やさしいあお

 雅が分からない、なんて公言して憚らなかったあの子は、意外にも能く花の名前を識っていた。しりながらなお興味が無いというのは、ただしらないことよりずっと虚しく思えた。
 僕はあの子が好きだった。
 意味や理由なんてない。なくてもいい、ということがあの子にはわからなかった。あの子は実を結びもせず薬にもならない草木の名や姿に一切興味がなかった。
 戦場育ちなんて言うと聞こえは善いが、戦場以外での息の仕方さえままならないような有様で、佳い季節にみんなが風雅を愛でているときなんか、それこそ迷子みたいな顔をしていた。濁流のような季節に立ち竦むあの子が僕を見留て肩から力を抜く。そうして隣で僕は、僕の見えるもの感じるものに一つ一つに意味を乗せて話して聞かせる。なんという野暮の極みだ!でも、懸命に意味を汲もうとするあの子が愛おしかった。
 最後は結局「どうしてだ?」と訊かれて、「別にわからなくたっていいんだよ」で終わって、腑に落ちなさげな彼と外を眺めたりしていたわけだ。でもそれでよかった。
 あの子はなにも最初から諦めたり突き放していたわけじゃない。ただ、ひとがうつくしいものを歓んだり、そして去るのを惜しんだり、その意味がわからない。
 そんなの暗闇の中にいるのとまるきり同じだろう?
 あの子は聡いから、風流な季節に他の刀とではなくわざわざ自分のところに来る僕を割とすぐ不審がった。隠していたのでないから、既に他の刀なんて知っていたりしたのだけど、僕だって本人に別に隠しだてすることでもないし、そのまま気持ちを伝えた。案の定、僕のその言葉をぽかんとするでもなく怪訝に見上げていた。言葉の意味自体は取れているのに、その意図がわからない、そういった風だった。いつもの通り
「どうしてだ?」
「別にわからなくたっていいよ」
 言った後で少し寂しい気がした。だから何気なく継いで言った。
「でもまあ、少し考えてくれたら嬉しい」
 やたら神妙に「わかった」と絞り出したあの子の、弱りきった表情には流石に笑ってしまった。笑い始めたら止まらず、彼には悪いことをしてしまった。愛おしくて仕方がなくて加減もせずに抱き締めてしまったけれど、あの子ちっとも抱きしめ返してもくれなかった。
 笑いが止まらないくらい愛おしかった。
 あの子が応えてくれないことなんて当然、もうずっと前から気づいていた。正確には応えられない、という話なのだけど。
 それでも僕の方は好きだから仕様がない。
 やがてひとびとに惜しまれながら美しい季節が去っていって、教えることもない時に訪ねて行っても、黙って隣をあけてくれるのは許されているようで心地よかった。あの子の方が同じように思ってくれていなかったことは知っている。あの子にとってすれば、解けもしない難問を突きつけられて何ヶ月も考え続けさせられているわけなのだから。
 努力家というと少し違うけれど、探究心は旺盛な子だ。
 あの子から唇を重ねてきたときは驚くなんてものじゃなかった。
 あの時は口許を抑えて数歩後ずさって壁に背を預けて「……は?」と言うくらいはした。
「なるほど、喜びはしないんだな」
と矢鱈冷静な声が降ってきて僕も少しずつ平静を取り戻せてきたけれど、
「不快にしたのなら謝る」
と不安そうに言われて、どう言ったものだか悩んだ。
「不快じゃない。僕は君が好きだから、君がキスしてくれるならとても嬉しい」
「うん」
「でもこれは意味がわからないでしてくれても意味はない」
「意味なんてなくていいし、意味がわからなくてもいいんじゃなかったのか?」
 あらゆるもののしっぺ返しを受けている気分だった。「意味がわからなくても……同じ気持ちじゃないと嬉しくない」
 数拍丈彼が言い淀んだ。一度発声を噤んだ気配がした。
「俺がお前と同じ気持ちになるのは難しいよ」
 あの子がそう言い残した部屋が薄暮に染まるまで蹲っていた。
 あの子にそらごとを言わせたのがどうしようもなく悲しかった。以前のあの子ならきちんと「無理」と言えただろうに。高嶺の花だから愛したのじゃない。そして花のように一方的に愛することで満たされる快でもない。本当は愛され返されたかった。でももっと本当は、言葉通りの意味しかないあの子の世界から、自分で手を伸ばしてきてほしかった。
 意味がわからないまま、僕を選んでほしかった。
 僕と同じところに落ちてきてほしかった一緒に恋に落ちてほしかった
 それに彼が応えられないことなんて最初から知っていたというのに。
 暗いだけの夜に意味はない。いや、今は意味を見出してはいけない気がした。
 宵に沈んでいく静寂のなか遠く、初夏の虫の声がした。

 あの時に自分が傍にいればと思わなかったといえば嘘になるけれど、それでもきっと結果は同じだったろう。僕たちがやっているのは戦だし、それに僕たちは戦道具だ。
 あの子は帰ってこなかった。訃を報せに来た彼の弟の一振りは、なぜか腕いっぱい、こぼれんばかりの花を抱えていた。
 芍薬だった。
 部隊が奇襲に遭う前、少し離れていたあの子が、なぜ芍薬を落としていたか誰もわからない。
  ただ誰もが僕とあの子の関係を知っていたので、誰もが僕に届けるべきだと思ったのだと。
 実際、あの子が僕に届けようと思ったかどうかわからない。芍薬はあの子が扱う生薬にもなるし、僕の左胸に掛っているのは牡丹で、花姿はよく似ているけれど草と木との違いがある。恐らくその違いをあの子が判らなかったと思っている者もいたことだろう。
 羽織を脱いで、芍薬を並べてみると、どれもこれもが見事な花ぶりのものを選り分けて摘んであると改めてよくわかった。
 あの子がこの花を集めて結局のところ何がしたかったのかはわからない。ただ、意味もなく摘んだじゃないことだけは確かだった。
 何も伝わらなかった。僕もあの子のことが何一つわからない。
 あの子だって、僕のことなんて何一つ理解できなかった。
 でも全く不思議なことに、その純粋な無理解だけが僕たちを繋いでいた。僕の腕に収まってしまう羽織にくるんだ芍薬の群れは、切り口から甘さのないみずみずしい葉の香りを部屋いっぱいに充たした。


他愛のない対の話がありますが芍薬の時期ですので


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