四章 上


〜四章・過去の亡霊 上〜


期末試験の一日目。俺は寝坊をしてしまった。
昨晩は、理科室でのことを、あれこれ考えていて勉強どころではなかった。
気がつくと机に突っ伏しており、時計を見ると、朝になっていたのだった。
「拓人先輩、来たか?」
息を切らし、ギリギリに教室へ駆け込み、シュウに尋ねると、
「それを残していったけど」
と、俺の机を指差した。
見れば、夏目漱石の『吾輩は猫である』の単行本が置いてある。
おそるおそるページをめくると、薄い赤紫色の栞が挟んであり、そこにサインペンで大きく『剣城のばか!』と書いてあった。
その、語彙も技法もあったもんじゃない文学少年らしからぬストレートな罵り文句に、俺は大きく溜息を吐いた。
何つー子供っぽいことをしてんだこの人は。これは相当怒ってるな…拓人先輩。
狩屋も相変わらず俺を睨んでおり、頭の痛いことだらけだった。

「平気だよ。拓兄は単純だし、二、三日放っておけば、機嫌も直るって」
大惨敗の試験を終えての放課後。いつもの店で今朝のを話すと、そう松風はあっさりと言い捨てた。
「いや、拓人先輩は頑固だし、ギルバートに絶好宣言をかました赤毛のアンのように、延々根に持つに決まってる」
「へえ、拓兄のこと、よくわかってるんだね、剣城」
人事のように、ニヤニヤされ、俺はカチンときた。
「あのな松風、もとはといえば、お前のせいなんだぞ。拓人先輩に秘密にしろって…。つーか、何で俺を巻き込んだ?あんた一人でもできたはずだ」
「そりゃあ、剣城のほうが、デモーニオとの教室も近いし、情報収集も俺よりできそうかなと思って」
とぼける松風を、俺は睨んでやった。
「それだけが理由じゃないだろ?この数日、あんたを見てて感じた、あんたは行動力もあるし、口も回るし、頭も結構きれる。俺と違って、あんたなら探偵小説の主人公が立派に務まるだろうしな。あんたは、俺の助けなんかいらなかったんじゃないのか?なのに、俺を引きずり込んだのは何故だ?まさか探偵の非凡性を際だたせえるために、間抜けなワトソン役が欲しかったわけじゃないよな?」
松風が、肩をすくめて苦笑する。
「そこまで性格悪くないよ…ただ、知りたかったんだ。拓兄の作家が、どんな人かって」
その言葉を聞き、頬がいきなり熱くなった。俺が拓人先輩の作家だと?一体何を言い出すんだこいつは。
「どういう意味だ?」
動揺を隠して問い返すと、頬杖をつき、俺の顔を覗き込むようにじっと見つめた。
「そのままだよ。剣城のことが知りたかった。拓兄が『剣城は黙ってろ!』って言ったとき、この人が拓兄がいつも話してる"剣城"ってわかって、それまでも拓兄からいろいろ聞いて、剣城のことが気になってたけど、顔を見たらもっと気になって…それで会いに行ったんだ。フィディオから相談を受けてたデモーニオのことに協力してほしいって頼んだのは、剣城と会う口実が欲しかったからなんだ」
「あんたも、男が好きなわけじゃないよな?口説き文句みたいに聞こえるぞ、それ」
すると松風は、子供みたいな屈託のない笑みを広げた。
「う〜ん、それは剣城が自由に解釈しちゃっていいよ」
「…はあ。俺は、拓人先輩のたんなるパシリで、おやつ係だ。俺の書いた三題噺を食べながら、言いたい放題言って、この間なんか、『辛い』って叫んで泣き出して、口直しにエイキンが食べたいだとか文句を言ったんだぞ。それに俺は作家なんかじゃ――…」
刺すように俺を見つめた白竜のあの目が、頭の中一杯に広がり、心に爪を立てた。
その瞬間は知った鋭い痛みに、思わず歯を食いしばる。
嫌だっ……!
もうあんな想いはしたくないんだ。俺は、作家にだけは、絶対になってたまるか。
「まあ、いいや…。その結論は、もうちょっと先にしとこ。俺はまだ、剣城の書いたものを読んだことないしね」
含みのある口調でつぶやき、松風はテーブルに置かれた冷水を一気に飲み干した。
俺は小さく深呼吸し、気持ちを落ち着かせた。拓人先輩が置いて言ったメモを鞄から出し、テーブルの上に並べる。
「…話を戻すぞ。これが、ポストに入っていたメモだ。血しぶきつきとか、焦げ後つきとかもあったが、そっちはデモーニオが書いたものじゃないと思うから、持ってこなかったが、良かったか?」
「剣城がそう思うなら大丈夫だよ。なんとかなるさ」
そして、二人で机に置かれたメモを見つめた。
"憎い""幽霊が""助けて"と書いてある紙片を見て、松風が顔をしかめる。指で一枚一枚メモをつまんでは、じっと睨みつけ、"42 30"と書かれたメモを見て、怪訝そうに目を細めた。
「この数字、何だろうね」
「俺もまだわからない。拓人先輩は"死にな(42)、皆一発でオチる(30)"って意味だとか言ってたけどな」
「それは…また愉快だなぁ」
松風が苦笑いする。
「まあ、本人に訊こうよ」
「は?」
きょとんとすると、松風は顔を上げ、軽く手を上げた。
「お〜い、フィディオ、デモーニオ〜」
驚いてそちらを見ると、いつもどおりのフィディオと、その横に連れて来られたであろうデモーニオが戸惑いの表情を浮かべて立っていた。
