二章 上


【彼が死んだ――。
帰国後知った真実に、彼は愕然とした。
どういうことだ?何故彼がいない?
彼への復讐だけを胸に、のし上がってきた。彼を裏切った彼を地獄に引きずり落とし、償いさせるために、彼はこの地へ舞い戻ってきたというのに。
なのに、彼が死んだ?彼の魂である彼が?
彼の世界は砕け散り、魂は嵐の海に投げ出され、荒れ狂う黒い海の中へ堕ちていった。
握り締めた拳が折れるほど、壁を何度も殴り、彼は獣のように叫んだ。】



〜二章・誰ですか、アレ 上〜


「えっと…その…誤解のないように言っておくが、幽霊が怖くて腰を抜かしたんじゃないからな。たまたま持病の腰痛が出ただけなんだ」
中庭で、幽霊に会った一時間後――。
俺たちは夜の住宅街を、寄り添って歩いていた。
別に甘い雰囲気なわけじゃない。拓人先輩が腰を抜かしたため、自力で帰れず送ってゆくハメになったのだ。
俺の腕にしがみつき、よろめきながら、真っ赤な顔で怖かったからじゃないと繰り返し主張する。
「……そんな持病があるなんて初めて聞きましたけど」
二人分の荷物が入った鞄を左肩に提げ、右肩と右腕で拓人先輩を支えながら息を若干切らして突っ込むと、さすがに反省したのか、うなだれてしまった。
「すまない。俺、ダメな先輩だな」
少し冷たくしすぎたか…。いや、ここで甘やかしたら、この人は確実に図に乗る。
「自覚あるなら、無茶な行動は控えてください。男のくせに女みたいなひ弱な体して――痛っ」
刹那、怒った顔をした拓人先輩に、いきなり頬をつままれた。
「ひどいぞ剣城!先輩への尊敬が足りなさすぎる!」
「っ、拓人先輩こそ、後輩をいたわってください」
痛みに耐えながら言うと、拓人先輩は指を放し、俺から離れた。
「もう一人で歩けるから、ここでいい」
「まだ、よろけてますよ」
「その角を曲がって、一、二分だから平気だ」
拓人先輩が頬を膨らませ、そっぽを向いたときだ。

「ちゃんと説明しなさいよおおぉぉぉぉ!」

近くで、女子の金切り声が聞こえた。
「天馬くんにとっての私ってなんなの?」
「そうよ、あたしとこの女と、どっちを選ぶのよ!」
「ちょっと、なにソレ、あたしを無視しないでよ!」
曲がり角の向こうで、誰かもめてるみたいだ。拓人先輩と一緒にのぞくと、外灯の下で、三人の女子が一人の男子を囲んで騒いでいた。
茶髪で独特な髪型の少年は冷汗をかきながらなんとか三人をなだめようとしていた。
「あの、移動しようよ。家の近くでもめられると困るんだけど…」
そう少年が言ったとき、ふいに背筋に寒気を感じた。
隣を見ると、なぜか拓人先輩が尋常でないくらい殺気をみなぎらせている。
なんであんたが怒ってんだ?
まったく理解ができず内心焦っていると、拓人先輩は、俺から鞄を奪い取り、ずかずかと歩き出した。
さっきまでよろよろと歩いていたのが嘘のようにそちらにまっすぐ向かう。
そして鞄を振り上げると、
「こら!天馬!」
「げっ、拓兄!」
その少年めがけて、それを振り下ろしたのだった。
バシッと音がし、鞄がそいつの顔に激突する。周りを囲んでいた女子達がのけぞる。俺も仰天した。
「まったく、お前は!家の近くでもめごとを起こすなって、あれほど言っただろ。ご近所様に恥ずかしいじゃないか。それにまた三股もかけるなんてな!お前には誠意ってものはないのか?」
地面に尻餅をついた少年の顔や頭を、両手で叩く。
女子達が拓人先輩に恐れをなして固まっている中、俺は慌てて駆け寄り、拓人先輩を止めようとした。
「やめてください。よくわかりませんが、暴力はいけませんよ。とにかく落ち着いてください、また腰痛が出ますよ」
「剣城は黙ってろ!」
拓人先輩は俺が止めようと伸ばした腕を振り払い、女子たちに大真面目に「こいつを取り合うより夏目漱石全集を読め」と語り、少年の耳を掴んだ。
「さ、帰るぞ、天馬」
「い、痛い、痛いですよ拓兄」
そうしてその少年を引きずるようにして、月に照らされた夜の道を、悠々と歩いていったのだった。
そんな拓人先輩を見てざわめく女子達の隣で、俺も茫然と立ち尽くした。
そういや、拓人先輩たちが歩いていったほうには、この辺り一番の豪邸があったが、そこに住んでいるわけはないよな……じゃなくって、
あいつ、拓人先輩のなんなんだ――。


