おれには幼馴染がいる。名前はレナ。
おれと同い年のレナは体が弱くて同年代の女子と比べて身体が一回り小さかった。

同じアパートに住んでいて、家が隣同士で、母親たちの仲の良さもあっておれはよくレナの家に遊びに行き、今日あった出来事をベッドに座るレナに聞かせることが日課になっていた。
言葉をあまり知らず、感動を表す言葉はすげェしかなかったおれの話をレナはからかったり茶化したりすることなくその大きな瞳で「それでそれで?」と続きを促してきてくれた。小さい頃から話すのが好きで、でもよく母親からはうるさいと言われていたから、レナの存在はおれにとって自分の話を飽きることなく真剣に聞いてくれる貴重な存在だった。
同い年だったがおれはレナを本当の妹のように世話をして可愛がった。

体が弱く、よく熱や喘息で苦しそうにしていたレナは、けれども大きな病気をすることなく大人になり、昔に比べたら体も丈夫になった。
もう道中で倒れることはないなとレナと笑った次の日、レナは買い物に行く途中の道で喘息を起こして動けなくなった。小さな頃に出歩けなかった反動か自分の足で歩くことが好きなレナはよく入り組んだ細い路地を歩いていた。そんな人気のない場所でレナは動けなくなった。悔しいことにおれはドックにいたためレナのもとに駆けつけられなかったが暗い路地で座り込んでいたレナを助けたのは同期で山風と呼ばれていたカクだった。
カクはいつものように岸に停泊した船の査定を終えてドックに帰っていたときだったらしい。何かに導かれるように下を見るとうずくまっていたレナを発見して、そして意識が朦朧としているレナを背負って無事に病院まで運んでくれた。

そこまではよかった。
問題はここからだった。

気を失っていたレナは目を覚まして早々に助けてくれた人は誰だったか知りたいと何やら興奮ぎみに尋ねてきたのでおれが同期のやつだと教えてやればお礼を直接言いたいから連れてきてほしいと頼まれた。断る理由もなかったため、おれは連れてくると約束し、お礼なんていいと渋るカクを無理矢理病院へと連れてきた。

病室の前まで来ても入室を躊躇うカクの背中を蹴って病室に入れた。間抜けな声を出して現れたカクを見たレナの目はなぜか輝いていて、おれは嫌な予感がした。


「私をおぶって跳躍したあなたの広い背中に惚れてしまいました。付き合ってください」


その予感の通り、レナは手本のような礼儀正しいお礼をしたあと、おれもいるというのに恥ずかしがる様子もなくカクの目を真っ直ぐに見つめて告白をした。
突然の告白に呆然としているおれを置いてカクは返事をした。


「気持ちはありがたいがその好意を受け取ることはできん」
「彼女さんがいるんですか?」
「彼女はおらん」
「じゃあ好きな人は?」
「それもおらん。とにかく元気で何よりじゃ。じゃあな」


そう言ってカクはトレードマークになっている帽子を目深く被りそそくさと病室から出ていった。
おれはカクが出ていった扉を眺め、振られたレナをどうやって慰めようかと悩みながら視線をレナへと戻した。だが、レナはおれの予想と反して笑っていた。おれの怪訝な視線に気付いたレナはそれはそれはいい笑顔で「彼女さんも好きな人もいないなら可能性は十分あるってことだよね」と恐ろしいことを言ってのけた。つまるところ、レナはまったくこれっぽっちもカクを諦めてはいなかった。

喘息から回復して動けるようになるとレナは時間さえ見つけては1番ドックに足を運んで柵の向こうからカクの仕事姿を見つめていた。町でカクと会えば好きですと公開告白をし、カクもカクで毎回丁重に断っていた。

そんなやり取りが一ヶ月続いた頃。レナが今度は暑さにやられて路地から動けないでいたとき、またもやカクが助けにきたらしい。
そして今回は意識もちゃんとあるレナを背負って病院に行く途中、性懲りもなくレナが告白をすれば「わしの負けじゃ」とカクがレナの告白を受け取ったと聞いたのは病院にレナを迎えに行ったとき。

