テレビの向こうでは今日のヒーローインタビューが行われている。試合に勝ったことで意気揚々と壇上に上がった鳴を見て心癒される。うん、今日も楽しそうに投げてたね。何度かのやり取りの中で、過剰なリップサービスをする鳴は本当にファンのことを大事にしているんだなあと思う。

「それではファンのみなさんへメッセージをどうぞ」

こほん、とわざとらしく咳払いをした鳴。テレビの向こうにいる鳴のその表情に一抹の不安を覚える。完全に良い子ちゃんの仮面を捨てた鳴の表情を知っている、この顔は。一体何を言い出すのかと思わず身構えた。

「えーっと、実は今結婚を前提に付き合っている彼女がいるのですが、その人と結婚しようと思います。みんな応援してください」

鳴の言葉が終わるや否や、歓声、野次、女性ファンと思しき悲鳴がテレビから聞こえてきた。阿鼻叫喚の地獄絵図だ。当の本人はけろっとして、ファンに向けて暢気に手なんか振っている。

「鳴さん、あなた自分の影響力を理解していますか?」

思わずテレビに向かって呟いたのと同時に携帯電話が鳴り始めた。親しい人からの電話だけでなく新着メッセージのお知らせが次から次へと届いて、正直怖くなった。電源を切った私は、一度状況を整理しようと思いお風呂に入ることにした。とても混乱している。

バスタブに張った熱めのお湯につかりながら、さっきのヒーローインタビューをぼんやりと思い返す。

まず確認したいのは、鳴が言っていた結婚を前提に付き合っている彼女というのは果たして私のことで合っているのだろうかということだ。鳴との間に結婚のけの字が出てきたことは今までで一度もない。仕事が忙しい私と鳴、両者の会える時間や会いたいと思う頻度が一致したことで何となく付き合い始めたと記憶している。

結婚。結婚するとなると今以上に自分の時間がなくなってしまうのではないだろうか。やっと後輩の指導を任せてもらえるようになったところだから、正直仕事は続けたい。そして何より、面と向かってプロポーズされてないことが気がかりだ。私よりも先にファンに報告するって、何だそれは。

ざばっと音を立ててお湯から出る。柔らかいバスタオルに包まれて少しだけ気分が落ち着いた。それからゆっくりと髪を乾かしてリビングへと戻る。

状況を整理しようとして戸惑いが怒りに変わってしまったが、とりあえずは鳴に連絡を入れようと携帯の電源を入れて驚いた。過去最高の不在着信履歴。相手は鳴だった。

「何で鳴がそんなに電話してくるんだか」

とことん意味がわからない人だと脱力して折り返し電話をかけると、鳴はワンコールで電話に出た。まさか待ち構えていたのだろうか。

「なまえ!!!遅いって、見た!?」

「そんな大声で話さなくても聞こえるよ」

「何でそんな沈んだ声なわけ?俺からのプロポーズ嬉しくなかった?」

「いや、それがですね…」

「俺、今日はこのためにヒーローインタビュー狙ってたんだ。上手くいって良かった」

私が喋ろうとする度にべらべらと今日のあのボールがさあ、と捲し立てる鳴にいらっとして電源ごと落としてやった。人の話をちゃんと聞かないのは鳴の悪い癖だっていっつも言ってるのに。

気分を変えようと点けたテレビでは、鳴の結婚のニュースが大々的に報じられていた。かねてより付き合っているOLのAさん(25)って、うん私のことだ。何でこんなに知られているのだろうか。怖い。
誰々に似ているといったイメージ図の私と鳴の写真のコラージュに画面が切り替わったところでテレビを消した。私の日常が浸食されていく。

結婚とか、そんな一生を左右するようなことはちゃんと私に相談してからにしてほしかった。よくわからない涙が溢れてきて、これ以上何も考えたくなくて私は早々にベッドに潜り込んだ。