翌朝。
いつもの時間に家を出、通学路を歩いていると、電柱の後ろから灰茶色のふわふわした髪が見えた。
「…偶然だな」
広げた文庫本を持った拓人先輩が、首をすくめ真っ赤な顔で、おずおずと出てくる。
「おはよう、剣城」
どうやら俺が通りかかるのを待っていたらしい。目の下を赤く染め、頭を下げる。
「昨日は、すまなかった。剣城が送ってくれたのに、俺、ついカッとなって、剣城をほったらかして帰ってしまって…本当にすまなかった」
拓人先輩は心からすまないと感じているようだった。俺が怒っているんじゃないか心配しているようで、持っている文庫の後ろから上目遣いに、ちらちらと見ている。拓人先輩が謝りにきてくれたことで、俺の気持ちは幾分かやわらいだが、まだひっかかることがあった。
「あの天馬って奴、何者ですか?ずいぶん親しそうでしたけど」
拓人先輩が、言いにくそうに答える。
「天馬は、俺の家に居候してもらっている奴なんだ。俺にとっては、家族みたいなものだな」
「居候してもらっている?」
その言葉がひっかかり尋ねてみたが、拓人先輩は口をつぐみ、答えようとはしてくれなかった。
俺は諦めて、「学校に遅れますよ」と言って、歩き出した。
「あ、待ってくれ」
拓人先輩が慌てて追いかけてくる。
「――結局、昨日の怪奇現象はなんだったんでしょうね?それにあいつも」
通学路を並んで歩きながら話を振ると、拓人先輩は口をへの字に曲げ、腕組みした。
「きっと、なにかからくりがあるんだ。絶対につきとめてみせるさ」
「…まだ調査を続ける気ですか?」
呆れる俺に、
「当然だ」
きっぱり断言し、
「じゃあ、また後でな、剣城」
昇降口の前で軽やかに手を振り、三年生の下駄箱のほうへ歩いていってしまったのだった。
やっぱり、まったく反省してねえっっ!!
朝からぐったりしながら教室へ行くと、クラスメイトのシュウが「おはよう」と声をかけてきた。
「おはよう、シュウ」
俺も挨拶を返す。最近、教室でシュウといることが多い。余計なことは口にせず、感情的になることもなく、まっすぐな木のように安定した精神を持つ彼と一緒にいるのは楽だった。特別親しい友人ではないが、今の俺には、適度な距離感が心地よい。
お互い、数学の宿題を答え合わせしようとノートを広げて話していると、シュウが軽く俺の腕をつつき、その指をそっと後ろに向けた。
振り返ると、クラスメイトの狩屋が、目をつり上げて俺を見ていた。
またか……。
狩屋は俺を敵視しており、いつもこうやって俺を睨む。以前、俺が嫌いだと話しているのを立ち聞きしてしまったことがある。いつも平然をよそおって、腹の中で何を考えているのかわからず、気持ち悪いそうだ。