フィディオがデモーニオの肩を抱いてこちらへとやって来た。そしてそのまま強引に俺の前の席に座らせ、その横にフィディオも座った。
「どうして…剣城がいるんだ?」
俺の顔を見ながら、ささやくような小さな声でデモーニオが尋ねる。
理科室で鬼道にあったことも、図書室でデモーニオと言葉を交わしたことも、フィディオにも松風にも話していいない。俺は、どんな顔をすればいいのかわからず困ってしまった。
口元に笑みを刻んだまま、しれっとした口調でフィディオが言う。
「俺たち仲良しなんだ。ね、京介?」
「…フィディオとは、最近知り合ったんだ。黙っててすまない。隠していたわけじゃなくて、言い出す機会がなかったんだ。で、俺の隣にいるのが、同学年の松風だ」
「松風天馬です。俺も剣城とフィディオとは親友なんだ。よろしくね、デモーニオ」
松風がいつもの笑顔で言うが、デモーニオは、俯いてしまった。
「とりあえず、何か食べようよ、デモーニオ」
「…ごめん、おなかいっぱいなんだ」
「そんなわけないだろ。今日は絶対に食べさせるからね。トビー、雷雷丼お願い」
フィディオが店員の男性に、オーダーを告げる。デモーニオは細い指をスラックスの上で絡み合わせ、眉根を寄せ、哀しげな表情で身をすくめている。
「ねえ、デモーニオ?文芸部のポストにこれを投函したの、君でしょ?」
"助けて"と書かれたメモを、松風が見せると、デモーニオは顔を少しあげ泣きそうな目をし、また俯いてしまった。
「…俺、知らない」
「そんな顔で否定されても信じられないよ。これは君が書いたんだ。俺からポストの事を聞いて、見に行ったんだろ?そして、毎晩メモを投函した。ねえ、どうしてそんなことをしたんだ?誰かに話を聞いてほしかったのか?助けてほしかったのか?それなら俺に言えばよかったじゃないか。俺が、君を助けてあげる。一体、君は何に悩んでるんだ?はじめて会った嵐の晩、帝国学園の古い制服を着て、ブランコを漕いでいたのは何故なんだ?」
フィディオが、たたみかけるように問いかける。
「もしかして、君の後見人と関係があるんじゃないのか?」
デモーニオの方が、大きく揺れた。顔を伏せたまま、下唇を噛み締める様子に胸がしめつけられる。
「俺と松風、席をはずしたほうがいいか?」
そっと尋ねると、首を横に振り、つぶやいた。
「いや…剣城と松風はいて。俺が…帰るから」
そうして、あの深い憂いをたたえた目で、フィディオを見つめた。
「今までつきあってくれてありがとう、フィデオ。今日はフィディオにお別れを言うつもりで来たんだ。会うのは、これで最後にしよう」
フィディオは目を見開き、慌ててデモーニオのほうへ身を乗り出した。
「なんだよそれ!どうして急にそうなるんだい?後見人に何か言われたのか?俺のあとをつけていた男は、君の親戚なんだろ?俺をチンピラに襲わせたのも、あの人なんじゃないのか?そうだろ?デモーニオ!?」
デモーニオが、か細い声でつぶやく。
「…フィディオは、今まで俺とつきあってくれた人たちみたいに…離れて、行かないから…これ以上は、困るんだ…」
「どういう意味だよ」
「…ごめん」
デモーニオが鞄をつかんで立ち上がったとき、料理が運ばれてきた。フィディオがデモーニオの腕をつかみ、椅子に引き戻す。
「食べなよ。これ全部残さずに食べれたら、別れるって話、考えてもいいよ」
怒りをむき出しにした激しい眼差しを、デモーニオは泣きそうな顔で見つめ返していたが、やがて顔を伏せ、レンゲを手にした。
暖かい湯気を立てているどんぶりを恐ろしそうに見つめ、全身を強ばらせ、震える手でレンゲを近づける。
ふわふわしている米に白いレンゲを差し入れた瞬間、デモーニオはレンゲを握る手に力を入れた。きっとそうしなければ、レンゲを落としてしまいそうだったんだろう。
そのまましばらく躊躇している。しかし、意を決したようにすくいあげ、レンゲごと口に入れた。
すぐに異変が起き、デモーニオはまるで即効性の毒でも飲み込んだかのように、口を押さえ、椅子から崩れ落ち、床にしゃがみこんでしまった。
口元を手で覆ったまま、デモーニオは目を見開き、体を痙攣させていた。
「おい、デモーニオ――」
フィディオが自分も床に膝をつき、デモーニオを抱き起こす。
「トイレに行くか!?」
首を横に振りながら「へ、平気だ」と答えたデモーニオの目が、店内のある方向を見て、再び大きく見開かれた。
「――!」
それは、はっきりとした恐怖の表情だった。
デモーニオはフィディオを強く押しやり、鞄をつかんだ。
「ごめん。俺、帰らないと。ごめん、ごめん」
真っ青な顔で何度もつぶやきながら、出口に向かって駆け出す。
フィディオがあとを追いかける。俺と松風も席を立ち、二人を追った。
ちょうど出入り口のところで、フィディオがデモーニオの肩をつかむ。
「無理に食べさせようとしたから怒ったのか?悪かった。ごめん。具合が悪そうだから家まで送るよ」
「ダメだっ!」
デモーニオが細い声で叫び、フィディオを突き放す。とにかく一刻も早く俺たちから離れたくて、この店を出たくて、焦っているように見えた。
「もう、俺に関わってはダメだ。さよなら」
そう言ったデモーニオは、ドアの向こうへ走り去った。


