朝方、弟と眠っていたところ我が国の神官ジュダルが潜り込んできたことによって起こされた。
弟である紅覇が起きなかったことだけはよしとして、何をしにきたのかと聞けばジュダルは平然として言ってのけた。
散歩に行こうぜ!―――と。
まだ日も昇らない薄寒い空気の中散歩に行くことは構わないけれど、潜り込んだ意味はなんだったのか。
紅覇を起こさないようにベットを降りて、ジュダルに手を引かれるまま庭へと向かう。
寝衣の上に上着を1枚羽織ったばかりの私ですら肌寒いと感じるというのにジュダルはいつもの服装。
―――腹部を大幅に露出したあの格好ではおなかを冷やすこと間違いなし、ね。
「ジュダル…貴方、お腹を壊さない…?」
「はぁ?」
「その……肌寒いでしょう…?だから、」
「へーき、へーき。さ、行こうぜ名前!」
そう言って腕を引かれて勢いのままジュダルの胸元に倒れこむ。
その瞬間。
ふわり。
足が地面から離れるような感覚が我が身を襲う。
下を見れば本当に足が地面から離れていた。
これはもう、散歩ではない。
歩いてすらいない。
散歩なら紅覇が起きるまでには部屋へ戻れると思った。
けれど、これでは戻れない。
―――これは。
「は…謀ったのね…、ジュダル…っ!」
「ハハハ!これで2人きりだぜ名前」
「…っ!?」
そう言って絨毯の上で私の腰にくっついてくる。
甘えるように擦り寄ってくるジュダルを引き剥がすことも出来ずただただ為されるがまま。
今はまだ単調に結ばれただけのふわふわとした黒髪をそっと撫でる。
ジュダルはこの髪を自慢としている。
それに触られても嫌がらない、ということはそれ相応には信頼されているのでしょう。
「ふふふ」
「あ…?なんだよ、やけに嬉しそうだな」
「うふふ。だって、ジュダルがこうやって身を任せてくれるんですもの……。嬉しくないわけ、ない、でしょう…?」
「!///」
紅覇にでもするように頬に手を添えて撫でればジュダルは顔を真っ赤にして黙り込む。
きょろきょろと視線を彷徨わせた後にゆるりと身を寄せてきて、膝の上に頭を乗せた彼の頭をゆっくり撫でて、軽く歌を口ずさんで……。
それだけのことに何故かひどく安心したような顔をするものだから、ジュダルにどんどん過保護になってしまう私がいる。
貴方が何をしても、許してしまえる気がする……。
それは、きっと。
―――貴方が、私に力をくれたから……。
「………私は結局、女で……ぐす、…紅覇を、守れなくなる日が……、うう」
「―――何を泣いてるの?」
「!!
ひぁ………じ、…神官、さま…っ。も、申し訳…」
「守れなくなるなら、力を得ればいいだけでしょ」
「―――!!」
「一緒に来る?誰よりも先に一番に、力をあげる」
お互い幼いころに出会い、怪我をしながらも迷宮を攻略して、それから―……。
「なあ、名前」
「……?」
「お前の1番は紅覇だろ?俺はなんだったらお前の1番になれる?」
「え…?」
「金や身分じゃ勝てねーし、魔法ならどうだ?世界一の魔法使いだぜ?」
「それは、私の1番じゃあ…ない、わ」
「ちぇ。………あー、ダメだ。紅覇に勝てる気がしねえ」
そういってブツブツ文句を言うジュダルの頬に唇を落とす。
きょとんと眼を瞬いた彼に向って小さく微笑みかけた。
「な、内緒よ?ジュダル…」
「……っな、」
「私の1番は、紅覇。けれどそれ以上は……あの日からずっと、貴方だけ、…だもの」
貴方がいなかったらきっと何も出来ない深窓の令嬢のようになって、国の為に政略の道具として嫁ぐだけの運命だった。
それを変えてくれたのは貴方で、あの日貴方が私を見つけてくれなかったら全てが終わっていたの。
貴方と出会えて、私の運命というものが変わったのかもしれない。
「ありがとうジュダル」
「は、ぁ?」
「貴方は堕天した悪魔のような存在なのかも…しれないわ。でも、私にとっては神様に等しい……」