だが、ただ気にくわないというだけで、ここまでしつこくガンを飛ばしてくるのか?俺は、狩屋になにかしたか?
シュウが、目で「じゃあ」と合図し、自然に離れてゆく。
狩屋は迷うように足を踏み出したり引っ込めたり、爪をいじくったりしていたが、俺がそれを見ていることに気づくと、頬を赤らめ近づいてきた。
「なんだ?狩屋」
尋ねると、不愉快そうに唇を尖らせる。
「別に、剣城くんに用なんかないよ」
素っ気無い口調でそんなことを言う。
「用がないなら、数学の予習をしたいんだが」
「セコイ奴。優等生ぶってやな感じだね」
「…狩屋、世間話に来たのか?」
「ち、違うよっ、なに言ってんのさ、どうして俺が、剣城くんと世間話とか…俺は…ただ…」
狩屋は目をそらし、ほんの少し気弱な感じで、ぼそっと呟いた。
「今日、神童先輩と登校してただろ?」
「は?」
視線を戻し、ずいっと身を乗り出してくる。
「とぼけるつもりはないが…。よく知ってるな、狩屋」
「た、たまたま見かけたんだよっ。剣城くんが来るのをチェックしてたんじゃないからなっ。単に二人が並んで歩いてたから、待ち合わせてきたのかなって思っただけで…べべべ別に、待ち合わせたからどーこーってことはないし、剣城くんのこともどうでも良いんだけど、神童先輩は図書委員の仕事でお世話になってるし、俺の尊敬する人だから」
俺は驚いてしまった。
「はあっ!?拓人先輩のどこを尊敬してんだ!?」
下級生に尊敬されるようなところ、あの人にあったか?
狩屋が赤い顔で答える。
「いっぱい本を読んでて、図書室のこと、何でも知ってるし、すっごいお人好しだけど、まあ親切だし」
…そういうもんなのか……?
「なんだよ、その不審そうな顔。俺が神童先輩のこと尊敬してたら悪いわけ?」
「別に…いいんじゃないか」
真実を知らないほうが幸せってこともある。せっかく狩屋が尊敬してくれてるなら、イメージを壊すのはやめといてやろう。
狩屋はそんな俺の態度がカンにさわったらしく、フン、と横を向いた。
「とにかく、神童先輩が、剣城くんなんかと登校してたから、どうしてかなって気になっただけだからなっ」
「途中で偶然会ったんだよ。それで一緒に来ただけだ」
本当は"偶然"ではないが、説明するとややこしいため、誤魔化した。
狩屋がちらりと俺を見る。
「ふーん……。ならいいけどさ」
そのまま背中を向け、自分の席へと戻ってゆく。
もしかすると狩屋が俺を目の敵にするのは、俺がいつも拓人先輩と一緒にいるからヤキモチを焼いているのか?


