シャーロット・カタクリの大好物がドーナツであることはコムギ島にいる住民なら誰でも知っている。それは昔からドーナツを好んで食べていたことに加え、ハクリキタウンにあるドーナツ店に暇さえできれば通っているからである。その認知度は住民が町を歩くカタクリを見れば「あのドーナツ屋さんで新作のドーナツが出るらしいですよ」や「今日はもうあのドーナツ屋さんには行かれましたか?」と二言目には店の話題を出すほど。

そんなハクリキタウンでカタクリは今日も至高のドーナツを求めてその店へと向かっていた。
カタクリが贔屓するその店の名前は≪レナのおいしいドーナツ屋さん≫。そのためこの店を知るものはこの店のことをドーナツ屋さんと呼ぶのだ。

赤い屋根が目印のこの店はハクリキタウンのはずれに建っていた。町の喧騒から離れた静かな場所にあるその店には併設されたテラスがあるので買ったドーナツをその場で食べることもできる。あいにくカタクリはそのテラスで揚げ立てのドーナツを食べることはできないがあたたかなドーナツが入った袋をもって歩く帰り道はカタクリをまるで子どもの頃に戻ったかのような気持ちにさせてくれた。
さて、今日はどのドーナツを買って帰ろうか。
そう悩む時間も楽しいものだった。


「いらっしゃいませ!」


チョコレートの扉を開ければそこはドーナツの匂いで満たされた至福の空間だった。カタクリは肺いっぱいに空気を吸い込んで店の雰囲気に浸った。タイミングよくカタクリの他に客はいなかった。


「あら、カタクリ様! 今日も来てくれたんですね!」


色とりどりのドーナツが並べられたショーケースの向こうでこの店を一人で切り盛りしている店長レナがパッと弾けるような笑顔で迎えてくれた。


「……あぁ」
「ふふふ、来てくれて嬉しいです」


カタクリは内心うまい返しができなかった自分に落ち込んだ。

カタクリがこの店を知ったのはハクリキタウンのはずれにおいしいドーナツ屋さんができたという住民からの声だった。ドーナツ好きとしては無視できないその情報に、カタクリは空いた時間で視察に向かった。おいしいと評判の店だけあって客の入りもよく、店内は店の名前に負けないほどの可愛らしさを残しつつすっきりとした印象だった。


『いらっしゃいませ!』


よく通る声が店内に響き、カタクリはその声をたどって声の主を見た。その瞬間、全身に電流を浴びたような衝撃が走った。
なんと綺麗な人だろうか。
いわゆる一目惚れであった。カタクリがその人物から目を離せないでいるとさすがに不審に思ったのかおずおずと遠慮がちに名前を呼ばれた。そこで我に返ったカタクリは動揺を見せることなくその店のドーナツを全種類買ってそそくさと屋敷に戻った。ドーナツは評判と違わず美味であった。

胃と心を同時に掴まれたカタクリはその日からわざわざ時間をつくってまで自ら店へと買いに行っている。しかし、先ほどのように恋愛ごとに慣れていないカタクリはせっかく想い人のレナから話しかけられたというのにそこから話を広げることができずにいるのだ。

さて、今日はどれにしようか。チョコレートでコーティングされたドーナツか、生クリームを入れたドーナツか、それともシンプルな……いや、それは一昨日買って食べた……なら……。

宝箱のようなショーケースを覗き、カタクリは真剣な目で並べられたドーナツを見ていた。それはここで買うドーナツの種類を三つまでと決めているからだった。金に余裕がないわけではないので全種類を買うことはカタクリにとって実に容易にできる。だが、毎回そうしてしまうとカタクリの来店と同時に箱詰め作業が始まり、あとは金を払うだけとなってしまう。でもそれだけは寂しい。
カタクリはこの店の店長であるレナに心を奪われている。けれど会話が続かないという悩みをもつカタクリが出した答えが『話せないなら、できるだけ同じ空間にいたい』というものだった。カタクリが真剣に悩めば悩むほど必然的に滞在時間は長くなる。その間のレナの行動は悩むカタクリに今日のイチオシを教えたり、ちょっとした世間話をしたりする。ドーナツに悩む時間は普段知ることのできないレナの一面を少しずつ知ることができる時間でもあった。しかし、聞きたいことは色々あったが話を切り出すのはいつもレナで、会話を終わらせてしまうのはいつもカタクリだった。
シャーロット・カタクリ。シャーロット家の最高傑作とまでいわれるカタクリは自らの恋愛にとことん不器用な男であった。


「今日はこのホイップクリームドーナツがうまく焼けたんです」
「そうか」
「あのカタクリ様、」


レナの声を遮るように来客を伝えるベルが鳴った。おや?とカタクリは内心首を傾げた。カタクリが来店すれば住民たちはカタクリに気を遣い、なるべく早くに会計を済ませ、カタクリが店を出るまで誰も入ろうとしないのだ。


「ダイフク様、オーブン様! いらっしゃいませ!」


振り返ったカタクリはそれはそれは嫌そうな顔をしていた。声を聞かずとも「なぜ来た」と言いたいのだろうと分かる。そんな顔をしたカタクリに二人は笑った。
未来を見ないようにとレナとの会話で見聞色の覇気を使わないようにしていたことをカタクリはこのときばかりは悔やんだ。