「…!」
「貴方が私の運命を変えたから、……今、ここにいられるの、よ//」
―――ありがとう、神様。私の近くに、ジュダルを呼んでくれて。
絨毯の上でジュダルに抱き付くように倒れこめば、彼は顔を真っ赤にしながらも私の身を抱き留めてくれる。
私の1番は確かに紅覇だけど、それ以上は全部ジュダルなのよ。
「お前さ」
「………?」
「俺なんかのどこに惚れてんだよ」
「………ねぇ、ジュダル」
「?」
「私の1番が全部ほしいなら、…奪って見せてほしい、の」
―――私は、強い人が好き。
ジュダルは口角を釣り上げて、好戦的に笑む。
どういう意味か貴方なら分かってくれると思ったわ。
「後悔するなよ、名前。俺は結構しつこいからな」
「ジュダルこそ…後悔、しないで、ね?……私、意外と……強いの、よ…」
「何度負けてもお前の事だけは紅覇から奪ってやるよ。だから―――」
目の前が黒く染まる。
ギラギラと好戦的に輝く瞳は瞼に覆い隠され見えない。
感じるのは、熱い熱、1つのみ。
「これは前払いでもらっとくけどいーよな!」
にしっといたずらが成功した後のように笑うジュダルに頬が熱を持つ。
奪った後に言うのですから、仕方ないと諦めるしかないでしょうに。
「貰ったからには…必ず、奪って、くれるのでしょう…?」
「まーな!楽しみにしとけよ、お姫サマ」
絨毯の高度を落とし地面に私を下ろし、去っていく。
約束を反故にすることだけは、絶対に許しませんからね。
「はぁ…………。あ、名前姉ぇ……」
「?
……どうした、の?紅覇」
「ヤな夢、見たぁ……」
「?」
「名前姉が、嫁いじゃう夢だよぉ?!サイアクでしょぉ?だから僕、ずっと探してたんだよぉ?
朝起きたらいないし…ホントになったかと…思って…、」
うるうると泣きそうになる紅覇を抱きしめる。
ぐっと背中に回された腕に安心した。
―――私はまだ、紅覇のもの。
「私は紅覇のお姉ちゃん、だもの。ずっと、一緒…よ」
「……うん、」
「もう少し、眠りましょう。今度は、ずっと…ずっとそばにいるわ」
今ならきっと、素晴らしい夢を見られると思うの。
* * *
夢を見たことがある、1度だけ。
全てが荒廃した世界の中俺は1人佇んでいて、全てが灰色に染められているのを眺めていた。
その顔には笑みも何も浮かんでなくて、無表情だった。
「―――ジュダル、」
そんな世界の中甘ったるい声がして俺は振り向く。
振り向いた先には顔の見えない女がいて、ジュダル、って俺の名前をもう1度呼んだ。
呼びかけに答えないでいると女は俺に近づいてきて腕を伸ばして抱きしめてくる。
腕の中の冷たさは異常だと思うほどで、夢の中の俺はボロボロと泣き出してしまう。
そして、女の名前を呼ぶ。
―――名前、…なんで。
って。
「なんで、って……貴方が呼んだんでしょう?だから会いに来たのよ」
「おれ、は」
「1人になんてしないわ。私がずっとそばにいる。―――私はもう貴方の全てを奪ったのだから。」
「………」
怯えたような表情で女を見た俺は、腕を引かれるまま荒廃した世界へと消えていく。
女の周りには黒い蝶が舞っていた。
幼い頃に1度だけ見て、それ以来見ていなかった夢。
俺の全てを、名前に奪われた後の世界。
怖かったのは、アイツに全部を奪われることじゃない。
怖かったのは。
「……はは、…あははは!攻略出来ちゃった」
「………」
「どうかした?」
「………まも、れる?」
「それがあればきっと大丈夫」
「……うん。……ふふ、…うふふ…ありがとう、神官さま」
「(笑っ……!?)
〜〜〜っ、…べ、…別に、特別なことはしてないだろ///」
俺がアイツを堕とす未来。
「なーんで、また見ちまったかな」
また見たから慌てて着替えて名前のところに行った。
潜り込んで名前に抱き付いて、安心したんだ。
まだ、温かかったことに。