「すびまぜんモモンガ中将……仕事に穴を、フッ、ヘックシュン!」


モモンガの電伝虫は目に涙をためて、もう一度出てくるくしゃみを堪えようとするレナの顔を十分に再現していた。


「ヘックシュン!……仕事に穴を開けてじまいモモンガ中将に多大なるご迷惑を」


この日レナが風邪を引いたと連絡してきた。


「仕事のことは気にするなレナ少佐。君が一人いなくなっただけで回らなくなる部隊ではない。日頃働いている分、今日と明日はしっかりと休め」
「モモンガ中将……ありがどうございまず」
「礼はいい。じゃあ、お大事になレナ少佐」
「はい。それでば」


レナの返事を聞いて受話器を置こうとした瞬間、受話器の向こうから聞こえてきた「からっぽじゃん」という小さな呟きをモモンガの耳が拾った。何がと考える間に向こうの受話器は置かれてしまった。
ツーツー、と音の鳴る受話器を慣れた手つきで置いたモモンガはその手をそのまま顎へと持っていく。
「からっぽじゃん」という呟きと現在の状況から冷蔵庫のことを指していると考えるのが一番妥当で、同時にそれがどれだけ大変なことかをモモンガは知っていた。
電話での様子を見るにレナは外に出て食料調達をすることは難しいはず。しかし、病気で食欲がないときこそしっかりと栄養を取らなければ治るものも治らない。

現在、レナと唯一の女の同期であり親友のたしぎはローグタウン。レナが比較的心を許している青雉も、祖母であるつるも忙しい立場だ。そして、モモンガはその三人以外でレナと交友関係をもつ者を知らなかった。だから、病のレナを見舞う人があとどれほどいるのか分からない。

聞こえてしまったからには無視できない性分であるモモンガは頭を抱えた。

五秒後。

とりあえず昼休みは短すぎるので心苦しく思いながらも仕事終わりに様子を見るついでに見舞いとして食料を渡すことを決めた。

決めたとなれば定時に上がれるように仕事を済まさなければならない。普段よりも気合いの入ったモモンガは着々と、いつも以上のスピードで次々に仕事を終わらせていった。
普段から出すべき書類は溜めずにきっちりと出していたため提出期限ギリギリの書類が見つかることもなく、予定通りの時間でモモンガは本部をあとにした。

一旦家へと戻りコートを置いたモモンガはそれからゼリーやヨーグルト、チョコレートやフルーツなど風邪で食欲のないときでも食べられるようなものを買ってレナの家へと向かった。


「ここがレナ少佐の家だな……」


夕焼け空の下。モモンガは左手には先ほど買った食料品が入っている袋を持ち、ラベンダー色をした扉の前に佇んでいた。

女性である部下の家に訪れることにモモンガは道中若干の抵抗を覚えたが、でもそれ以上にレナが心配だった。
朝の様子を見る限りレナはかなり辛そうだった。もしかしたら、さらに悪化している可能性だってある。そんなことを考えながらモモンガは右手を持ち上げてコンコンコンと遠慮がちに扉を叩いた。

けれども、レナは出てこない。

きっと寝ているんだろう、と思ったモモンガは袋をドアノブにかけておこうとして引っかけるが場所が悪く、袋がドアノブから滑り落ちそうになる。それを慌てて止めれば意図せずドアノブを握ってしまい、そして驚いたことに扉がそのまま開いてしまった。


「……不用心にもほどがあるな」


モモンガは開けてしまった失態を一旦棚に上げて呆れが混ざった言葉を呟く。けれども、開いてしまったのなら袋を中にいれてしまおうと、モモンガは中で眠っているだろうレナを起こさないよう音を立てないように開いた扉の隙間を広げた。

隙間から見えた部屋の中は暗かった。
朝食も昼食も食べていないと思われるレナがどんな様子かモモンガは気になったが勝手に上がるのは上司としていき過ぎた行動であると踏みとどまった。
そして袋を玄関に置き、扉を閉めようとしたちょうどそのとき、横から「モモンガ中将……?」と声が聞こえてきた。
モモンガが驚いて振り向けば、マスクをして上着がいらない気温に二着ほど余分に服を着込んでいるレナがそこに立っていた。



