君と僕。/晃要



「塚原くんはコンタクトにしないの?」

答案用紙に赤ペンを走らせる背中が、不意にそう呟いた。

「え?」
「最近の子、眼鏡、嫌いらしいから」

塚原くんはどうなのかなって。
紙を何枚かめくる音に紛れて、先生はちらりとオレに目を向ける。

「あー、多分変えないですね」
「どうして?」
「昔初めて眼鏡にした時、散々遊ばれたんです。…あいつらに」
「ああ、成程ね。今更また変えたら」
「色々……面倒ですし」

中学生だった頃の自分やあいつらを思い出すと、未だに溜息が止まらない。そこでふと思う。
先生は眼鏡を始めた時、どうだったんだろう。誰かにからかわれたり、褒められたりしたのだろうか。いつから掛けたのか、どうして掛けたのか――そこまで考えて、止めた。オレと先生の間には、知らない時間が多すぎる。
沸き上がった虚しさを振り払うべく、手の中で湯気を立てるマグを見つめる。茶色の水面に映り込んだオレの目は、自分を見ているだけだというのに、ひどく泳いでいた。

「もう、これが普通になったので」

間を持て余し、付け足すように言葉を次いだ。先生はまだ、赤いサインペンを片手に蛍光灯の光を浴びている。断続的に響く、マルとバツを付ける音が、やけに耳についた。
自分よりもひとまわり、ふたまわり大きな背中。背筋のぴんと伸びたその姿が眩しい。あの背中が、オレと同じくらいだった頃が、先生にもあったのだろうか。

「先生は、」

気付けばオレの口は、勝手に動いていた。

「コンタクト、しないんですか」

言い切ってから、もしかしたら仕事の邪魔になってしまったかもしれない、と気が付いた。
いつもこうだ。何事も、言ってから後悔する。けれどオレは、そこで言わなかったとしても、きっと後悔してしまうのだろう。先生が相手だと、何をしようにも、どうも上手くいかない。

「うん、そうだね。しないかなあ」

のんびりした声が返ってきたことに安堵したのか、心臓がどくりと波打った。これだからオレの想いは本当に面倒だ。自分の放ったたった一言にさえ、こんなにも臆病になってしまうのだから。

「…そう、ですか」

たわいもない会話だというのに、どうにも愛想のある相槌を打つことができない。そんな自分にまた嫌気がさして、オレはまだ熱いコーヒーをぐいと飲み干した。舌が痺れる。火傷をしてしまったかもしれない。そのまま俯き、なんとか落ち着こうと大きく息を吐くと、すぐ向かいで椅子の軋む音がする。

「なんか、コンタクトってさ」

目線だけをそろりと上げれば、回転椅子で体をオレに向けた先生が、両手を突き上げて伸びをしていた。

「硝子を、こう、目に入れる訳だよね」
「……まあ」
「…ちょっと、怖いなって思って」

先生は恥ずかしそうに頭を掻く。どうやら採点は終わったらしい。窓の外を見ればいつの間にか日は落ちていて、真っ暗だ。

「待たせてごめんね。帰ろうか」
「あ、はい」

先生がコートに手を伸ばしたから、オレもマフラーを首に巻き付ける。暖房の効いていない廊下は寒いに違いない。先生が書類を纏め始めたのを見て、マグを給湯室に下げにいく。流しで軽く濯いでから、棚の隙間に置いた。
もう仕度は出来てしまっているだろう。急いで職員室へと戻ると、案の定先生は、扉の前でオレが来るのを待っていた。

「すみません」
「いや、全然。カップありがとうね」

先生が職員室に鍵を掛けたのを確認すると、オレは先に歩き始める。ここはまだ学校の中だ。並んで歩くだなんて、そんなこと。

「塚原くん」

身長同様、オレよりも幾分長い足で、先生はすぐオレに追いついた。そして当たり前のように隣に並ぶと、オレの掌をするりと掴むのだ。状況が理解できず、驚きに固まっていると、先生は手を綺麗に繋ぎ直し、そのまま自分のコートのポケットに突っ込んでしまう。

「せ、んせ、」
「やっぱり塚原くんは、眼鏡のままが良いな」

優しい調子の言葉とは裏腹に、オレを引っ張るように、先生は迷いなく歩き出した。

「…眼鏡ないと、やっぱり変ですか」
「ううん、なんていうか」

コートの中で、オレの手がぎゅうと握り込まれる。先生の掌は少しだけ汗ばんでいた。

「その。……独占、してみたいので」

語尾の方は聞こえにくく萎んでしまったけれど、少し前をゆく先生の耳はじわじわ赤くなっていくので、言いたかっただろうことは大体予想できる。というか、できてしまう自分が、しかもそれを嬉しく思っている自分が、本当に馬鹿みたいだ。

「先生」
「えっ、あ、何?」
「なら先生も、眼鏡…外さないで、ください、ね」

意を決してそう言うと、先生はぴたりと足を止めた。つられてオレも立ち止まる。先生はゆっくりとオレに向き直ると、まだ赤い顔のままで、はにかむように笑った。
オレも先生も、お互いいっぱいいっぱいなんだってことは、分かりきっている。二人とも全てが初めてで、知らないことだらけで、だから、手探りに相手との距離を模索するしかないのだ。繋いだままの指先に力を込めて、オレたちは不器用に恋をする。



レンズレンズ
(ああでも、キスする時に眼鏡は邪魔かなあ)(え)

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東も晃一も先生も、何と呼んでも誰かと呼び方が被ってしまうこれは呪いですか
もうこーちゃんしか残ってない…!

ツンデレかなめがねは俺の嫁




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