結婚というものは子を産むため、または裏切りを許さないための手段でしかないと思っていた。あんな環境にいたらそう思ってしまうのもしかたないことだろう。
だから、ママの子であり駒である自分に結婚が舞い込んできたときに驚きはなかったし、結婚相手に興味が湧くこともなかった。白状すれば子を宿すまでの関係だとすら思っていた。
写真を見たときも、顔を合わせたときも、結婚式で誓いのキスをしたときも、初夜を迎えたときも、花嫁であるレナに対してプラスの感情が生まれることはなかった。

ただ、そんなおれに彼女はよく尽くしてくれた。


「おはようございます」
「いってらっしゃい」
「おかえりなさい」
「おやすみなさい」


慈愛に満ちたまなざしでいつも変わらぬ愛を注いでくれた。
そんな彼女と時間をともに過ごすうちに、おれは気が付けば常に彼女のことを考えていた。


「今、レナは何をしているだろうか」
「あのスイーツはレナが食べたがっていたはずだ」
「この服はレナによく似合うだろう」
「次の休日はレナとどこに出掛けようか」


考えることはレナのことばかりで、そんなおれの変化に兄弟は驚き、そして面白がった。
おれは兄弟のからかいに辟易しながらも以前よりずっと毎日が充実していることに気付かされた。

まず、起きることが楽しみになった。カーテンから漏れた朝陽を感じながら、一番始めに目にするレナの安らかな寝顔を少しの間だけ眺めるのだ。
言葉を交わすことが楽しいと思えるようになった。たとえどんなくだらない話でもレナに聞かせて、そして聞いて、レナと過ごせなかった時間を共有するのだ。
ちょっとした外の変化に気付くようになった。太陽の昇る時間や沈む時間、星の位置、季節ごとに違う空気の存在感。レナが示す変化に出会うたびに驚いて愛しさを感じるのだ。

レナという存在がおれの思考の中心を占領するまでに大した時間はかからなかった。





うっすらと重い瞼を開ける。視界は暗く、まだ夜が明けていないことを知る。こんな時間に目を覚ますのは珍しいとぼんやりと思いながら目を開けたままにしていると、暗闇に目が慣れて暗いだけであった視界に物が輪郭を縁取って浮かび上がった。
そのなかで、ひとつだけ輝くものがあった。
それを表すなら夜空に煌めく星。月明かりがカーテン越しに感じられるような部屋のなかで、わずかな月明かりを吸収して、キラリキラリとその存在を静かに主張している。シーツの上に散らばるそれは太陽の下にいるときよりもずっと艶やかだった。
おれは手を伸ばして星のような輝きを持つその髪を一房、指に絡ませた。髪はなめらかで、指に引っかかることもなくするすると通っていく。
ほう、と見とれてしまうほどきれいな髪だ。妹たちが暇さえあればレナの髪をいじって遊んでいるのにも納得した。毎日どれほどの時間をかけて手入れをしているのだろうか。そんな疑問がふと生まれた。朝食のときにでも聞いてみよう。
しばらく毛先で遊んでいたが今度は毛先ではなく頭に手を伸ばす。起こさないようにと細心の注意を払って美しくなめらかな髪を撫でる。
閉じた瞼を縁取る睫毛は髪と同じ色をして顔に小さな影をつくっていた。所々髪で隠された無防備な寝顔はレナの整った顔立ちを一層幼くさせていた。
静かな真夜中に愛するレナの髪を撫でる。
たったそれだけのことだが心はひどく満たされた。きっと数年前のおれに言っても信じやしないだろう。
飽きることなく艶やかな髪を撫でているとさらり髪が流れて赤く染まった耳が淡く輝く髪のなかでその存在を主張した。
きょとんと目を瞬いて、おれは不貞腐れたようにレナの名前を呼ぶ。


「……レナ」
「ふふ、なんですかカタクリ」
「狸寝入りなんざして……いつから起きていやがった」
「途中で目が覚めたんですよ」
「チッ」


柄にもなくひたすら髪を撫でていた恥ずかしさにおれは反射的に舌打ちをして熱くなった顔を見せないようにと寝返った。だが、照れ隠しであることはバレバレで背中の向こうでレナは小さく笑っていた。


「恥ずかしがってないでこっちを見てくださいよ」
「恥ずかしがってねェ」
「ふふ、嘘ばっかり。だって耳が赤い」


指摘されたことでなおのこと顔が合わせずらくなる。完全にタイミングを逃したおれはどうするべきかと答えを探した。そんなおれにレナはどんな表情を浮かべているのだろうか。


「ごめんなさいカタクリ」


レナはそう言っておれの大きな背中にぴとりとくっつく。そこから伝わる体温がじんわりとおれのくだらない迷いを溶かしていく。


「そんなカタクリのことも大好きですよ」
「まったくおまえは」
「わ」
「そんな可愛いこと言ってねェで早く寝ろ」


再び寝返ったおれはレナを腕に抱く。どちらが言うでもなく唇は重なり、そして笑い合う。


「おやすみなさいカタクリ」
「おやすみレナ」


腕のなかで眠りに落ちたレナの仄かに輝く美しい髪にキスを贈る。
どうかこれからもずっと一緒に。
そんなささやかな願いを祈り、おれもレナに倣って目を閉じた。いい夢が見れそうだ。根拠もない予感におれは意識を手放した。身体が沈んでいく感覚がいつもよりずっと心地よかった。


君とともに季節を歩こう
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