何もいらない、だから手を繋ごう

くちづけから堕落様に提出





シンと静まり返っている一室のベッドの上で、俺はなにもせずただ白い包帯に包まれている右足を見つめていた。
辺りは薄暗いにもかかわらず、その白だけが現実を受け止めろと言わんばかりにハッキリと目に映る。

(こんなんだから、寝れない夜は大嫌いなんだ…)

今は真夜中であり、昼間は人が沢山いると実感できるほど賑やかなこの病院の中も、さすがに誰もいないかのように物音一つ俺の耳には届かなかった。
まるで、たった一人、どこか別の世界に置いていかれてしまったようだ…。
そこで俺はハッとして頭を横に大きく振った。
ダメだ、ただでさえ今の状態だ。これ以上自身の重荷になるようなことを考えるのは避けなければ……。
次の決勝で雷門が優勝を勝ち取れば、俺達が始めた革命がようやく完遂される。だからこそ、出場できなくなってしまった俺が落ち込み、心配して病室を訪ねて来るみんなの志気を下げてはならない。
そのために今まで辛くても大丈夫だ、と自分自身に言い聞かせて、表では平然を装っていたんだ。これからもそれは続けなければならない…いや、裏に隠している今みたいな不安定な状態の俺をさらけ出してはいけないんだ。
しかし、そんな思いとは裏腹に、暗闇は俺の思考をどんどん沈めさせていく。

(…誰もいないから、今くらいは……)

俺自身もとうとう折れ、知らず知らずのうちに溜まっていた涙を拭い、膝に顔を埋めた。
といっても右足は動かせないため、左足だけ立てるというなんともかっこの悪い体勢だが、今の俺はそんなこと気にしていられなかった。
そうしただけでも、涙が止まることなく流れ続けた。





「泣いてるんですか、キャプテン?」


「っ!?」

慌てて顔を上げて声がしたほうへ向くと、いつの間にか窓は全開に開かれ、天馬がそこから顔を覗かせていたのだ。

「お前、何でここに…!!?」

そう尋ねながら、横目で壁にかかっている掛け時計を見た。
短い針はとっくに12を過ぎ、もうすぐ1をさそうとしている時間だ。
普通の人ならば寝ている時間である。一体、何でこんな時間に天馬は…。
そう思っていると、天馬は薄く笑みを浮かべたまま、窓を飛び越えて中へと入ってきた。

「ただの俺の勘なんですけど、キャプテンが泣いてるような気がして」

当たってましたけどね。と続けられたのを聞き、俺は慌てて目元を強く拭った。天馬が現れた驚きで既に涙は止まっていたが、まだ視界はぼやけていた。涙が溜まっていたのだから、それは当たり前の話であるのだが。
それに、後輩である天馬に泣いている姿を見られるのは、俺の薄っぺらいプライドが許さなかった。
天馬がサッカー部に入った頃にもう何度も見られてはいるが、それとこれとは訳が違うから気にしないでおく。

「な、泣いてなんかないからな…!」

「え、でも…」

「泣いてないっ!!」

「………」

変に意地を張る子供のように大声を出すと、天馬は黙って俺の傍へ歩み寄って来た。
けど、何故かその沈黙が重く感じてしまい、俺は視線を下へ落として俯いた。

「…キャプテン」

「…っ」

いつもの天馬らしい元気のある声音ではない声に、俺は身体を強張らせた。
俺に何かを伝えようとする少し鋭い声音に、もしかして怒られるかな、なんて他人事のように思った。
そう身構えていたが、いつまで経ってもきつい怒声も、痛みも襲ってはこなかった。
その代わりに左手に感じた温もりに、ゆっくりと顔を上げた。

「天馬…」

「キャプテンは一人じゃないんです。だから、俺を頼ってください。弱音だって泣き事だって、全部俺が受け止めますから」

天馬にしては大人びている声と表情に少しドキッとしてしまった。
いつもの眩しい満面の笑顔ではなく、優しく俺達を照らす月光のような優しい笑み。天馬らしくないといえばらしくないが、こんな表情を知っているのは俺だけなのだとしたら…少し、嬉しいな。

「…じゃあ天馬、俺が眠れるまで、このまま手を繋いでいてくれないか?」

「え、それだけでいいんですか?」

「ああ。お前が傍にいてくれる。それさえわかれば、今は充分だ」

そう微笑みながら頷いたが、天馬は何だか不満そうに唇を尖らせていた。

「ダメか?」

「いえ、ダメってわけじゃないんですけど…ほら、こう、抱きしめるとか胸を貸してほしいとか、膝枕してやるとか…」

「最後のはされたいことだろ」

「そうですけどぉ……」

「……フフッ」

急に先程とは打って変わり、拗ねはじめた天馬の姿に、つい小さく吹き出してしまった。

「ちょ、キャプテン!何で笑うんですか!!」

「アハハ、す、すまない…つい、な」

「ついって…」

天馬はとうとう完全に不機嫌になってしまい、頬を膨らませてそっぽを向いてしまった。
少々弄りすぎてしまったか。
俺は笑うのをやめ、天馬だけに聞こえるくらいの小さな声で呟いた。

「これよりも先がしたいなら、雷門がホーリーロードで優勝して、俺が退院するまで待ってくれ。そしたら、心置きなく何でもできるから」

すると、そっぽを向けていた顔を、こちらに風の如く速さで振り向き、目を凛々と輝かせた。

「本当ですか!なら、絶対ホーリーロードで優勝してみせます!俺、やっぱりキャプテンのこと、愛してますっ!!」

そう言って抱き着いて来そうな天馬に、照れ隠しついでに空いている右手でデコピンを食らわせてやった。



何もいらない、だから手を繋ごう
二人揃ってそのまま眠ってしまい、翌朝無断で侵入してきた天馬が見つかり、説教を受けることになるのは、これから数時間後の出来事だ。


 


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