人間に恋という特別のものが与えられている以上、それを馬鹿にする権利は我々にはない』
心の中で、あれこれ考える。もしかしたらシュウはもう関係を持っていないつもりでいるが、空野のほうはそうじゃないのかもしれない。
『ともかく日本人は恋を軽蔑しすぎている。仲田ではないが、恋する男に娘をやるよりは見ず知らずの男に娘をやることを安心と心得ている』
空野の指が赤く染まっているように見えたのも、本当に俺の気のせいだったのか?
「すみませーん、僕、ちょっとトイレに行ってきま〜す」
フェイが、シートの間をぱたぱたと駆けてゆき、休憩になった。
拓人先輩が、笑顔でシュウに近づく。
「ちょっといいか?作品を酷評された野島を、大宮が慰めるシーンなんだが、『君は前に復讐を受けているのだ。君ほどよわらなくっていい人間はないと思う』って台詞は、もっと間をとってお客さんに印象づけたほうがいいと思うんだ。『前』っていうのは未来のことだよな?『未来に復讐されている』―つまり、『きみはこの先、必ず成功する人間だから、その代償として、今の不運を負わされているのだ』と、大宮は野島を祝福しているんだ。ここは、大宮の人柄や、野島への友情が感じられるとっても美味いシーンだから、あっさりと流さないで、もっとねっとりいこう?俺も全身で感動を表現しよう。そう、例えば―」
どうやら演技のプランをぶちあげているようで、シュウは真面目に頷いている。いつも、拓人先輩の話を適当に聞き流している俺とは大違いだ。
シートに腰かけて、ちらちらと見ていると、いつの間にか隣に狩屋が座っており、ぼそっと言った。
「ねぇ…シュウくんって、拓人先輩のこと、好きなのかな?」
「はぁ?そうなのか?」
シュウが拓人先輩を?有り得ない。それに、どちらかといえば、拓人先輩のほうがシュウのことをかまってないか?いや、いいんだが、別に…。
すると狩屋はずいっと身を乗り出し、唇を尖らせ、不満そうに言った。
「だってシュウくんが劇に出るなんておかしいじゃんか。去年の文化祭で、シュウくんのクラスで劇をやったとき、女子はみんなシュウくんを主役を演らせたがってたんだよ!けど、シュウくんは、芝居なんてできないから断ったって、去年シュウ君と同じクラスだった奴が嘆いてたし」
「その劇、どんな内容だったんだ?」
「『白鳥の湖』だよ。シュウはジークフリート」
「って、それ、単に役が嫌だったんじゃ」
中学生にもなって王子のコスプレなんて、こっちも願い下げだ。
「でも相手役のオデットは、クラスで一番人気の、空野って子だったんだよ」
俺はドキッとした。
空野だと?二人はクラスメイトだったのか?空野がシュウが劇に出ると聞いて暗い顔をしていたのは、そういうわけだったのか。
狩屋が声をひそめて、ぼそぼそ続ける。
「あの人気の空野さんの相手役を蹴っておきながら、文芸部の劇には出るなんてヘンだよ。けど、シュウくんが拓人先輩に気があるなら、納得かなって」
そう言って、上目遣いにちらりと俺を見る。
……シュウが出演を承諾したのは、拓人先輩に恩義があるからだと…説明するわけにはいかないし。
すると狩屋は、不意に弱気な目になり言った。
「でも、拓人先輩、恋人がいるんだっけ。じゃあ、望みないね」
俺は耳を疑った。
「なんだよ、それ?」
拓人先輩に恋人だと!?あの人に、まともに恋人ができるのか!?どんな変わり者だ!
狩屋が唇を噛み、視線を横にそらす。
「ほ…本当だよ。拓人先輩が教えてくれたんだよ。恋人は白いマフラーが似合う素敵な人だって。北海道で熊狩りをしているから、なかなか会えなくて寂しいけど、この間も、その人が釣った新巻鮭が送られてきて、とても美味かったって。きっと拓人先輩は、学校の人間なんか眼中にないんだよ」
白いマフラー?
熊狩り?
鮭?
三題噺風に単語を並べたとき、いつか拓人先輩が、新×の母に運勢を見てもらったら、恋愛大殺界といわれたと、シリアスに話していたことを思い出した。
確か、恋愛大殺界が明けた夏に、鮭をくわえた熊の前で、白いマフラーを巻いた人物と運命の恋に落ちるとかなんとか……。
頭の中に、鮭をくわえた熊に向かって鋭い蹴りをくり出す、白いマフラーの青みがかった銀の髪の青年が浮かび、目眩がし、へたり込みそうになった。それは拓人先輩の見栄だ、狩屋。
狩屋が焦っている感じの早口で、言葉を続ける。
「だからその、あ、シュウくん、フラレちゃうかもなっ。拓人先輩、恋人いるし。好きになっても駄目だよね。可愛そう、その、シュウくんがっ」
その声を、俺はがっくり肩を落とし、沈痛な面持ちで聞いていたのだった。



【文化祭で、文芸部の劇に出ることになった。
演目は武者小路実篤の『友情』。きみは読んだことがあるだろうか?
親友が恋した女性を好きになり、最後は親友から彼女を奪う大宮という男が、僕の役だ。台本を読みながら、僕は過去の自分と現在の自分を、この男に重ねずに入られなかった。
僕も、僕も信頼して入れた人を裏切った最低の人間だから。
どれほど後悔しても、あの日の過ちを消し去ることは出来ない。
教室が血の海に染まり、胸に彫刻刀を刺した黒髪の少女が、体から血を流して倒れてゆく悪夢を、幾夜見ただろう。何故、約束を破ったのかと責める彼女の声を幾度聞いただろう。そのたびに跳ね起き、こぼれる汗が冷えてゆく感触に身震いしながら、懺悔を繰り返してきた。
僕の浅はかな選択が最悪の結果を招き、人を傷つけてしまったあの日から、誠実な人間であろうと必死に取り繕ってきたが、結局僕は同じ過ちを、今も繰り返している。僕に信頼を寄せてくれた人たちをまたも狂わせ、痛みと哀しみを与えてしまった。
なにが間違っていたのだろう。
一体、いつから?どこで?
こんなに愚かな僕には、君を守る資格はないのかもしれない。三年前のあのときも、僕は確かに友を守ろうとしていた。それが、友を裏切るこういであったとしても、そうすることが、彼女を救うことになると信じてたんだ。けれど、それは無知ゆえの誤りだった。
そして今も僕は、自分が過ちを犯しているのではないかという不安が、頭から離れない。きみの望みを叶えることが、僕は恐ろしい。それが正しいという保証は、どこにもないのだから。
けれど、僕が手を話した瞬間、きみがどうなってしまうのか。それを思うと、たとえ君に罵られ、憎まれても、きみの元へ行き、きみの願いを聞き届けることが、正しい選択なのではないかという迷いが、依然として胸の奥に燻っている。
いいや、いけない。それは、不誠実なことだ。
この手紙を、君が破かずに読んでくれることを願う。】






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