がしょん、と遠くでタイムカードを切った音がする。その何秒か後に、薄っぺらな事務所のドアは軋みながらどうにか開いて、その陰から見慣れたドレッドが現れた。

「静雄、お待たせ」
「いえそんな、全然、」

待ってないっスと続けようとするも、指輪のついた大きな掌が俺の痛んだ髪をわしわし掻き回してしまって、俺は結局その遠慮の言葉を飲み込むしかなかった。トムさんはいつだって狡い大人だ。

「お疲れ様。久しぶりの回収だったもんな、疲れたろ?」
「まあ…でも平気っスよ」
「ははっ、あんま根詰めんなよー」

階段を降りていく背中は、随分と長い間、俺が追い掛け続けていたもので。その背に追い付きたくて、隣に並びたくて、必死こいて此処まで辿り着いた俺は、言うなれば只の単純馬鹿だった。でもそれでも良いと思う。恥ずかしいことにトムさんは、そんな馬鹿な俺を丸ごと好きでいてくれるというのだから。

「もう遅いしな。飯でも食うか」
「あー…俺サイフ家なんで、今日は…」
「はァ?静雄お前、トムさんにもたまには先輩面させてくれよな」
「え?は、へっ?」

意味が分からなくて俺が疑問符を立ててしまうと、トムさんは立ち止まり俺を振り向いた。じろじろと眺めていたのがばれたのだろうか。うっわ、俺、もう、恥ずかしい。穴に隠れて埋まって死にたい。

「だからー。奢ってやるっつってんべ?」

トムさんはそうにかりと笑う。ごめんなさい。疚しい目で見ててごめんなさい。自分の浅はかさに腹が立つ。なぜだろう、トムさんの前だとどうしても感情が定まらないのは。惚れた弱みと片付けてしまえばそれでおしまいだけれど、それでも俺は、こんなにふわふわした感覚を、未だかつて抱えたことがないのだ。けれどこれを初恋と呼ぶのなら、全てはすっきりと収まってしまうのだから、やっぱりこんなに狡いことってない。

「……じゃ、次は俺、奢りますんで」
「バーカ。そんな金あんならさっさと借金返済しろっての」

ちょっとだけ手を伸ばせば届く位置にいるのに、引き寄せる力を俺は持っているというのに、一向にそれができない。好きな人を呼び止めるだけのこと、それがこんなに勇気がいるなんてそれこそ、無知な俺は知らなかったのだ。だから狡い大人なこの人に、少しずつでいいから、優しさの加減を教えてもらえればいいなと思う。けれどそんな我が儘を俺はいつまで押し付けていられるのだろうか。

「どこ行くか」
「や、安いトコで」
「じゃーたまにはファミレスだな。肉食おうぜ肉」
「っス」

取り敢えず今は、夜が明けるまでの平穏を望ませて。



飛び越えて、春闇

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とむしず、一応初です




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