「くそ…っ」
テーブルに戻るなり、フィディオが頭を抱えて突っ伏す。
「俺、失敗しちゃったみたいだ、京介、天馬。…あいつのこと、あんな風に追いつめるつもりじゃなかったのに」
すっかり意気消沈してつぶやくのを見て、こいつも同じ年の人間だったんだと思った。
そんな彼を、俺は前よりも身近に感じた。
「元気を出せ、フィディオ。あんたがデモーニオを本気で心配してるのは、ちゃんと伝わったはずだ」
「そうだよ。明日学校で、俺と剣城からデモーニオに話してみるから、ね」
「京介、天馬…ごめんね」
それでもフィディオは、しばらくテーブルに顔を押しつけていた。
俺は、デモーニオがフィディオを押しやる直前に見せた、あの怯えきった表情が気になっていた。
一体、デモーニオは何を見たんだ。確か、向こうのほうだった…。
デモーニオの視線を思い出し、そちらのほうをそっとうかがう。
しかし、そこには誰もいなかった。
別におかしなものはないみたいだ…。そう結論を出しかけ、俺ハッとした。
そこには、あるはずのない木の葉が一枚落ちていたのだ。
確か俺が店に入る前にはそれはなく、しばらく誰かが通った気配もない。かといって、今は真夏であり、風が吹くことも滅多にあるわけがない。
確かに、そこに誰かいた。
そう俺は確信を持った。