*****



朝から眠り込んでいたレナは空腹で目が覚めた。だが、残念なことに冷蔵庫には何もない。
だるい身体を引きずるように起こして立ち上がったレナはよたよたとおぼつかない足取りでシンクに近付き蛇口のハンドルをひねって水を出す。コップに注がれる水をぼーと見ているコップは満杯になり、こぼれた水が掴んでいる手に当たった。熱で火照っていた身体に水の冷たさは心地よく、レナはしばらくその冷たさを楽しんでいた。
けれどもカラカラになった喉が水を欲したためレナは再びハンドルをひねって水を止めた。
満杯になったコップを慎重に口へと運び、口内に水を流し込んだ。さらりと喉を通っていく水はやはり心地よく、レナは満杯だったコップの水をあっという間に飲み干した。

喉は潤ったが空腹を誤魔化すことはできなかった。

遠慮がちにぐーとなった腹の虫にレナは外出を決断した。朝ほど辛くないのが唯一の救いだった。

そうして、やっとの思いで買い物を終えたレナが家に帰ってくると扉の前にモモンガがいたのだ。一瞬幻覚を疑ったレナだったが何度目を擦って見てもモモンガに変わりなかった。だが、なぜそこにモモンガがいるのかレナにはまったく見当がつかなかった。

思わず呟いた声にモモンガは反応してこちらに振り向いた。

こんな格好のときに会いたくなかったとちょっとした不服を感じながらもレナはいくらかマシになった声を出す。


「モモンガ中将、どうしてここに……ヘックシュン!」
「……朝の通話でからっぽだという声が聞こえたからレナ少佐に見舞いがてら食料を届けに来たのだが……見たところ、まだ君は動いて大丈夫ではないだろう」


あの言葉がモモンガに聞かれていた恥ずかしさもさることながら今はそれ以上に自分を心配して見舞いに来てくれたモモンガの優しさにレナの胸はいっぱいになった。


「体調は朝と比べるとかなり回復してます。店も近所にあるので大丈夫ですよ」


見舞いに来てくれたモモンガ中将におもてなしを、あ、でも紅茶もコーヒーも切らしているんだった。

そもそも病人の部屋に上がらせること自体どうかとは思うが熱のせいでそこまで頭が回らないようだった。

そんなことをぐるぐると考えながらレナが部屋に入ろうとしたとき、運悪く足がもつれてふらりとよろけた。
倒れると悟ったレナは来るであろう衝撃に備えてギュッと目を瞑る。

しかし、いくら経ってもレナは倒れない。
感じるのは中途半端な体勢で止まった自分と腰に回された腕。レナが恐る恐る目を開けると倒れそうになったレナの身体をモモンガが支えてくれていた。


「……す、すいません」


モモンガが普段使っている香水の香りがいつもよりずっと近くでレナの鼻をくすぐる。そんな距離にレナは恥ずかしさで顔を真っ赤にした。


「気にするな。それよりその足元にある袋は私が見舞いとして買ったものだ。遠慮せず食べてくれ」


特に気にした様子もなく離れたモモンガにレナはそっと安堵の息をついた。なんて心臓に悪い。早く気を紛らわせようとレナはモモンガが置いた袋の中を覗く。


「リンゴ、バナナ、ゼリーにヨーグルトも。それとこれは生姜入りスープ、ですか」
「あぁ。風邪を引いたときは必ずこれを飲むようにしている。苦手でなければ飲んでみてくれ。よく効くはずだ」
「ありがとうございます、ケホッ」
「風邪が治るまでもう無理に外出はするなよ」


はいとレナが返事をするとモモンガはレナの頭を撫でてくれた。大きな愛に包まれたような幸せな感覚にレナの涙腺が少しだけ緩んだ。
あたたかい。
マスクの下でレナは安心したように微笑んだ。



モモンガが帰ったあと、レナはモモンガからもらった食料品をせっせと冷蔵庫に詰めていた。そんなときにヨーグルトの容器に張り付いてあった紙がひらりとレナの目の前を舞う。
レナはその軌道を目で追いながら、床にたどり着いたその紙を拾った。
それは真っ白な紙の切れ端だった。なんだろうと裏を見れば、右上がりのきれいな字で『しっかりと休むように』と書かれていた。
紛れもない、モモンガの字。
レナは指先で文字を愛しそうになぞり、そっとキスをした。


「好きです。モモンガ中将」


そう呟いたレナは紙をマグネットで冷蔵庫に張り付け、勢いよく立ち上がるとモモンガからもらった生姜入りスープを作り始めた。


その優しさにキスをする
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