かなり長いです。最終話です。
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「…っ、」

 痛みに顔を歪ませる倉間を見て、ぱっと手を放した。だって、

「なん、すか」
「…帰れ」

 欲情しただなんて、言えるわけがない。


「…さわっ…みな…南沢!」

 ぽんぽんと肩を叩かれ、その刺激でぱっと目が開く。なんか、母が死んだときのようでデジャヴを感じつつ、授業中だったことに気が付いた。俺としたことがどうやら寝ていたらしい。

「…あ、サンキュ、三国」

「お前、只でさえ最近目つけられがちなんだから気をつけろ。眠たいのは分かるがこれ終わったら昼だしもうちょっと頑張れよ。ほら、ページ全然違うぞ」

 教師が板書をしているすきに俺を起こして、ぱらぱらと三頁ほど教科書をめくってくれた。昨日、少しだけ予習したところだ。写し忘れていた板書を写し、黒板に書かれた問題を解いていく。基本問題だったからさらりと解き終えることができた。お陰で眠気はきれいさっぱりなくなったが、授業がだるくて仕方がない。気晴らしに外に目をやってみたけれど、体育の授業はこの時間にはどこのクラスもないらしくグラウンドには誰もいなかった。今度は空に視線を移してみたが、雲の流れは思っていたよりも遅く、せっかく消えた眠気がまたやってきそうで、どうしようもない。

 しばらくして、チャイムが鳴った。起立、軽く礼をして、女子が群がってこないうちにと早足で購買に向かう。お気に入りのチョコデニッシュと苺ミルクを買って、階段を登っていく。なんだかちょっとそういう気怠い気分を晴らしたかったから、普段は立ち入り禁止の屋上へと足を進めていった。

「…ホントあんたたち性格悪いっすね。そんなんだからヤリ捨てられるんですよ」

 一瞬どころか三瞬ほど自分の耳を疑った。危うく苺ミルクを落としそうになった。あの、あの糞生意気な喋り方と声は、間違えるはずがない。あいつだ、倉間だ。

「うっせーよ、後輩の癖に、しかも男の癖に!南沢に好かれてるんじゃなくて、南沢の性欲処理機として扱われてるってことすらも分からないの?あんたさぁ、幸せだね」

 倉間を取り囲んでいるのは、クラスの女子と、他のクラスの女子数名。一昨日、倉間について話している、というよりはおおよそ愚痴悪口を偶然聞いてしまい、何かあってからでは困るので今朝なんとなく注意はしたけれど、まさか本当にこうなるとは思ってもみなかった。勿論、今すぐに飛び入って助けるつもりだった、のだが、次に倉間が口にした一言で俺は、どきどきして、恥ずかしくて、動けなくなってしまった。

「幸せなのはそっちっしょ?俺も、南沢さんも同じくらい好き合ってるわけだからさ、性欲処理機なのはそっちの方、だったり?羨ましいか?殺したいくらいウゼェとか思う?でもできないよな。だってそんなことしたら大好きな南沢さんに嫌われるから」

 今、好きあってるって、言った。しかも、同じくらいって。つい最近、お前なんて言ったか覚えてるか?「好きかも」って言ったんだぞ。で、今なんて言った。頬に血液が集まってくるのが手にとるように分かる。うわ、なんだこれ、むちゃくちゃ恥ずかしい。状況的には恥ずかしいとか言ってる場合じゃないのだけれど。

「何強がっちゃってんの?ま、こんなにたくさんの先輩に囲まれたりなんかしたら少しぐらいビビっても仕方ないか」

「さっきあんた、殺したいくらいウゼェとか思っても殺せない、とか言ったよね」

「それがさぁ、やろうと思えばできちゃうんだよね」

 ピンクのオーラでも纏っていそうなほど幸せに満ちていたけれど、最後に口にした女子の言葉で一気に現実に引き戻された。そうだ、倉間が危ない。
 その女子の言葉はあながち間違いではない。うまく言い訳を作れれば、学校側の過失としてやり過ごすことだってできる。公にはなっていないし、俺もついこの前まで知らなかったが校舎を立て直す際かなりのハイペースで改修を行なったため設計ミスがいくつかあった。この屋上もそのひとつで、フェンスの造りは脆く少し寄り掛かっただけでガタガタと揺れ危険なのが丸分かりだった。そのため補強修理を行なうため立ち入り禁止にしたのだが、とある生徒が飛び下り自殺をし、その生徒が死んでからフェンスを修理しようと工事を始めようとすると機械の故障や作業員の不幸が相次いだため未だにフェンスは脆いまま。

