二章 下


【努力があり、俺はだいぶ"人間"のフリがうまくなった。
よい人だと思われたくてやってきたことは、今ふりかえれば本当は頬が燃え上がりそうなほど恥ずかしかった。
何故ならそれは全部嘘だからだ。俺は、本当はこれっぽっちも優しい人間ではない。これはペテンなんだ。
だから、優しい人だと言われるたび、俺は叫びながら、腹を切り裂いて自害したい衝動にかられた。
俺のことを好きだと言ったあいつは、無邪気で明るく、いつも楽しそうに笑っていて、子供っぽかった。
ああ、俺も、あんなふうであれば、どんなによかったか。
けど、そんな平和で単純なあいつが、俺は憎らしくもあった。】



〜二章・この世で一番美味しい物語 下〜


雨の雫が窓を打ちつけている部室で、俺は作文を書く手を止め、拓人先輩に尋ねた。
「拓人先輩は、好きな人いるんですか?」
「え?なんだ?」
読書に夢中になりすぎている拓人先輩は、周りの声なんか聞こえていない。
「あっ、もうおやつ書けたのか?」
急に顔を輝かせた。こういうことだけは、どんなことがあってもしっかり気にしているところが、拓人先輩らしい。
「好きな人がいるかって訊いたんです」
すると拓人先輩はよだれをたらしそうな顔で作家の名前を、指を折りながら言いはじめたので、俺はそれを遮った。
「食べ物の話じゃないです」
そして、出た名前で俺がわらかなかった人物を尋ねると、どんどん話がそれていってしまった。
「わかりました、それはもういいです、そうじゃなくて・・・・・・拓人先輩は、恋をしたことってありますか」
「え?コイ?」
拓人先輩が首を傾げ、きょとんとする。ヘタしたら鯉とか言い出しそうだ。
「食べる鯉じゃないですよ、ラブの恋です。L.O.V.Eですよ」
「恋ならいつもしてるが」
「だから食べ物じゃなく、人間に恋したことはありますかって訊いたんです」
今さらながら、この人に色恋の話を振った俺がバカだった。なんだか疲れただけかもしれない。
そう考えたとき、拓人先輩がいきなり遠い目をし、「フッ」と微笑んだ。
え?なんだ、この、ハードボイルドのテーマ曲でも流れてきそうなアダルトでシリアスな空気は。ひょっとして拓人先輩は、過去に辛い恋の経験でもあるのだろうか?
「俺は・・・・・・恋愛大殺界中なんだ」
「はあ?なんだよソレ?」
身構えていた俺は、呆れた声をあげてしまった。
拓人先輩は、窓のほうへ、ニヒルな視線を注ぎ、哀愁漂う口調で淡々と語りはじめた。
本人いわく、今年の初めに、行列のできる占い師に恋愛運を見てもらったところ、生まれたころから恋愛大殺界で、空回りしやすく、破局もしやすいらしい。だから、恋をせず、学業や趣味に集中すべきだと。
そして七年後の夏に、鮭をくわえた熊の前で、白いマフラーを巻いた男性と運命の恋に落ちると予言され、七年後まで恋はお預け発言をした。
夏にマフラー、熊の前って、アンタの相手は十年前に北海道にいたといわれる熊殺しの名を持つ人物か!つーか、アンタが熊の前にいたら確実に食われるぞ!!
そう言うが、拓人先輩は頬をふくらませた。
「剣城って、夢がないな」
「拓人先輩が、夢見すぎなんだよ」
「だって、文学少年だからな。あと、敬語じゃなくなってるぞ」
「はいはい、それで全て片付けないでください。もういいです。読書の邪魔をしてすみませんでした」
すると拓人先輩は俺が不機嫌なのに気がついたのか、困惑の表情を浮かべた。
「ええと・・・なにかあったのか?剣城」
「別に・・・」
「もしかして、好きな人が・・・できたのか?」
俺は顔をそらした。
「好きな人もいないし、なにもありません。それが一番いいんです・・・」
なにも起こらないこと。
誰も好きにならないこと。
痛みも悲しみも絶望もなく、おだやかに生きてゆくこと。
そんな毎日を俺は願う。
きっともう、俺は一生恋はしない。
「・・・・・・・・・」
拓人先輩は黙って俺を見ていた。
一年前、俺が文芸部に引っ張り込まれた頃も、俺はよく拓人先輩にこんな悲しそうな顔をさせていた。そのたび俺は、拓人先輩のくせにこんな顔をするなんて反則だと思いつつ、恥ずかしいような申し訳ないような気持ちでいっぱいになった。
「すみません、今日はもう帰ります」
沈黙に耐えられなくなり、書きかけの作文を置いて立ち上がる。
錆びれたロッカーを開けると、案の定、入れておいたはずの傘はなかった。
「はい」
拓人先輩が、淡い赤紫がベースで、ところどころに音符が描かれた折りたたみ傘を、にっこり笑って差し出す。
「剣城の傘は、俺が借りてるんだ。今日はこれを使ってくれ」
「拓人先輩は、どうするんですか」
「えへん。俺は、ちゃんと長い傘を持ってきてるんだ」
「・・・・・・そうですか。じゃあお借りします」
「ああ。また明日な」
澄んだ笑顔のまま手を振ってみせた。


「雨・・・・・・やみそうにないな」
昇降口を出てすぐの場所に、俺は傘を差したまま、立っていた。
どうせ、拓人先輩は一本しか傘を持ってきてないくせに、嘘をついて俺に渡したに決まっている。それくらい、俺でもわかる。
中学生になってから、俺はクラスメイトに対して仮面をつけ、距離を置いてつきあっていた。それを狩屋に指摘され、惨めな思いをしたばかりのくせに、拓人先輩の前ではつい素の俺になってしまう。
拓人先輩の困っているような悲しんでいるような顔を目にするたび、嘘でも笑えたらいいのにと思うくせに、言葉も表情もぎくしゃくしてしまい、情けない。
どうやれば、俺はもっと上手く嘘をつけるのか。
そう考えていたとき、虎丸が傘も差さずに降りしきる雨の中に走っている姿が見えた。
そして俺の前で立ち止まったと思えば、かすれた声でつぶやいた。
「ごうえんじ・・・・・・さん」
俺は意味がわからず呆然としていると、虎丸が泣きながら俺にしがみついてきた。
どうしたのかと尋ねたが、涙を流しながら濡れた体で俺にしがみついたまま答えなかった。
とにかく、このままじゃ風邪をひくと思い、俺は虎丸の腕をひき、一度校舎の中へと戻った。



【つきあってもいい、と俺が言うと、あいつは無邪気に笑った。
素のままで純粋で、心優しく、晴れやかな、神の愛し子の白い羊。
そんなあいつが、ねたましくて疎ましくて、同時にその純な眩しさに憧れずにいられなかった。
あるいは、もしかしたら、あいつなら、俺を変えてくれる、救ってくれるかもしれない。
恋をすれば人は変わるという。
俺は、愛や優しさを持たぬ化け物ではなく、普通の人間になれるかもしれない。そうであってほしい。
俺はそう強く願った。
最初はフリでもいい。けど、あいつを好きでいれば・・・どうか俺を救ってくれ。

けど、あいつも、俺が人を殺したことを知ったら、それでも俺を愛してくれるのか。優しい人だと思ってくれるのか。

俺は、化け物だ。

ある日、やわらかな肉が押しつぶされ、甘いような酸っぱいような香りのする赤い血が、黒いアスファルトの上に広がってゆくのを、空っぽの心で眺めた。
俺は、人間を、殺しました。】 



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