「おまえの屋敷に行ってみたらここにいると聞いて来たんだ」
「贔屓している店だってな」
「それがどうした」


不貞腐れた声色のカタクリだったが二人はまったく気にしない。今までカタクリとレナしかいなかった空間に二人が無遠慮に踏み込んだ。
ぐるりと店を見渡したオーブンが口を開いた。


「店名も店内も可愛らしい店だな」
「ありがとうございます」
「名前は?」
「レナと申します」


レナの名前を知ってダイフクが驚いたようにレナを見た。


「レナ? ならおまえが店長か」
「はい」
「店の名前に自分の名前を入れるとは度胸あるじゃねェか」
「私なりの覚悟です」
「いいねェ。おれは好きだぜそういうの」


レナの回答にダイフクが愉快そうに笑っているとテラスの存在に気付いたオーブンが再びレナに声をかけた。


「あのテラスでドーナツを食べれるのか?」
「はい。ここで買ったドーナツやテラス限定のドーナツも食べることができます」
「テラス限定のドーナツ?」
「ドーナツの上にアイスを乗せた品になります。なかなか好評なんですよ」


ダイフク、オーブン、レナの三人は初対面にも関わらずとても和やかな雰囲気で話していく。そんな三人を横目にカタクリは熱心にショーケースの中のドーナツを吟味している、フリをしていた。
カタクリと三つ子であるダイフクとオーブンはカタクリと違い社交的である。だから、今もテラスで食べることにした二人はメニューを選びながら初対面のレナと楽しそうに会話していた。カタクリができないことを二人は楽々と越えていた。
気に食わない。
面白くない。
不愉快だ。
けれど、レナとカタクリの関係は店長と客。それ以下でも、それ以上でもない。湧いた感情は飲み込むしかないのだ。

注文を終えたダイフクとオーブンがテラスに出ていくと途端に店のなかは静かになった。ガラス越しに聞こえてくる笑い声は気にならない程度に遮られた。


「決まりそうですか?」


兄弟二人に気を向けていたためレナからの問いかけにカタクリはすぐに返すことができなかった。


「もし、まだ決まってないのでしたらカタクリ様に少し協力してほしいのですが」
「……協力?」
「はい。今新作のドーナツを考えていまして、誰かに試食してもらい感想がほしいのです。その……カタクリ様が多忙だということは重々承知ですが、どうでしょうか?」


無理を言っている恥ずかしさ故かレナの頬がわずかに赤らんでいた。たったそれだけの変化でもカタクリにとっては中々の威力で思わず右手で両目を覆った。


「あ、すいません。無理を言って」
「いや、迷惑だとは露ほど思っていない。その、なんだ……スケジュールを思い出していてな」
「そうでしたか、よかった」


苦しい言い訳だったがレナに疑われることはなかった。
ホッと息をついたレナの表情にカタクリの心臓がドキリと大きく鳴った。


「でもカタクリ様に特別時間を取らせることはないです」
「? どういうことだ?」
「今日カタクリ様が買う予定だったドーナツを試作のドーナツと代えるだけですので」
「そういうことか」
「いつもより数は減ってしまいますが、何か買われますか?」
「試作のドーナツだけもらって帰ろう」
「分かりました。では用意してきますので少し待っててください」
「あぁ」


レナの背中が厨房へと消えたことを確認してカタクリは無意識のうちに入れていた肩の力を抜いた。やはり何度言葉を交わしても緊張するものはしてしまうようだ。
レナを待っている間、カタクリはレナの考えた試作のドーナツがどんなものかと期待を膨らませていた。


「お待たせしましたカタクリ様」


はいどうぞ、とレナの手から渡された袋をカタクリは受け取る。そして、カタクリははじめて自分からレナに話しかけた。


「その、どんなドーナツを、つくったんだ?」


渡された袋を開けて見れば早いが、カタクリはどうしてもレナの口から聞きたかった。


「あ、私ったら説明もなしに渡してしまいましたね。すいません。えっと、今回の新作ドーナツはアラバスタで採れた甘いフルーツのピューレをドーナツの生地に練り込んでみたり、ふんわりとした生地にコーティングしてみました」
「ほう」
「昔からドーナツとフルーツの組み合わせに挑戦していて、ようやく形になったんです」


目をきらきらとさせてドーナツを語るレナは生き生きとしていた。


「自分でも納得できるものがつくれたのでぜひカタクリ様に食べていただきたかったんです」
「そうか……おれは、嬉しいがなぜおれなんだ? おれじゃなくとも今ちょうどあいつらが来ている。あの二人に試食させても」
「カタクリ様の」


レナがカタクリの言葉を遮ったのはこれがはじめてだった。そのことに少なからず驚いていたカタクリはレナの次の言葉でトドメを刺された。


「カタクリ様の感想が、聞きたくて」


はにかんだレナの表情のなんと可愛いことか。
カタクリは肩幅ほどもある大きなファーをグッと引き上げて自分でも分かるほど熱くなった頬を隠した。
一回り以上年の違う二人だが二人の生む雰囲気は青春真っ盛りの少年少女が生む甘酸っぱいあの雰囲気だった。


「相変わらず不器用だな」
「もどかし過ぎるだろ。年を考えろよあの野郎」


ガラスを隔てた向こう側で、オーブンは笑い、ダイフクは見てらんねェとため息をついた。淡い想いの成就はすぐそこまでやって来ていた。


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