この気持ちをどう言えばいい
眠り姫のごとく、すやすやと安らかに眠るハルの顔を雲雀は眺めていた。
窓から入り込む初夏の穏やかな風が時折彼女の頬を撫でて、ぴくりと睫毛を揺らす。
自分の根城としている応接室のソファに堂々と横たわり、その頭を雲雀の膝の上へ乗せて。恐いもの知らずの少女は、余程心地良いのかまったく目を覚ます気配がなかった。
らしくないことをしている。雲雀自身、その自覚はあった。先程部屋へとやって来た草壁などは、この奇妙な光景に報告することも忘れ、目を逸らしたまま出て行ってしまった。
それも当然のことで、並盛の支配者であり周囲から恐れられている雲雀のこんな姿を誰が想像できようか。一介の少女にせがまれて、膝枕をしてやっているだなんて。
けれど不思議と拒否する気も起きず、雲雀は自然とそれを受け入れた。
例えるならば、自分の飼い猫を膝の上に乗せてやっているようなものだろうか。それはいつの間にか自分に懐いていたヒバードや、匣兵器であるロールに対する愛着と似たようなものなのかもしれない。弱くて可愛らしい小動物が、雲雀は嫌いではなかった。
「ん……」
横向きになっていた身体が仰向けへと寝返りを打ち、無防備な顔が惜しげもなく晒される。
固く閉じられた目蓋にかかる前髪を払ってやれば、くすぐったいのか眉間にしわが寄る。子供のような仕草に自然と笑みが漏れた。
雲雀にとって三浦ハルという人間は、不思議な存在だった。
時に姉のようであり、妹のようでもある。物怖じせず意見してくることもあれば、雲雀の言いつけに対してひどく従順だったりもした。
おそらくハル以外の者が自分に意見などしようものなら、容赦なく制裁を加えることだろう。しかし何故かハルが相手だと、面白いと感じ許せてしまえるところがあった。
いつの間にか西日が室内を照らし、その眩しさに雲雀は目を細める。それもハルの睡眠の妨げにはならないようで、深い眠りから目覚める気配がない。
「三浦」
そっと肩を寄らすけれど、ハルは小さく身じろぐだけだった。溜息をつき、どうやって起こしたらいいものかと雲雀は思案する。
ずっと敬遠していた女子という生き物に対してどう接したらいいのか、未だによくわからなかった。
乱暴に扱えば、すぐに壊せてしまえそうなかよわい存在。そんな脆弱な生き物に、どうしてこんなにも自分は興味を惹かれるのだろう。
「起きないと、咬み殺すよ」
耳元で脅してみても、熟睡しているのだから当然効果はない。
ふと目に入った柔らかそうな白い耳たぶに噛み付いてやりたい衝動に駆られるけれど、ふにふにと指で摘むだけで我慢する。そのまま頬をなで、ぽってりと厚めのくちびるをなぞった。
そこで雲雀ははっきりと自覚する。この三浦ハルが、あの小動物たちと同じであるはずがないのだと。同じだとしたら、こんな風に無性に触れたいと思ったりはしないだろう。
触れるだけでは足りなくて、誰の目にも触れさせず、自分だけのものにしたい。
そういった劣情を隠して、ポーカーフェイスを保っていることなどこの少女は暢気にも気付かず、こうして無防備な姿を自分の目の前で晒しているのだ。そんな彼女が、この上もなく憎たらしい。
初めて味わうこんな複雑な感情をなんと呼ぶのか、雲雀は知らなかった。
ちゃんと忠告したよ、と囁いて。
卑怯な手段かもしれないと脳裏をよぎったけれど、構わず雲雀はその柔らかそうなくちびるを奪ってやることにした。
「はひ!?」
「…やっと起きた」
鈍感なハルもさすがに呼吸を止められれば目を覚まし、雲雀は顔を離してやるとぺろりと己の上唇を舐めた。
「い、い、いまなにを…っ!?」
「わかってるでしょ?」
「……!」
途端に顔を真っ赤にするとハルは起き上がり、ソファの端まで身体を引いた。そんなことをしたら、余計に追い詰めたくなるだけだというのに。狩りをする肉食獣の本能だなんて、彼女には察することができないのだろう。
革張りのソファへ片脚を上げ、背もたれへ手をかけると哀れな獲物へとにじり寄る。
先程までの威勢のよさはどこへやら、完全に怯えてしまっているハルへと覆い被さった。ひっ、と相手が息を呑んだところで、我慢の限界とばかりに雲雀が吹き出せば、状況が分からずハルは目を白黒させるばかり。
「帰るよ。さっさと支度して」
ひとしきり一人で笑った後、何事もなかったかのように立ち上がる。するとようやくからかわれたことに気付いたハルが、沸騰しそうな勢いで息を吐き、こちらを睨みつけてきた。
「雲雀さんのばかっ!は、ハルのことバカにして…っ」
「なに。本気の方がよかった?」
そう切り替えしてやれば、ハルは何も言えずぶんぶんと首を横に振る。その反応に満足し、雲雀は上着を羽織った。
今はまだ、手加減しておいてやるのも悪くない。そう、この気持ちの正体が完全にわかるまでは。
自らをそう納得させて扉を開くと、まだ肌寒い夜風がいつの間にか火照っていた雲雀の頬を冷やすかのように、そっと吹き抜けてゆくのだった。
END
2011/01/23/Web