パンッ!!


目と鼻の先でうまれたその音で私の意識は解放され、化け物から人間へ戻る。
強烈な血の匂いを纏う赤い私と向かい合うように立つ白い君。


「おかえりレナ」


そう笑うコビーは躊躇うことなく叩き合わせた手を伸ばして、私の真っ赤な手のひらを握ってくれた。
こんな私にも優しく手を差し伸べてくれるコビーが好きだった。

小さな頃に悪魔の実を食べてしまった私は今まで色んな人に助けてもらって生きてきた。でも、私を助けてくれた人は例外なく不幸になった。全財産を失ったり、事故に遭ったり、家が燃えたり、大切な人が亡くなったり。しばらくすると私は「不幸を運ぶ子」と国のみんなから呼ばれ、白い目で見られた。
そんなものだから私は怒られないように機嫌を損ねさせないように常に周りの目を見て過ごしてきた。そのおかげというのも変な話だが、他人の目を見るだけで大体の感情や思考を読めるようになった。

だから、コビーが私のことを少なからず好いてくれていることも知っていた。
素直にうれしかった。
そんな感情を向けられたことがなかったから余計に。

コビーの腕のなかで死んでいけたらどれだけいいだろう。

そんなことを思ってしまうくらい好きだった。



*****



「眠れない?」


僕の声と足音が夜の甲板に静かに響く。レナは僕の声に驚いたのか体をびくつかせた。普段のレナなら僕が甲板に出てくる前に気配で気づくから余程昼間のことを引き摺っているかが分かる。
レナがおずおずとした態度で振り向いた。
月明かりに照らされた髪と瞳がおぼろげな闇のなかで燃えるように輝いていた。
広い甲板をようやく横切り、レナのとなりに並ぶ。僕より数cm高いレナ。その身長差を埋めるために僕は毎日毎日牛乳を飲んでいることをレナは知らないし、レナに気づかれない限りは教える予定もない。男らしくないとよく言われる僕にだって好きな子より背が高くなりたいという意地はある。


「……コビー」
「なに?」
「また、失敗しちゃった」
「うん」
「色んな人たちから、精神統一の方法を教えてもらって、自分に合ったものも見つけれたのに、私、やっぱり、能力が発動している間の記憶が、なかったの」


月を波間に隠していく波を見つめながら、声を震わせてたレナは海を照らす月に懺悔をするように両手を固く握り締めていた。


レナは二年前、僕たちと同じようにガープさんに連れられて海軍に入隊した人で、その時点ですでに能力者だった。食べた悪魔の実はゾオン系幻獣種「鬼」。レナの話によれば四肢や五感の強化と他のゾオン系を遥かに凌ぐ回復力がこの悪魔の実を食べて受け取った恩恵らしい。事実、レナは心臓さえ守っていれば全身に大火傷を負おうと首から先が吹き飛ばされようとも、怪我の程度にもよるけどものの数分で元の身体に戻る。何も知らなかった僕はその話を聞いて「うらやましい」と言ったが、レナは「そうでもないよ」と、一瞬どこか遠くを見た気がした。
後日、訓練中に海賊船と遭遇した時、レナの能力を間近で見る機会があった。そこで僕は能力を発動している間レナに自分の意識がないことをはじめて知った。
普段の優しい彼女だと思えないほど攻撃する手に躊躇いがなく、確実に正確に海賊の命を狩っていた。能力を発動している間は能力者の意識がなくなり破壊衝動に支配されてしまうらしい。能力の身体強化により素手での戦いを得意とするレナは過剰なほどのダメージを相手に与え、血の海を作り上げた。
怪我を省みず勢いに任せて敵に突っ込んでいるため返り血で染まった制服の所々に穴が空いていた。戦闘が終わり、血の海で荒い息を繰り返すレナをはじめて見た時、僕は正直、レナと赤犬さんを重ねて見て、同時に恐ろしいと感じた。
けれども、その日の夜に「また、人を殺してしまいました」と涙を流し嗚咽を溢し、ガープさんに頭を撫でてもらっていた姿を目撃して、赤犬さんとはまったく異なるとハッキリと分かった。この人はまだ殺してしまった人のために泣ける人だった。レナと赤犬さんを重ねて見た自分が恥ずかしかった。
それから僕は戦闘が終わった直後のレナと積極的に関わるようにした。手を叩いてレナの意識を戻す方法もレナとこうやって関わっていくうちに思い付いたものだった。


「ねぇコビー」

「私さ、いつか本当の鬼になってしまうような気がして怖い」


そんなレナの言葉に、なんて声をかけたらいいのか分からなかった。


「とても、怖いの」


震える声で呟かれた。
ぽたり。ぽたり。
泣くつもりはなかったのかレナは自分の目から流れる涙に戸惑いをみせて涙を拭う。それでも涙は止まらず、次から次に溢れていく。「ごめん」と嗚咽混じりの声を聞いた瞬間、身体が動いた。


「コ、コビー!?」


僕より数cm高いレナを腕のなかに収めることはできなくて、レナの頭を僕の肩へと引き寄せた。
早く背が高くなりたい。僕の切実なる願いだ。


「ちょっと、どうしたのコビー!」


頭を撫でる僕の行動にレナは驚いていたけど僕は構わずに頭を撫で続けた。

敵と味方の区別はできるし実際戦闘中にレナが仲間の海兵に怪我を負わせたという話は聞いたことがない。けど、海軍のなかにはいつかレナの意識が飲み込まれ完全な鬼になるのではないかという考えを持つ人たちが少なからずいて、レナを“赤鬼”だと呼ぶ人さえいた。

レナはそういう考えが自分に向けられていることを知っている。だから、レナは仕方がないと諦めることなく、発動中も意識を保つための方法を昼夜構わず探っている。


「大丈夫だよレナ」
「コビー?」
「レナは鬼になんかならない」
「……うん」
「やさしいレナが鬼になんかならないよ」
「………うん」
「レナはレナだ」
「………う゛ん」


泣き止ませるつもりだったのに泣かせてしまった。でも、いつの間にか僕の背中に回されたレナの腕にとんでもない愛しさを感じた。
好きだな、と改めて想った。

しばらくすると「もう大丈夫」とレナが言ったから僕は名残惜しくも腕を離した。


「……コビー。お願いがあるの」
「僕にできることなら」
「もし、私が本当の鬼になったときは、そのときはコビーが終わらせて」


レナの口から紡がれたその言葉に息を飲んだ。


「……なに、を」
「別に今のところ死ぬつもりはないし、鬼になるつもりもない。敢えて言うなら……そう、おまじない」
「おまじない?」
「うん。私がもし鬼になってもコビーが私を救ってくれるって思えたら、私は安心して能力を発動できるような気がするの」


夜の海風によって乱れる髪を手で押さえながら、レナがふっと優しく笑う。
夜だからかもしれない。
月夜の光に照らされたレナがとても儚く思えた。
瞬きをすれば消えていなくなってしまうんじゃないかと思えた。
レナが闇に拐われてしまいそうで恐ろしかった。


「……うん。任せて」


気づけばそう返していた。
でも修正しようとは思わなかった。

レナは場違いなほど朗らかな表情で笑った。
赤鬼と呼ばれる面影はどこにも見当たらない。


「ありがとうコビー」


君を好きな僕のことを知った上でそう言っているのなら、君はとても残酷だ。


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