「漢数字のご、じゅう、楽器のすず、で、いすず、です」
 天使かとおもった。あんまりにも顔が良すぎて。天使? わかんないけど、なんかそういう、神さまに近いやつ、なんなら神さま。そういうのかとおもった。ので、そんなとんでもなく見目麗しいおとこが自己紹介するのを、俺はなんとなく他人事のような心持ちできいていた。はあ、みたいな、気の抜けた声が口から勝手にでていく。
「本名、すか」
「うん」
「はあ……」
 随分慣れてましたものね、漢数字のご、じゅう、楽器のすず、で、五十鈴さん。よく言い慣れてる滑らかさだよ、いまのは。
「あー、えと、セナ、です」
「本名?」
「ここで本名いうやつの方が少ないすよ」
「ふふ、そっか」

 ケア、とか、支援施設、とか、もうちょいストレートな言い方だとマッチング、とか。俗にはそんなかんじで呼ばれている、一応、公的機関。ダイナミクス性保持者の心身の健康の維持と増進を目的として云々、みたいなやつ。要はパートナーのいないDomとSubを相性の良い相手と引き合わせて、プライバシーに配慮した上で安全にプレイを行える場を提供しますよ、っていう、そういうこと。一応、性行為は禁止、ってことになってるけど、まあ、なってるだけ。プレイ用の個室にはどうせ監視カメラなんかも無いし。守ってるやつなんかいないんじゃねえの。しらんけど。そもそもセックス無しのプレイってなんだよ。
「俺とマッチングしたってことは、五十鈴さんもさくっと済ませて帰りたい派っすよね?」
「ねえ、その敬語やめない?」
 俺の話聞いてる? 聞いてねえか。どうでもいいけど。
「五十鈴って呼んでよ」
「……Dom様がそう言うなら」
「あははっ、嫌な言い方だなあ」
 嫌、というわりにはからっとした口ぶりだった。なんだこいつ。
「セーフワード、いつも何にしてるの?」
「『殺してくれ』」
「わあ、物騒だねえ。じゃあそれでいい?」
「ん」
「はい、じゃあここ」
 ばかでかいソファに座らされて、で、ここでなんとなく、ああこれ、もう始まってんだな、って、肌で感じる。うまくいえない。でも、期待、している。そりゃそう。そういう場所だし。
「されたらいやなことある?」
「……別に」
「そう? ないならいいけど。途中でもこれやだなーっておもったらちゃんと言うんだよ。できる?」
 五十鈴が首を傾げる。子どもっぽい仕草が、このおとこにはやけに似合っていた。背中から腰のあたりがぞわぞわする。コマンドは使われてない、はず。なのに。五十鈴はわらっている。この部屋に入ってきたときからずっと変わらず、ゆったりと。そういう態度がこのおとこの神聖さにも似たうつくしさを一層際立たせていた。
「で、きる」
 こたえれば、五十鈴は笑みを深くする。なんか後光みたいなのみえる気がする。気のせい? 気のせいか。気のせいです。はい。
「いいこ。セナはえらいね」
「……ぁ、」
 五十鈴の声が鼓膜を震わせて、たったそれだけで俺のからだからは力が抜けてしまう。腹の底のほうがふわふわして、その感覚がすこしずつでかくなって、上の方まで、胸、あたま、って、のぼってくる。
「あは、もうきもちよくなっちゃった?」
「……ごめ、な、さい」
「ふふ、なんで謝るの? なんにもわるいことしてないじゃない」
 白い指がのびてきて、俺の顎の下をくすぐる。猫扱いかよ、って、おもった。たしかにおもった、けど、声にはならなかった。だって別に文句ないので。猫でも犬でもなんでもいい、こうやってさわってもらえるんなら。ちょろいんだよ、俺のSub性。
「セナ」
「うん……?」
「僕のこと、みて」
 瞳は蜂蜜みたいな色をしていた。喉に絡みつきそうに、どろどろしていた。
「きもちいいねえ? ねえ、セナ?」
 それが命令だって、わかった。わかってしまう。だって俺はSubで、このおとこはDomだから。ふるえる。指先も、背中も、細胞のひとつひとつ、からだのずっと奥の方、たぶん、こころ、まで。よろこんでいる。ぜんぶで。
「ぁ、きもち、い……」
 いわされた言葉でまたきもちよくなって、いいこだねってまたいわれて、それでまた、繰り返す。
「ふふ、スペース入れそうだね? ……もう入っちゃったか」
 五十鈴がなにをいってるのかすらもうあたまに入ってこなくて、力も入らなくて、なんにもわかんなくて、ほめられたくて、支配されたくて、ただそれだけのいきものになって、俺はソファの下、五十鈴の足元に座り込む。
「わあ、おすわりしてくれるの?」
「……えらい?」
「うん、えらいねえ、セナ」
 えらい、らしい、俺。そっか。ふわふわする。あたまの奥が痺れて、ばかになったみたいに、もうほんとに、なにも、なんにも、かんがえられない。
 
