「雲雀さんて本当におかしな人ですよね」 「…君にだけは言われたくない」 ハルは冷静だった。心が不思議なくらい凪いでいる。きっと地球が滅亡すると言われても今なら受け入れられる気がする。 だから、壁を背に雲雀に囲われている状態も静かに見ていることができた。 「雲雀さんは世界中のだれよりも変な人です」 「喧嘩売ってるでしょ」 「だってハルのこと何とも思ってない癖に」 軽く睨むように吐き出せば雲雀が口を開くことはなかった。ついでに動揺も怒りも全く表に出さない。ハルの訴えを当然のように受け止める様が許せなかった。そんな雲雀に流され続けていた自分も嫌だ。 終わりにすることができたらといつも考えていた。考えるだけで実行することはなく、雲雀を前にするといつも奥底に押し込める。 そんなことをどれくらい続けただろう。でも限界だった。心が引きつれて苦しいと叫ぶ。 本当に終わりにしなければいけない。 これ以上目の前の男を視界に入れるのも辛くなって、ついと顔を逸らす。耐えきれず唇を噛みしめていたら小さく突き刺す音がした。口内に広がる鉄の味は苦くてやりきれない。 唇に滲む血に気付いたのか雲雀は無造作に手を伸ばしたがハルは勢いよく首を振って拒否した。きちんとセットしたポニーテールが崩れるほど激しく。 「触らないでください」 苦々しい言葉に引っ込みのつかなくなった手を浮かせて雲雀は目を細めた。 「機嫌悪いね」 「ハルは、はっきりしない人は嫌いです」 自然に出てくる涙を堪えてハルは雲雀を睨んだ。泣きたくなんてない。形勢はハルに向いていないといけない。 ここで負けるわけにはいかないから。 「人を好きになる感情を否定する人が嫌いです。体を求めるだけの人も嫌いです。だから、嫌いな人に触れられたくありません」 ちゃんと言えただろうか。 あんなに落ち着いていたのに、心臓が痛いほど拍動している。今日こそはと決めていたのに雲雀の切れ長の瞳に見つめられると金縛りにあう。魔力の込められた瞳でがんじがらめにされる気分だ。 雲雀の表情はやはり変わらなかった。 でもその無表情がいつ崩れるか気が気でなかった。 このままハルから体を離して、そしてハルを嫌悪して一生関わり合わないようにする可能性が高い。 それでも構わない。うそ。そんなの嫌だ。 これは賭だ。雲雀に新たな感情を生ませるための大きな勝負。勝てる見込みのないそれにハルは全身全霊で賭した。 周囲から音が聞こえてこないほど緊迫した。ハルに天国行きか地獄行きかを採択する言葉を発するであろう雲雀の口だけを注視する。 長い時間が経ったかもしれない。微動だにしない雲雀の唇がやっと開いた。 「僕は三浦を好きだとは言えない。そもそも愛というものも知らない」 好きだとは言えない。 激しく突き刺さる衝撃は思っていたより計り知れないものだった。胸を抉られる感覚。 「でも三浦が僕から離れるのは駄目だ」 「…一過性です。すぐ別の誰かに依存したくなります」 「それは一生ないよ」 どこか自信に溢れた言葉でも信じられない。 「理不尽な状況に耐えろと言うんですか」 「…僕が君の言う気持ちを見つけるまで」 無意識に震えていたハルの体を割れものを扱うようにそっと抱きしめる。 「たぶんそれは遠くないから」 だから。 懇願するような声は聞いたことがないほど弱弱しくて、ハルを違う意味で震えさせた。ハルを抱く男が子供のように見えて母性本能が働いてしまう。 曖昧にされたような一歩進んだような。分からないけれど包むぬくもりは必死にハルを求めている。繋ぎとめようとあがいている。 ハルは純粋すぎる暖かさを見捨てることができなくて雲雀の背にゆっくりと腕を回した。 雲雀の肩が小さく反応する。そろりと体を離して見えた彼の表情は母親に縋る子供のようで、胸が締め付けられる。 「…痛むかい」 ハルよりも苦痛を味わっているような声音だった。 雲雀の冷たい指先がハルが噛み切った唇の傷に触れる。今度は拒まなかった。優しく触れようとする彼らしくない不器用さがいじらしい。 「痛いです」 痛い。痛くてたまらない。 なぞられる傷口から伝播する痺れるような疼きが心身を這いずりまわる。 傷が癒えるのはいつになるだろう。 苛む痛みが消えるとき、ハルと雲雀の関係はどうなっているのだろう。 こっち向いて好きって言って/2010.09.13 |