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甘えん坊

▼甘えん坊

目を丸くした謙也に、白石はやっと「しまった」と思った。謙也の表情は、みるみる険しいものになっていく。(怒らせた、絶対)そうは思っても、出てしまった言葉をなかったことにする術を白石は知らず、謙也から目を逸らし黙り込んだ。

「お前、もっかい言うてみ」

もっかいなんて、言ったら殴ってでもきそうな謙也の様子に、白石はますます口を結ぶ。(こういうとき、黙るなんて、おれはずるい)じわり。目が熱くなって、は、と焦ったような吐息が漏れてしまう。(泣く、なんて、ずるい)拭いたいけれど、拭ったらなんか泣いてるってことを謙也に教えたがっているようで、できない。けれどこのままでは零れ落ちてしまう。(ああ、ずるい、ずるい、ずるい!)ぽたっと白石と謙也の間におちた液体は丸いしみをつくった。

「っ、悪い、白石」

(あ、)焦ったように抱きしめられて、目を閉じる。(謝らせた、悪くないのに)

「ごめん、白石かって、言いたくて言ったんとちゃうんや、わかっとる、わかっとるんや」
「けん、や」

ごめんなさい、どうしてそんな簡単な言葉が出てこないのだろう、いつから自分は変なプライドを持つようになったの、どんだけ偉いの。

「謙也、おれは、ずるい」
「…ずるくなんかないよ」
「ずるい、ずるいんや、怒るってわかってるのに、いつも謙也が傷つくこと言って、いざ怒ったらこうやって、ずるいんや」

自分はこれを謙也に告げたところで、なにをしてもらいたいのだろう。許してもらいたいのだろうか、そんな白石が好き、とでも言ってもらいたいのだろうか。(ちがう、そんなんじゃ)

「怒って、謙也」
「…」
「俺は、謙也に甘えすぎなんや。怒って、ブン殴ってええよ、謙也は」

(うそ、うそをついている)本当は怒られたいなんて思ってもいない。怒らせたいとも思っていないのだ。けれど、白石は謙也に幾度となくこんなことを繰り返して、そのひとつも謝ることなく終えている。だったら、めいっぱい怒って、土下座くらいやらされたほうが、自分の罪悪感ははるかに減るのだろう。(今も、俺は俺のことばかり)
謙也は俺の頬を撫で、顔を上げさせる。きゅ、と口を結んで眉間にしわを寄せる謙也の表情に、胸が苦しくなる。(今の言葉でも、きっと謙也は傷ついたのだ)

「そんなん、してやらんからな」

謙也は自分の額を白石の額にこつんと合わせて、すこし怒っているような声色でそう言った。(ああ、やめて、甘やかすな、ばかやろう)

「白石の言うことなんか、ぜったい聞いてやるもんか!」

ふわっと突然の浮遊感に、「わっ」と声が上がる。謙也は白石の体を抱きしめた状態で持ち上げていた。

「な、なにすんねん!おろせ!」
「好きなやつに甘えられてんのわかってて、誰が殴るかあほ。そこまでサドやないっちゅーねん」

(甘やかすな、)

「俺が、ほんまに怒りたかったら正直に怒っとるわ。でも、白石がうまいこと甘えられへんのはわかっとる、同じ中学生男子として!やから、気づいた俺が甘やかしたるんはふっつーのことやねん」

(だめになりそうで、こわい)
くるんと謙也は体を回転させ、持ち上げていた白石の体を椅子の上に下ろす。すとんと腰かけると、頭をがしがしと撫でられた。

「痛いっちゅーねん…」

顔を上げれば、謙也の顔が間近にあって、白石はなにを言われるでもなくゆっくりと目を閉じた。ふ、と優しく重なったそれに、じわり、と今度は胸が熱くなる。

「白石のキスんときの顔、俺好きやなぁ」
「…目、開けとったん」

ぐず、と鼻をすすって、もう怒っている気力のない白石に、謙也はひひっと笑う。(おれは、その顔、すきや)声に出せないことを、何度後悔しているのだろう。今は唇をふさがれているわけでもないのに。