次の日の朝はいつもより少し早く目が覚めた。いつもの習慣でついテレビを点けてしまい、鳴のニュースが流れていることにびっくりして慌てて消した。今日はもう会社に行こう。朝ごはんは向こうで食べればいいし。いつもより早い電車は比較的空いていて、こんな日も悪くないと無理やり思い込む。

建物の一階にあるカフェでサンドイッチとコーヒーを頼んで新聞を読むことにしたが、うっかりスポーツ欄を開いたところでで鳴の写真が目に入りそっと新聞を畳んだ。鳴の顔を見て怖くなるなんて、末期症状じゃないか。

ああ、そう言えば携帯の電源入れておかないと、何かあった時に困る。さすがに日中の働いている時間に電話をかけてくるような不届き物はいないだろうとたかをくくって電源を入れた。通知の類は一切見なかった。

職場で私と鳴が付き合っていることは誰にも言っていないし、そもそもそんな話をする人間もいないから午前中は仕事に集中することができた。友達とお昼を食べて、さあ午後も頑張ろうかなと思った矢先に電話が鳴った。

「はい、もしもし」

「…、なまえ?」

「うん、私」

「何で怒ってんの?」

電話の主は鳴だった。何で怒っているのかと聞かれても電話では正直答えにくい。しばらく黙り込んでしまうと、それに耐え切れなくなったのか鳴は「今日の夜家に行く」と言い残して一方的に電話を切ってしまった。


夜10時を回った頃、インターフォンが鳴った。玄関の扉を開けると、完全にふくれっ面の鳴が立っていた。

「いらっしゃい」

「ん」

鳴が手に下げていたビニール袋を受け取って中を見ると、私の好きな赤ワインとおつまみが各種入っていた。これは鳴なりの謝罪だ。勝手に部屋に入ってしまった鳴を追いかけて、飲む?と尋ねるとこくりと頷いた。

勝手知ったる他人の家と言わんばかりに、食器棚からグラスを出してくれた鳴にお礼を言って乾杯をし、赤ワインを一口飲めば幸せな気持ちになった。明日が仕事休みで本当に良かった。

怒られた時やひどいケンカをした時などここぞという時の鳴の必殺技、私の好きなものをとりあえず贈る攻撃が炸裂しているということは、今回の件をかなり気にしているということだ。それもそうだろう。テレビ中継で公開プロポーズをしたのに私の反応があまりにお粗末だったのだから。

「なまえ、何で怒ってんの」

グラスを揺らしながら、電話と同じ台詞を唐突に言う鳴。喜んでもらえると思っての行為だったのによもや私が怒るなど一切合切考えていなかったのだろう。そんな鳴に一体何て伝えたものか。

「俺と結婚したくない?」

真っ直ぐに見つめられて言葉に詰まる。結婚をしたくないわけでは決してない。いつかは鳴となんて私も考えていたが、それでもあまりに突然すぎる。

「いや、あのさ…、こういう言い方は良くないかもしれないけどまずは確認ね。私たちって結婚を前提に付き合ってたの?」

「俺は最初からそういうつもりだった」

「うん、そっか。ごめんね、本当にびっくりしただけだから」

「それだけ?言いたいこととか言うべきこととか、他にないの」

「えっと、テレビでああやって言う前に私に直接言ってほしかったかなって…」

「公開プロポーズって彼女が喜ぶって聞いたんだけど」

「そんなデマを流したのは誰よ」

お酒の勢いでついつい乱暴な口調になってしまう。なるほど、そういうことか。聞けば聞くほどに鳴に悪気はなく、私に喜んでほしいという一心だったということがよくわかる。きっと純粋な鳴に誰かが面白半分で吹聴したのだろう。世間知らずなところがある鳴はそれを真に受けてしまったようだ。

