「おはようございます!朝ご飯、出来てますよ」
良く晴れた朝。
嗅ぐだけでお腹が鳴りそうな朝餉の香り。
配膳を終え、「これじゃまるで奥さんだな」なんて思いながら、私はまだ布団の中で気持ち良さそうに眠っている家主を揺り起こす。
「うーん・・・今日はもう少し寝かせてくれぃ・・・」
「だーめーでーす!もう!だから昨日、『組合の会合だからって飲み過ぎちゃダメですよ』って言ったじゃないですか!せっかくの朝ご飯が冷めちゃうじゃないですか!早く起きて顔洗って来てください!!」
私は中々起きない家主、大木雅之助の掛け布団を無理矢理ひっぺがした。
タイムスリップ生活もなんやかんやで今日で一週間。
此処での暮らしにも殆ど不便を感じる事もなく、むしろすっかり順応してしまった。
まったく、自分の意外な適応力の高さには驚かされた。人間とはなんと逞しいものか。
「翌朝に響く程飲まないでくださいよ。昨夜は帰りも随分遅かったし、凄いお酒臭かったんですよ?」
お櫃からご飯をよそいながら言う。
「いやぁ・・・。まぁああいうのは付き合いっちゅうもんもあるからなぁ・・・」
お茶碗を受け取りながら珍しく歯切れが悪く言い訳をする大木さん。
「付き合いでもなんでも、節度を守るのが大人ってものですよ!次またあんなに飲んで帰って来たら朝食納豆ご飯にしちゃいますからね!」
「いぃッ!!!い、いやいやいやいや!すまんかった!ワシが悪かった!謝るからそれだけは勘弁してくれ!!!」
私の納豆発言に真っ青になって頭を下げる大木さん。大木さんは納豆と生卵が大嫌いなのだそうだ。
まったく。食べ物の好き嫌いくらいでこんなに慌てるなんて子供みたいなんだから。
「好き嫌いなんてそれこそどこんじょーじゃないですか」
「納豆と生卵だけはそういうわけにはいかんのだ・・・」
わざとつれなく言い放った私に、大木さんは叱られた子犬のようにうなだれるのだった。
「しかしお前さんも随分と馴染んだなぁ・・・」
お昼。
たくあんを齧りながら感心しているのか呆れているのか、半々と言った感じで
大木さんは私を見ながら呟いた。
「ですかね?自分でも結構びっくりしてるんですけど」
「これでムカデやアブラムシで大騒ぎせんかったら良いんだがなぁ!」
ガハハといつものように笑う大木さんだが、これには私は苦笑いを以て答えるしかない。食事中にあれらの話をしないで欲しい・・・。
お日様とともに起床。水汲みから始まって朝食の支度、後片付け。その後洗濯に、家の掃除。お昼は畑仕事中の大木さんにおにぎりと漬け物を差し入れ、自分も一緒に食べ、午後はラビちゃん達の小屋掃除とお世話。日が傾き始める前に帰って夕食の支度、お風呂の準備、後片付け、寝支度・・・。
作業に慣れない最初の三、四日はキツかったが今ではすっかりルーチンワークと化した。
今までの地獄のようなブラック労働環境に比べたら、水汲みのように若干肉体労働が大変な部分があっても全体としては遥かにマシだった。
というか今、自分凄い健康的な生活を送ってると思う。未だかつてこんな健康的生活の模範のような生活をしている自分が居ただろうかというくらいだ。
・・・未だにまだ慣れないのは、大木さんの言う通り、虫ぐらいだろうか。
やたらでっかいムカデとか蛾とか、うにうに系の何かとかげじげじ系の何かとわきわき系の何かとか・・・そして黒光りするG・・・『ヤツ』とか―――大木さんはアブラムシと言っているが―――。
あやつらだけは未だ現れる度に大木さんに撃退してもらうという情けなさ具合である。無論その度に大木さんに大笑いされたり呆れられたりする。
まあそれ以外は概ね快適な生活と言えるであろう。
ご飯は美味しいし、空気はきれいだし、ここ杭瀬村の人達は皆優しいし―――「大木さんとうとう嫁さんもらったのかい?」なんて言われた時には慌てて赤面全力否定したが―――、常に何かやる事があるから変に後ろ向きな事を考えなくていいし、かといって強制されるものは殆ど無い。
ちょっと掃除を緩めにやってお茶飲みながらぼーっとするのも、ラビちゃん達と多めに遊ぶのも、こうしてお昼休憩中の大木さんとだべるのも、自分のペース配分次第で割と自由にやれている。
温泉はないけれど、田舎リフレッシュはある意味では当初の計画より効果を上げているのかも知れない。
本来はもとの時代の仕事の事とか、家族や友人の事とか、帰ることが出来るのかとか、心配事や焦る事は沢山ある筈なのだが、その辺も何とかなると思えるようになって来ていた。
その辺は多分、この大木雅之助という人の人柄というかなんというか・・・とにかく大木さんのお陰な部分は大分あるように思う。
大雑把さの中にある小さな気遣いや時々見せる子供みたいな所とか、かと思うと『この人は本当はなんでもお見通しなんじゃないか』と思わせるような落ち着きとかおおらかさとか鋭さとか・・・そういう諸々を見ていると、取り乱したり、不安や焦りでどうしようもなくなるような気持ちが和らいで行くのだ。
それに大木さんはとても面白い人で、一緒に居て退屈しないし窮屈でもない。
大木さんと居ると、なんというか、不思議と自分がとても自然体で居られるように感じるのだ。
今も私はこの人の事を殆ど知らないし、彼もまた私の事を相変わらず詮索しない。
けれど最初の日に感じたもやもや感はだんだんと広がって、今はふわっと心全体を包むような暖かさへと変わっていた。
最初は吊り橋効果だったかも知れない。
けれど・・・もしかしたら今は私は本当にこの人の事を好きになりかけているのかもしれない。
今日のお日様はやたらと眩しく感じた。
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