 気がついたら、ソファに座るおとこの両脚の間にはさまって、その太ももの上に頭を乗せていた。からだを起こせば、頭上からおや、と声が降ってくる。
「もどってきた? おかえり」
 そう言いながら、五十鈴は俺を見下ろす。ゆったりと微笑んで。
「悪い、勝手にトんでた……」
「かわいかったよ? セナはスペースに入るのが上手なんだね」
 やっと回るようになった頭で、やらかした、とおもう。こんな、自分はなにもしないまま爆速でスペースに入ってDomを放置して、とか、ない。ないだろ、これは。気の短い相手だったら放置して帰られてても文句は言えない。
「あー……どうする? とりあえず咥える?」
 せっかくちょうどいい体勢だし。なにかしなきゃまずいだろ。そう思って提案したら、五十鈴は目を瞬かせて、「うん?」と首を傾げる。
「くわえる……なにを?」
「なにって……それ」
 処女みたいな反応してんなよ。もしかして口で言わせたいみたいなそういうプレイ? ……じゃないな、これは違う。本気で不思議そうな顔してる。
「それ……え、ああ、そういうこと? でもそういうの禁止、だよ? ここ」
「……おまえマジ?」
「……?」
 ガチで天使とかなのかもしれない、こいつ。いや天使……天使ってなんかやっぱしっくりこないな。それはどうでもいいんだけど。
「えーと……セナ、物足りなかった?」
「や、俺は……でもおまえに何もしてないし」
「僕は満足だよ?」
 そんなわけあるか、って言葉を飲み込む。今日なにも喋ってなくないか、俺。でもDomのことは俺にはわからないし、ひとくちにDomといえども個人差はある、し。
「……おまえ、いつもこういうプレイしてんの? Subを褒めて、犬猫みたいに撫で回して、スペースに入れる、だけ、みたいな」
「うーん……まあ雑に言えばそう、かな?」
「マジ……?」
「あはは、そういうセナはいけないことしてるんだね?」
 いけないこと、と言うわりにはそこに咎めるような色はなかった。まあそう、って肯定する。
「だいたいセックス前提じゃねえ? 特に事情とかなきゃ」
「そうなの? そもそも僕、こういうところあんまり使わないからなあ。普段は抑制剤飲んでるし」
「今日は薬切らした、とか?」
「そんなとこ」
 五十鈴はそう言って立ち上がると、ハンガーにかけてあった上着をとる。ご丁寧に俺の分まで。やることやったので解散のお時間です。意外と順番待ちが多いから、無駄に居座るのはあんまりよろしくなかったりもする。
「セナ」
「ん?」
 名前を呼ばれる。顔を上げる。ライトベージュのロングコートが異様に似合っていた。
「このあと、暇?」
「は?」
「ご飯、いく?」
「あー、まあ、」
 いいけど、って、続けようとした。したんだよ、俺は。したのに。
「それから、その気ならホテルもね」
 めちゃくちゃだろもう、そんなの。なんだそれ。きみが決めていいよ、って微笑とともに言い放つおとこは、俺が今までに出会ったどのDomよりもDomらしかった。間違いなく。圧倒的に。
 扉が開く。軽やかな足取りで出ていくその背中を追いかけられるだけの衝動を、俺はたしかに、握りしめた手の中に持っている。


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