【ルールを決めるぞ――と彼は言った。
お前はこの先、俺が与えるもの以外、一切口にするなと。
一日目、彼は学校で出された給食を胃におさめた。朝食を与えられていなかったため、胃が痺れるほど腹がすいていて、涎が口の中に溜まり、どうしようもなかったのだ。それに、給食を一人だけ食べずにいるなど、恥ずかしくてできなかった。
彼は彼に罰を与え、地下の部屋に鍵をかけ、三日間、彼に食事を与えなかった。
閉ざされたドアの向こうで、彼は空っぽの腹を抱えてうずくまり、胃壁を爪で引っかくような飢えと渇きに必死に耐え続けた。部屋の中にある水洗トイレからこぼれる水をなめて、命をつないだ。
四日目の朝、彼はドアを開け、彼に食事を運んでくれた。野菜を煮込んだ甘いスープと、栗の入った蒸しパンを、彼自身の手で食べさえてくれた。
次に彼が学校で、給食のシチューを三口、バターロールを半分食べたときも、彼は彼にその罰を告げ、三日間、地下室のドアを開けなかった。
彼は空腹のあまり朦朧とし、薄い闇の中に、死者の幻を見て、恨めしげに泣く声を聞いた。
――あいつが、俺を殺したんだ。
――あいつは、復讐に来たんだ。
――あいつは、悪魔だ。
床にうつぶせに倒れ、ぐったりする彼を抱き上げ、彼は七草と白身魚を入れた粥と、甘く煮た林檎とオレンジを銀色のスプーンですくい、食べさせてくれた。

一欠片のクッキーを口にすることさえ、彼は許さなかった。
友人から渡されたそれを彼が食べたことを、彼は淡々とした静かな声色で指摘し、泣きながら許しを乞う彼の腕を取り、地下の部屋へ連れて行き、鍵をかけた。
彼は五日間、そこで過ごした。
からからに渇いた喉が、熱くひきつり、胃が大きな手で、ぐりぐりと捻じくりまわされているように激しく痛んだ。耳鳴りがし、幻聴がし、白い鬼火が周囲を怪しく飛び回った。もう涙もこぼれない。

――ごめんなさい、あなたがくださる食事以外は、決して口に入れません。
――ごめんなさい、ごめんなさい。二度と食べません。誓います。ごめんなさい。

そう、食べてはいけない。
彼の空っぽの胃を満たせるのは、この世でただ一人彼だけ。
彼は常に、彼の視線を感じていた。
廊下で、教室で、中庭で、階段で、彼は彼を見ている。
壁一面に彼の顔が薄うに浮かび上がり、青く燃える瞳で――憎しみに満ちた瞳で――彼を責め立てる。
食べてはいけない。食べてはいけないと。
街の全ての人やものが彼の顔に変わる。
薄いサングラスをはずし、彼を見つめる彼。
熱い怒りと冷たい狂気が、鬼火のように揺らめくその眼差し。
彼が見ている。彼が、こちらを見ている。彼がじっと見ている。彼が見ている。見つめ続けている。見ている。見ている。見ている――。】