「夢みたい」だと笑うレナは全身が幸せに満ちていて、二十年近いおれの片想いは実ることなく終わってしまった。けれど、船大工の腕を含めてのカクへの評価は憎たらしいことにこれ以上なく良くて、カクにならレナを任せられると素直に身を引くことができた。
レナの未来のためにおれはその恋路を見守ろうと決めたのだ。

それなのに、それなのにこれはいったいなんの冗談だ。


「おまえ、レナはどうするつもりだ! 遊びだったっていうのかよ!」


叫んだ瞬間にルッチから受けた傷が痛みを主張して思わず息が詰まる。怒りと痛みと混乱で頭がおかしくなりそうだった。


「……あぁ、そうじゃ。つまらん潜入捜査の合間に退屈しのぎで始めたお遊びじゃ」
「ッ! カク! おれはぜってェおまえを許さねェからな!」
「好きにせい。わしにはもう関係ないことじゃ」


まるで感情を持たないゾッとするほど冷ややかな視線をカクから向けられておれは絶句した。
「確かに妥協したように見えるじゃろうが、わしはわしの意思でレナと一緒になることを選んだんじゃ。心配はかけん」と頼もしい表情で誓ったあの言葉はなんだったんだ。

火の手がこの部屋まで回ってくるとあいつらはおれとアイスバーグさんをロープで縛って、崩れた窓から次々に外へと夜と炎の狭間に消えていく。


「クソ、クソ、クソッ!」


レナを捨てたカクにおれは傷ひとつ負わすことさえできなかった。



*****



エニエス・ロビーへの殴り込みが成功し、海列車に揺られながら帰って来たウォーターセブンはアクア・ラグナの残していった傷跡があちらこちらにあった。
早く直さないとと考える一方で今回の出来事をドックの連中にどう伝えればいいのか悩んでいた。特に、知らぬ間に遊ばれていたレナにおれはレナが納得できるような嘘をついて誤魔化せなければいけなかった。
だが、その嘘を思い付く前に駅から出てすぐの広場でレナと鉢合わせてしまった。


「パウリー! 今までどこ行ってたの?」
「いや、まぁ……ちょっとな」


言い淀むおれにレナは疑いの目を向けたがそれ以上に気になることがあると言いたげにその話は流された。


「それより、ねぇ聞いてよパウリー。みんなカクが里帰りしたっていうの! こんな大変なときに帰るような人じゃないのに……パウリー何か知ってるでしょ?」


なぜかおれなら知っているという確信がレナの瞳に宿っていた。


「……カクは本当に里帰りだ」
「いつ帰ってくるの」
「もう帰ってこねェよ」
「……バカ言わないでよ。こんなときにそんな冗談笑えない」
「本当のことだ」
「嘘よ!」
「本当のことだっつってんだろ!」
「カクが私を捨てたっていうの!?」


おれはあの暗く冷たいカクの目を思い出す。だが、レナはあんな目をしたカクを知らない。そう頭では理解できていても、あれほどレナの一途な想いを踏みにじって捨てたカクをまだ信じているレナに怒りが湧いた。そして、その勢いのままおれは言ってしまった。


「そうだよ! その結果が今だろ!」
「……ッ!」
「あ、レナ!」


おれは走っていくレナを追いかけようとしたが、足が地面に縫い付けられたようにその場から動くことはなかった。
レナの姿が見えなくなると同時に押し寄せる後悔の波に苛まされる。

あんな言葉で伝えたくなかった。

あんな風にレナを傷付けるつもりもなかった。

潮の匂いを運んできた風の音が、後悔で打ちのめされているおれをバカだと笑っているように聞こえた。





レナの家はおれが住んでいるアパートからまずまず近いところにある。男が住むには可愛らし過ぎるこのアパートの四階角部屋がレナの家だった。
おれはその部屋の前に立って空色のきれいなペンキで彩られたその扉を叩いた。返事はない。だが、気配はあった。


「おいレナ、いるんだろ。おれだ。開けてくれ」


何度か声をかけるがレナに出る気がないと分かったおれは「すまねぇ」と扉に声をかけて踵を返した。

水路に停めていたヤガラがおれを見て心配するかのように「ニー?」と鳴く。


「何でもねェよ。さ、帰るぞ」


泳ぎ出したヤガラの手綱を握り、おれはレナの住むアパートを見上げた。だが、この狭い水路からレナの部屋の窓を見ることはできなかった。


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