 ガシャン、とフェンスに何かがぶつかる音がした。もう、俺は考える暇もなくその場につっ走っていくと、そこには数人の女子と、その女子に囲まれた倉間。きっと俺の姿を捉えたんだろう。倉間が安堵の表情を浮かべた瞬間、気を抜いたのかフェンスに背中を預けてしまった。ガシャン、と嫌な音を立てながら接続部分が離れていき、ゆらり、ゆらりと少しずつ倉間が後ろへ下へ、倒れていく。もう、呼吸をしている時間さえ、惜しかった。ぐぐっと腕を伸びる限り、ほぼ限界まで伸ばして素早く手を差し出し黒く日に焼けた小さな手のひらをぎゅっと握り締める。確かな感触がそこにはあった。

「…み、なみさ、わ、さん」

 まさに危機一髪。倉間を一気に引き上げ俺もろとも床に叩き付けられたかのようにばったりと倒れこんだ。背中がじんじんと鈍い痛みを訴えているけれど、倉間が死ぬより何百倍も絶対にマシだ。

「…言ったろ?ちゃんと助けるって」

 口ではこう言った。
 でも正直なところ、マジ泣き寸前。心臓のどっくんどっくんというおっきな音は鳴り止まないし頭がぐるぐるぐるぐるしてまだいまいち自分が呼吸できているのかもよく分からない。やばいやばい、なんて言いながらかけあしで教室に戻っていく女子たちのことも、もう殆ど頭には無かった気がする。

「…な、に、かっこつけて、ん、すか」

「ばーか。かっこつけてなんかねーよ」

 本当は誰よりかっこつけてるけど。

「強がりっす、ね」

 どうやら俺の心臓の拍は、胸を伝ってくっついた倉間の右耳に聞こえていたらしい。髪の量が多くもっさりとした倉間の頭を撫でながら、うるせー、なんて言ってごまかした。

 …途端に、バタバタゴンゴンと地面から伝わってくる轟音。その音の方へと目を向ければ、必死の形相をした校長と理事長が額に汗を流し、少し息を荒らげて立っていた。大丈夫かね、と訊かれたので大丈夫です、と返し、立てるか、と倉間に一言。

「…ほら、南沢さんも」

 そう手を差し延べてくる倉間の柔らかい小さな手を取ろうとは思わなかった。今となっては、その選択が間違いだったとはっきり分かるんだけれど。
 いや、大丈夫だと倉間の申し出を断って、すぐに立ち上がる。ぐらり、目の前にいた倉間の顔が、だんだんとぼやけて、ぼやけていって、視界が黒で覆われ狭くなってきた。思わず後ずさった先に地面の感覚は無く、俺の体はそのまま落ちて行く。その時、直感的に、あー俺、このまま死ぬんだなって、思った。

「南沢、さ…、」

 もう倉間の泣き叫ぶ声すら聞こえなかった。校長と理事長に引っ張られながら、身を乗り出して俺を掴もうとする倉間の、浅黒い小さな、手。さっき、どうしてこの手を握ってやらなかったんだろう、とか、もしあの時手を取っていて、倉間も巻き添えにしていたらとか、もしかしたら俺は死ななかったかもしれないとか、中二の春、去年の試合、チビってばかにしたときの表情、シュートを決めたときの笑顔、タオルで汗を拭う姿、打ち上げのファミレスでクソ不味いドリンク作って遊んだこととか、あいつにチャリこがせて二人乗りしたこと、合宿先で卓球したり、意外に歌が上手かったりゲーセンで変なプリクラ撮ったり二人で居残りして勉強教えてやったりサッカー教えてやったり…、いわゆる走馬灯というやつだ。もう死ぬってのにとあいつとの思い出ばっかり、なんかむかつく。まあ、こんな人生の中で後悔するようなことなんて、いくつもない…けれど。

 でも、あの…手。あの小さな手を握れなかったことを、ちょっぴり後悔してる。もう届かないのは分かってるけれど、今更なんてのは承知の上だけど。
 ぐっ、と倉間の手と重なるように腕を伸ばす。でも、もうかなり距離が開いていたために倉間の顔も隠れてしまった。手をずらして、口角を少し上げ、遠くからでも見えるように言ってみた。



 あいしてるよ、って。



 途端、激しい衝撃、まぶたに数滴落ちたしずく、ゆっくりと襲ってくる睡魔。
 そこから先のことは、俺はもう知らない。




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バッドエンドかハッピーエンドかは捉え方次第、もしかしたら知らない(=覚えていない)だけで助かってるかもしれませんし、知らない=死んだってことかも。

色々詰め込みすぎたせいか、まとまりもエロもないただの鬱い謎長編になってしまってごめんなさい。
ここまで読んで下さりありがとうございました!

2011/10/18
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