翌朝、松風と共にデモーニオのところへ行ってみたが、学校に来ていないらしい。
仕方なくクラスへ戻ると、拓人先輩と狩屋が廊下で顔をくっつけ、ぼそぼそ話していた。
「わかりました。じゃあ、放課後」
「ありがとう、マサキ。俺も心強いよ」
「いいですよ、拓人先輩の役に立てるの、嬉しいですから。あっ!」
俺に気づいた狩屋が唇を尖らせ睨んでくる。拓人先輩も振り返って俺を見た。
俺は、とりあえずいつもどおりポーカーフェイスを装う。拓人先輩、機嫌を直してくれればいいんだが…。しかしそれは、拓人先輩の勧めで無理やり読まされた、ハーレクインロマンスなんかよりも、ご都合主義な甘い考えだった。
右手の人差し指を目の下に当てると、拓人先輩は桃色の舌を出し、あかんべぇをした。
そうして、「また放課後に、マサキ」と言い、柔らかな灰茶色の髪を揺らして去って行ったのだった。
「放課後、拓人先輩と何をするんだ?」
「剣城君には教えない。つーか、剣城君関係ないでしょ」
と、きつい声で言われてしまった。
狩屋は、そのまま教室に入っていった。
くそ、そういわれると気になるのが人間の本能なのだ。一体、放課後、二人で何をする気なんだ…。

掃除が終わり、教室を見回すと、既に狩屋の姿は消えていた。
「なあ、狩屋どこへ行ったか知らないか?」
狩屋の友人に尋ねても、
「知らないなぁ。試験期間中は、図書当番は無いはずだし…急いで飛び出していったから、デートとか?狩屋結構モテるし」
と憶測が返ってくるだけだった。
念のため文芸部の部室へも行っていたが、誰もおらず、あのメモがばらまかれているだけだった。
その大量のメモの横に、大きなビーカーに生けた黒百合、古い生徒名簿、文集、学校新聞、怪しげな店名入りのポケットティッシュが置いてある。
生徒名簿も文集も学校新聞も、鬼道さんが二年に在籍していた年のものだ。中庭でデモーニオが名乗った鬼道有人という名前を調べていたのだろう。
名簿の上に原稿用紙が一枚載っており、それにサインペンで大きく、
『剣城なんて、もう知らないからな、俺は俺で、勝手にやってやるからな!by神童』
と書いてあるのを見て、俺は目をむいた。
ああ…やっぱり凄く怒っている。いくら事情があったとは言え、黙って何度もすっぽかたのは悪かったか。
昨日、拓人先輩が置いていった『吾輩は猫である』を鞄から出し、机に載せる。
そうして、さっきの原稿用紙の隅に、シャーペンで小さく『すみません』と書いた。
これを見て、機嫌を直してくれたらいいんだが…。
結局、拓人先輩と狩屋がどこへ行ったのかは不明のままで、俺は仕方なく、何でも知っていそうな人物のところへ足を運んだ。