「すっごいかわいー顔してんの、安心しきったような顔」

そう言われて、白石は頬が熱くなるのを感じた。(なんでそんなことさらりと言えんねん!)照れ隠しの怒りを感じながら白石は謙也を睨む。

「怖い顔せんといて、ほんま好きなんやって。俺、そんときぶわーって、あー白石好きやーってなるんや。むかつくこと言われて「なんやねんこいつ」って思ったりもするけど、白石が甘えてるって分かるとめっちゃときめくんやで、乙女やねん」
「わ、わかったから、もう喋んな、おまえ」

えー、と不満そうに声を上げた謙也に、熱くなった頬を押さえる。

「謙也の、そういうとこ、困る」

そのまま顔をおおって、小さく言葉を漏らした。

「ごめん、謙也」

するりと出てきた言葉に、白石の胸はきゅう、と苦しくなった。(冷めろ、俺の顔)顔を隠していた手を、謙也がやさしくどける。白石は特に抵抗もせず、赤いであろう顔を謙也に向けた。

「いいよ」

今度は謙也の手で頬を包まれ、今度はさっきより強く唇が重ねられた。(いえた、ちゃんと)ごめんの三文字、いいよの三文字、そのひとつのやり取り。こんなにも満たされるものなんだ、と思いながら、されるがまま謙也の舌を受け入れた。ふと、瞳を薄く開けてみれば、ばち、と謙也と目が合って、慌ててぎゅっとつむった。ちゅ、と音をたてながら、角度が変わる。今この瞬間も、謙也は目を開けているのだろうか、そう思うと恥ずかしくて、まぶたの力を抜くことができない。唇が離されると、白石はゆっくり息を吸って、固く閉じていたまぶたを上げればすこしちかちかとして、しばらく視界が滲んでいた。
ふう、と息をはけば、謙也はおかしそうに笑って、白石にまた顔を寄せ、目を閉じた。白石は、早くなる鼓動を感じながら謙也の唇に触れる。(あ、俺も、好き)自分に預けきったような、謙也の表情が、たまらなくなる。じっと見つめていれば、謙也は目を開き白石から唇を離した。

「そんなガン見せんでも…」
「えっ、見てたん?」
「なんとなくわかるわ…」

顔を赤くしている謙也に、白石もなんだか少し照れてしまう。

「謙也」
「ん?」
「…好き」

謙也が言っていたのは、こういうこと、だろうか。溢れるような感情は、自分の意思で心の中だけに留めることができずに、するりと零れ落ちた。それを謙也が受け止めてくれることを、白石は分かっている。謙也は先程より顔を赤く染めて、白石の名を呼びがばっと抱きついてきた。
ぐらり。所詮はパイプ椅子。ガタン!と音を立てて白石は椅子とともにひっくり返る。慌てた謙也は倒れる前に白石を引き寄せ、椅子の横に転がった。

「いってー!」
「あほか…びびったっちゅーねん…」

後頭部をさする謙也に、ふふ、と思わず笑ってしまう。謙也は怒ることはなく、一緒に笑った。

「しーらーいーし!」

浮かれた様子で強く抱きしめられ、ぐえっと声が上がってそれをまた謙也に笑われた。

「謙也、重いやろ。離して」
「んー」
「聞けー」
「まだ離したないねん」
「なんやねんそのキメ顔、そろそろ帰らんと、外まっくらやで」

えー!と今度は子供のように駄々をこね始める謙也を、白石は呆れながらも、かわいいと思ってしまう。(重症や)

「ええやん、明日も明後日も、一緒やねんから」

そう言うと、謙也はがばっ!と起き上って、白石は突然のことに目を丸くした。

「ほんま?」

(わーなんやこれバカップルや)ほんま、と謙也の言葉を疑問符を取り除いてそのまま返す。謙也ははぁー!と息なんだかわめきなんだかわからないものをはいて、すく、と立ち上がった。

「よし、帰ろ、白石!」
「お、おう…」

笑顔がまぶしい謙也に、白石も慌てて立ち上がる。(ああ、日誌を届けなくちゃ)机に目をやれば、日誌の姿は見当たらない。

「白石はよう!ハリーアップ!」

そう言った謙也の手に日誌の姿を見つけ、はは、と白石は疲れたような笑いを浮かべる。職員室まで一緒に行ってくれるのだろう、それは少しうれしかった。
思いのほか、ドアを開けた先は真っ暗で、急いで鍵を手にして、部室をあとにした。
隣を歩く謙也に、白石はいつもとは違う、妙に照れくささを感じながら、いつもより遅い謙也の歩調に合わせて、職員室を目指した。






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