どれだけ疲れていようが見るもんは見る。夢の話だ。悪、がつくほうの。
そうっとベッドからぬけだして、素足の裏で触れたフローリングはつめたかった。気持ちは数ミリ、実際はたぶん十数センチとか、とにかくほんのすこしだけのつもりでカーテンをあける。ビルのてっぺんあたりが太陽にあかく染められていて、そのずっと上にはまだ夜空が残っていた。地上は光であふれている。人間がつくった光、人間がいきている光で。
「……なにしてんの、いまりさん」
不意に背後から伸びてきた手がカーテンを閉める。眠たそうな声が耳元をかすめて、俺の肩口に吸い込まれていく。
「外みてただけ。目、覚めたから」
「おもしろい?」
「別に」
「ええ、じゃあねましょうよ。まだ夜でしょ」
俺の肩のところでぐずっていたおとこ――蛍はそういって、俺の背中に貼りついたまま、ベッドの方へ方向転換する。
「もう朝だろ、太陽でてた」
「いま隠したんで。夜ですよ」
このおとこは、まるで街よりもこのワンルームがおおきいみたいなことを、平気でいう。潜り込んだベッドのなかはまだあたたかかった。
「伊万里さん、やな夢みたんでしょ」
内緒話をするみたいなトーンだった。なんかそんな顔してましたよ、って。それから、大丈夫ですよ、ここでは安心してていいよ、って、そういうことをいいたいみたいにわらう。その顔が、俺はあんまり得意じゃない。俺はそれを、ちゃんと受け取って、ちゃんと受け止めることができないから。
おまえみたいにつよくなれないの。なにかをしんじていられない。大丈夫になれないよ。それが後ろめたくて、結局俺は蛍の顔をみていられない。ビルをみたい。なんにもおもしろくない、期待することなんかなんにもないかわりにおそれることもない、しらない誰かたちがシフト制でいきている光だけをみていたい。かわらないものだけが確かで、かわっていくことは不確かで、不確かは、こわいよ。俺には。
「蛍」
「なんですか」
「僕がいるから大丈夫ですよ、とか、いわないの」
それでも、こわいのにそうやってきいてしまうのはたぶん、傷つきたいから、だった。底の方で安心していたい。安心できないことに、安心していたい。
「いってほしいですか?」
「いいたくないの」
「いいたいですよ」
「いわないの」
「いってほしいですか?」
「…………」
「いわないですよ。いってほしくないのにそんないいかたするひとには、いってあげません」
蛍の声はどこまでも穏やかだった。いわせてしまった、とおもった。勝手に傷つきたがって、傷つけてしまった、とも。
「……ほたる、」
「はい、なんですか」
「……ご、めん」
声がふるえる。泣く資格なんてないのに、涙腺はそんなことはお構いなしで、蛍のスウェットの、胸のところのプリントが滲んでいく。
「ごめん、おれ、いまの、ほんとに、ほんとによくなかった」
「いいですよ、全然、気にしてないです。伊万里さんが不安になるの、わかってるから」
僕もごめんなさい、当てつけみたいないいかたして、って、蛍はいう。なんにもわるくないのに、引き分けにしてくれようとする。
「伊万里さん、泣かないで」
それがまた、こころにくる。
「……じゃあ、隠しといて、よ」
みえなかったら、無いのとおんなじなんだろ。太陽が隠せるなら、俺なんて、簡単なもんだろ。
「そう、ですね。うん……はい」
背中に蛍の腕が回って、からだとからだの間にあった隙間がなくなる。
「はい、これで」
「……ん、」
「起きたら朝ご飯にたべたいもの、考えといてくださいね。僕がつくるから」
「……うん」
じゃあそのときまで離さないでいて、のかわりに、額を押しつける。蛍がちょっとだけわらったから、それでもう伝わったことにして、目を閉じる。なみだがこぼれて、スウェットに染みこんでいく。朝が、遠のく。
戻る