「一人で来るなんてはじめてじゃないか?」
アトリエで、キャンバスに向かっていた霧野先輩が、筆を動かす手を止め、にやりとする。
「もしかして、神童に置いてきぼりをくらったのか?」
彼は血統や人脈だけでなく、自身も一筋縄ではいかない大したタマである。それゆえに、そう簡単に俺の知りたいことは教えてはくれないだろう。
「知ってるなら教えてください。霧野先輩が、拓人先輩に何か情報を渡したんですよね?拓人先輩が鬼道有人のことを調べていたのは知ってます。俺のクラスメイトまで巻き込んで、俺の部の部長は何をしようとしてるんですか?」
霧野先輩が、楽しそうに俺に問いかける。
「それを教えたら、お前は、俺に何をくれるんだ?察しの通り、俺は神童の望む情報はやったが、神童はちゃんと代償を払ったぞ」
だ、代償って…まさか!俺は、唾を飲んだ。
「描いたんですか!?拓人先輩のヌード!」
思わずキャンバスに視線を走らせたが、拓人先輩のヌードらしきものは見当たらない。
「さぁ、どうだろうな?けど、そうだな。なかなか見応えがあったとだけは言っておくか」
霧野先輩は、わざと煽るような言い方をする。
「で?剣城?お前も脱いでくれるのか?だったら思い切り耽美な絵を書いてやるさ。青春の記念に一枚どうだ?」
「ヌードは遠慮します。けど、拓人先輩がどこへ行ったのか教えてくれたら、霧野先輩が拓人先輩にしたことを、黙っておきますが」
「なんだそれは?」
とぼける霧野先輩に、俺は落ち着き払った口調で推理を言った。
幽霊騒ぎの犯人が霧野先輩であるということを。
「へえ…その根拠は?」
「あれだけ派手にやれば、普通わかりますよ。黒百合の花束なんか、俺たち中学生がやるには値が張りすぎますし、校舎の明かりなどを操作するのも、理事長の血縁関係者であるあんたなら可能ですよね。それらの条件を満たしつつ、拓人先輩に、嫌がらせをしてメリットがあるのは、霧野先輩くらいじゃないんですか」
「俺のメリットとは?」
「拓人先輩がおたおたするのを見て、楽しんでたでしょう?それで悪ノリして、メモのほうもグレードアップしましたよね?それによって拓人先輩が幽霊の正体を突き止めようとムキになり、霧野先輩に情報を提供してくれるよう頼みに来るかもしれない。そしたら代償として、霧野先輩の望むことを要求できますからね。実際、そうなったわけですし」
霧野先輩はまだ、口元から笑みを消さない。
「それで?」
「拓人先輩が知ったら、怒り狂うでしょうね」
「神童の行き先を教えたら、黙ってくれるんだな」
「はい」
「残念だな。それじゃあ取引にはならないな」
俺の口から、間抜けな声がこぼれた。
「は?」
「神童にバレたってかまわないからな」
「っ、拓人先輩、頭から湯気立てますよ?一生根に持つし、絶交されますよ?学校の廊下で、あかんべぇをするようなガキっぽい人なんですよ、あの人は」
「いいな、それ。神童にふくれっつらで睨まれたり、あかんべぇとかされてみたいな。怒った顔も、一生残したいほど可愛いからな。好きな奴ほどいじめたくなるとかいうだろ?神童に一生恨まれるなんて、考えただけでゾクゾクするな」
俺は唖然とし、それから脱力した。
ダメだ。霧野先輩はフィディオと同じ思考の人だったのか。こういう人に、俺たち一般市民の論理は通じない。
肩を落とす俺を見て、霧野先輩はニヤニヤした。
「俺を脅そうなんて百万年早いぞ、剣城」
「痛感しました」
「けど、その度胸に免じて、一つ教えてやるさ。神童はエレン=ディーンに会いに行ったんだ」
エレン=ディーン?聞いたことのない名前だ。というか、外国人か?
戸惑う俺に、霧野先輩は、きびきびとした口調で言い渡したのだった。
「さて、俺は忙しいから帰ってくれ。最近、やることが多くて胃が痛いんだ。ご立派な爺さん達が、あれこれうるさくてな。人の趣味にまで口出ししてくるから参るってもんだ。これでも繊細なんだぞ」


エレン=ディーンって誰なんだ?鬼道有人の関係者だろうか?
拓人先輩はその人に会いに行ったのか?だが、どうして狩屋も一緒に?
あれこれ考えながら歩いていると、校門の脇から松風とフィディオが急に飛び出してきた。
「待ちきれなくて来ちゃったよ京介」
「剣城携帯持ってないんだもん。拓兄もだけど、いまどき携帯は常識だよ」
「!驚かすなお前ら!」
「デモーニオの様子、どうだった?」
フィディオが真剣な顔で、身を乗り出してくる。というか松風、まだ言ってなかったのか!
「それが、今日デモーニオは学校に来てないみたいだ」
「体調悪いのかな?」
「デモーニオのクラスの奴に聞いたが、よくわからないとさ」
「!?もしかして、空腹で倒れたのかも」
「そしたら、さすがに親戚の人も、病院に連れて行くと思うけどな」
「そんなのアテにならないよ!親戚っていっても、もとは赤の他人なんだから」
フィディオは、心配でじっとしていられないようだった。眉根を寄せて苛々と爪を噛み、それから急に顔を上げ言った。
「お見舞いに行こう、京介、天馬」



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