「俺を殺して」
目の前の天敵は唐突にそう言った。
「疲れたんだ。全てに」
俺は目をしばたかせる。
掴んでいた標識から手を離した。
「情報をこの世に氾濫させることも、それを動かすことも。火薬はもう充分撒いたんだから、あとは火種たちが勝手に燃え上がってくれるだろうし――もう、俺が手を加える程じゃない」
奴はゆっくりと俺に近寄る。何故だか俺はその場から一歩も動けずにいた。
「人を愛することにも、飽きちゃったんだよね」
目の前に黒いコート。風にひらりとはためくそれには、いつもの不快感を感じることができない。
どうしたんだ俺は。
身体中が麻痺しているみたいだった。
「だって、どんなに俺が人を愛しても、人間は俺を愛してくれないんだ」
苦痛に歪む表情。無理して笑っているのは丸分かりだ。
「別段見返りを求めていた訳じゃないけどさ。流石に今までもこれからもこうだと、こう、めげるっていうか」
腕をとられる。
反抗する気がどうにも起きず、されるがままになっていると、奴は俺の手を自分の首元に持っていった。
「なーんか、ね。つまんなくなっちゃったんだよ。何もかも、思い通りすぎて」
それから、掌を喉に掛けさせられる。
「波江さんには悪いけど、後のことは彼女に何とかしてもらおうかな。まああいつなら、俺が居なくても悠々と生活していけそうなものだけれど…ただ働き手が見付かるかどうか。見物だなあ」
何が可笑しいのか、喉の奥でくつくつと篭った笑いを零す。
「ああ、しまった。死んだら何も見えなくなるのかもしれないじゃないか。死後のことなんて真面目に考えたことなかったから、失念してたよ!」
ひとしきり笑い終え、奴は漸く、俺と目線を合わせ。
「でもいいや。考えるのも億劫だ」
にこり、と。
そこで初めて、見たこともないくらいに穏やかな顔をして――
「さあ、シズちゃん。俺を殺して!」
どうして俺に頼むのかとか、そんなに嬉しそうに笑むのかだとか、そして殺したい程憎んでいたこいつをすぐに殺せずにいる俺は、一体どうしてしまったのか、とか、聞きたいことは沢山あったけれど。
一つだけ言える事実は、俺が、自身の手の甲に重ねられた温もりを手放すのを、惜しいと思ってしまったことだけだ。
午前2時の涙
(じゃあね、と言いながらも震える身体を、そのまま抱きしめた)
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なんか唐突に思い付いたんだがオチに夜逃げされた。
いつにも増して意味不明!
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