昼休みに自分の席で弁当を食べていると、拓人先輩がひょっこりやってきた。
「おーい、剣城」
教室の後ろの出入り口から澄んだ声で呼びかけ、笑顔で手招きする。
「どうしたんですか?」
狩屋からの棘のある視線を感じながら廊下に出ると、拓人先輩は目を輝かせ、嬉しそうに俺の手を掴んだ。
「昨日のあいつを見つけたんだ、剣城」
「はぁ」
「やっぱりあいつは幽霊じゃなかったんだ。ほら、来い、剣城」
引っ張られるまま、廊下を進んでいく。
「昨日のって…鬼道有人って奴のことですか?というか恥ずかしいんで手をはなしてください」
すると拓人先輩はくすりと笑い、指をほどく。
辿り着いたのは、二年の教室だった。雷門生徒数が多いため、同じに二年でも俺のクラスからはだいぶ離れていた。
「ほら、あいつだ」
後ろの出入り口から、拓人先輩と一緒にのぞき見る。昼休みでにぎやかな教室の真ん中に、目立つドレッドヘアーを下のほうで一本に結っている少年が、ぽつんと座っている。
そいつは何もせず、顔を少し伏せ、青白いガラスで作られた置物のように体を動かさず、まばたきすらしないのだ。その横顔や、病的に細い手足は、確かに昨日の夜俺たちが中庭であった奴にそっくりだ。
「な、間違いないだろ?」
「けど、雰囲気がぜんぜん違いますよ。昨日はもっと気が強そうじゃありませんでしたか?」
「夜遊びして寝不足で、ボーっとしてるだけかもしれないぞ」
「そうでしょうか」
ひそひそと話していると、そいつが静かに立ち上がった。
周りは誰も気にとめない。そいつは虚ろな表情で歩き出し、教室の出入り口から出て行った。
「俺達がいることに、気づいたのか?」
「そんな感じではないみたいですけど」
「よし、追いかけるぞ、剣城」
「ッて、ちょっと、拓人先輩」
ったく、困った人だ…。俺は仕方なく、拓人先輩についていった。
そいつはふらふらした足取りで廊下を進み、階段を下りる。
「どこに行くんだろうな」
「売店で、パンでも買うんじゃないんですか?」
「それなら逆方向だ」
階段の半ばほどで、拓人先輩が「ちょっと、待ってくれ」と呼びかけたときだ。
残り一段を下りようとしていたそいつの体が傾き、そのまま崩れるように倒れたのだ。
俺たちは慌てて階段を駆け下り、そいつの上にかがみ込んだ。
そいつは体をくの字に丸め、目を閉じ、ぐったりとしている。
「おい、どうしたんだ、しっかりしろ!」
拓人先輩が声をかけても、そいつは目を覚まさない。糸の切れた人形のように倒れたままだ。
「剣城、そっちを支えてくれ。保健室に運ぼう。ゆっくりとな」
「はい」
拓人先輩と一緒に両脇から支えて立たせる。腕を持ち上げたとき、あまりの細さと手応えのなさに、ぎょっとした。拓人先輩も男にしては細い体つきをしているが、こいつの場合は体の中に何もつまってないいないんじゃないかと不安になるほど、肉体の存在を感じられない。
一階の保健室へ運び込むと、先生が声を上げた。よく貧血をおこして運び込まれているらしい。
先生が栄養剤を取りに向かっている間に、そいつはこちらを見て、静かに頭を下げた。
「運んでくれてありがとうございました。ご迷惑をおかけして、すみません」
消え入りそうな儚げな様子は、やはり昨日とは別人のようで、俺は内心戸惑った。拓人先輩も困惑しているようだ。
「えっと、俺は三年生の神童拓人だ。こいつは二年生の剣城京介、なあ、俺達、昨日の夜、中庭であったよな?」
その問いに、そいつはぼんやりした顔で、
「いいえ」
と答えた。
「けど、俺達、君にそっくりな奴と、昨日、話をしたんだが…。そいつは鬼道有人と名乗っていた」
とたんにそいつが、びくっとする。
「心当たりがあるんだな?」
拓人先輩が身を乗り出して尋ねるが、そいつは真っ青な顔で唇を震わせたまま、なかなか話そうとしない。
しばらくすると、先生が薬を持ってきて、そいつはそれを受け取ると、保健室から出て行こうとした。
「待ってくれ。俺たちが会ったのは。、本当にお前じゃないのか?」
細い肩が、また震える。うつむいたままそいつは呟いた。
「それは……きっと、俺の幽霊だと思います。それに、俺は鬼道有人ではなく、デモーニオ・ストラーダです」
拓人先輩が息をのむ。俺も空気が一瞬にして凍りついたような気がした。

――俺、とっくに死んでるからな。

昨日の鬼道の声が、耳の奥で木霊する。
それは、デモーニオと鬼道は同一人物で、鬼道はデモーニオに取り憑いている幽霊ってことなのか?投げ込まれたメモにも、"幽霊”という言葉があった。それに"憎い"や"苦しい"など…。
あのなぞの数字も、デモーニオに取り憑いている幽霊が書いたものなのか?
デモーニオはそれ以上は何も語らず、辛そうに唇を噛みしめ、頭を下げ、保健室から出て行ってしまった。






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