「やっぱり怒ってる」

「ううん、怒ってないよ」

「嘘だ。眉間に皺が寄ってる」

「うーんとね」

このままじゃいけないと思い直して拳で眉間をぐりぐりとほぐす。ついつい難しい顔をしてしまったけれど、私の気持ちはそうじゃない。ちゃんと伝えなければ。

「ねえ鳴、ちゃんと結婚のこと相談しようよ。家のこととか私の仕事だって、たくさん話し合わなきゃいけないでしょ」

「結婚、してくれるんだ?」

きちんと前向きに相談しよう、そう鳴に伝えると、鳴は目を輝かせて喜んだ。ちょっと待っててと言い残して、鳴は玄関の方へ走って行ってしまった。ああ、やっぱり人の話を聞いてくれない…。そして玄関のドアを開ける音が続き、再び廊下を駆けてきた。

鳴の背中でも隠し切れないほどの大きな花束を持って、鳴は私の前に立った。

「なまえ、結婚しよう!」

そうして差し出された黒赤色の薔薇の花束。呆気にとられた私は何だか全てがバカらしくなって吹きだしてしまった。本当にもう、振り回されっぱなしだ。

結婚を正式に了承し花束を受け取ったところで、私は昨日から今日にかけての感情を鳴に曝け出した。

突然のことで意味がわからなくて、それから急に怖くなったこと。鳴り止まない電話。ワイドショーや新聞に登場する自分と思しきOLのAさん(25)。あの女優に似てるなんて言われたら周囲のハードルが上がり過ぎるんじゃないかと思って嫌になったこと。

それから鳴に裏切られたような気持ちになったこと。

珍しく最後まで黙っていた鳴は、私の言葉が終わるや否やなまえはどっちかというとあの女優よりこっちの女優に似ているし、女優なんかよりずっとずっと綺麗だから大丈夫!と見当違いな励ましをしてくれた。それがおかしくって、すっかり肩の力が抜けた。完全に鳴の魔法にかけられている。

野球選手でしかもエースの鳴じゃない。かっこ悪いところもだらしのないところも、弱いところだって全部全部見せてくれる等身大の成宮鳴と結婚するんだ。そう思うと今さらながらに幸せな気持ちになって鳴をぎゅっと抱きしめた。

「なーんで今さらになって泣いてんの」

「突然幸せを実感した」

「俺と結婚できる女なんてこの世でなまえしかいないんだからね」

「うん」

「成宮姓になれるのもなまえだけだから」

「いやそれは違うでしょ」

ぽんぽんと優しく肩を叩きながら私をあやす鳴。何だかすごくかっこ悪いなあ、私。

「言っておくけど、なまえがかっこ良かったためしなんかないよ」

「えー?これでもキャリアウーマンだし、後輩の前ではかっこいい女性を精一杯演じてるんだけど」

「まだまだだね。俺に比べたら全然」

「誰よりも甘えん坊なくせに何言ってんの」

やっといつも通りの私たちの距離感が戻ってきた。鳴もそう思ったのか私の顔を覗き込んで意地悪な笑顔を浮かべる。何でもお見通しなのが悔しくて、腹いせ鳴の鼻を指で弾くと、やったなと怒った鳴に鼻を齧られた。痛いよバカ!と叫んで叩くとそのまま床に押し倒されてしまった。

「何すんの!」

「それはこっちのセリフだから!」

ぎゃーぎゃー喚いて文句を言うと、うるさいよと言って唇を塞がれてしまった。これでは流石の私も大人しくならざるを得ない。

角度を変えながらだんだんと深くなっていくキスに頭がぼんやりとしてきた。そっと目を開けると、鳴の綺麗な青い瞳がすぐ近くにあった。こっちを見るなと言わんばかりに手で完全に目の周りを覆われてしまった私は、今度こそ鳴とのキスに溺れていった。

ほんの数時間前までの陰鬱とした気持ちが嘘みたいに晴れて、幸せが胸を満たしていく。鳴といるといつでもそう。明るい鳴に触れてたくさん元気をもらっている。

私はそんな鳴が好きなんだよ。後で突然告白して困らせてやろうかな。


成宮鳴の場合