「さとるー、起きて―」
掛け布団を引っぺがしながら声をかけると、一瞬まぶたを開けた暁は私の腕を掴んでそのまま布団に引きづりこんでしまった。
「暁、朝ごはん冷めちゃうよ」
暁の腕に抱かれたまま脇腹をつんつん突きながら暁に言うと、その行為が不愉快だったのか今度はあっさりと解放された。
「はい、起きる!」
体を揺らしながらしつこく起こし続けると、やっとのことで暁は目を覚ましてくれた。
「おはよう」
「………、うん」
「まず顔洗いに行こうね。ほら立って」
まるで子供に躾をするかのようだけれど、実際暁は大きな子供みたいだから仕方ない。私はそんな暁が可愛くて仕方ない。
両手を合わせていただきますを言い、食事を始める。
「今日は一日完全に休み?」
「うん」
「そっか、じゃあ何しようね」
「………、昼寝?」
「せっかくのいい天気なのに勿体ないよ。あ、そうだお布団と洗濯物干すからご飯食べ終わったら手伝ってね」
こくりと頷く暁に満足して、私は鮭の切り身をほぐし始めた。
「今日は本当に良い天気だね。洗濯日和だ」
ベランダに出て洗濯物をハンガーにかけていると、暁が何かを思い出したように小さく声をあげた。
「昨日の洗濯物、鞄の中に入れっぱなしかも」
「ちゃんと出しておいたよ、大丈夫」
「ありがとう」
ほんのりと頬を染めて、素直にお礼を言ってくれる暁の純粋さに心打たれる。本当に何て素敵な彼氏なんだろうか。同棲を始めて半年経つけれど、時間があれば家事に協力してくれるし、案外小まめに連絡をくれる。何時に帰るよ、なんてメールがくるだけで私はとても嬉しい。このまま結婚できたら幸せだなあ。
洗濯物を干し終えた私たちはリビングに戻って一息つく。そういえば昨日発売の雑誌に暁の特集記事が組まれていた。本人にそう伝えると、「インタビューされたの俺だから知ってる」とのことだった。そうじゃなくて、暁が取り上げられて注目されること自体が嬉しくてついつい報告してしまう。
毛足の長い絨毯に横になって、夢中で雑誌をめくる。この写真なんかすごく綺麗な顔をしている。やっぱり暁は美人さんだ。
「可愛いね」
「何が?」
横に座って私の様子を見ていたらしい暁は、可愛いという言葉に眉を吊り上げた。
「何って、暁だよ。この写真とか特に綺麗な顔だもん。良く撮れてるなあ」
一人で舞い上がって騒いでいると、暁はひどく不服そうな表情をしていることに気が付いた。
「年下だからってバカにしてる?」
「え……、バカになんか、してないよ?」
まさか、そんな。そう答えてもなお不服そうな暁。まさか自分の他愛ない発言で暁の機嫌を損ねてしまうなんて思ってもいなかった私は正直狼狽えた。今まで可愛いなんて何度も言ってきたのに、何故今頃になって癇に障っただろうか。
「暁…?」
「なまえの方が可愛い」
「え、あ、うん。ありがとう」
暁はそれだけを言うと、ぽすんと私の肩に顔をうずめて黙りこくってしまった。よくわからないけれどこのままじゃまずい気がして、とりあえず開いていた雑誌を閉じた。
「暁、どうしたの」
「………」
「ねえ、暁」
ゆさゆさと体を揺すってみても暁は一切反応を示してくれない。ううん、困った。
「可愛い、って言われるの嫌だった?」
試しにもう一度"可愛い"と言ってみると、大袈裟なくらいに暁は反応した。嫌だった?ともう一度念を押すように尋ねると、小さくでもはっきりと頷いた。
「…私、今まで結構暁に可愛いって言ってきたと思うけど、何で今になって?ずっと嫌だったの?」
ふるふると首を横に振る暁。最近になって突然嫌になったということだろうか。うーん、どういうことだろうかと首をひねりながら唸っていると、暁が私の肩口から顔をあげた。ちょっとだけ目のところに服の跡がついてしまっている。
「なまえより、年下だから」
「うん」
「子ども扱いされてる気がして」
「…うん」
「俺だって、男だから」
「………」
わかっている。わかっている、つもりでいたこと。暁よりも5つも年上の私からしてみれば、暁は恋人であると同時に少し手のかかる弟のような存在だと心のどこかで思っていた。きっと暁はそのことを敏感に感じとって、私に恋人として対等に見てほしいと思ったのだろう。それで"可愛い"という言葉がまるでバカにしているように聞こえてしまったのだろう。
それでも私にはもう一つ疑問が残った。
「ごめんね暁」
「…うん」
「でも、本当に突然どうしたの?」
「………」
無言で私のお腹に手を回して起き上がらせる暁。そしてそのまま暁の膝に乗せられた。かなり身長差があるおかげで、膝に乗ってやっと暁と同じくらいの目線の高さになる。
それから何度か啄むような軽いキスが降ってきた。額、瞼、頬と徐々に下りてくる暁の唇が気持ちよくて目を瞑る。甘えるようにすり寄ってきた暁の頬にお返しに唇を落とした。
「なまえ」
「んー?」
「お嫁さん、なる?」
「え…、お嫁さん?」
「うん」
「お嫁さん…、なりたいなあ」
「じゃあ、なろう」
普段から話半分というか、どこまで本気で言っているのかわからないというか、ちょっとだけ不思議な暁のことだから、今回も本気じゃないと思っていた。それなのに目の前の暁があまりにも真剣な目をするものだから、どきりと胸が鳴った。
「えっ」
「………」
「え、プロポーズ…?」
驚いて目を丸くすれば、暁ははっきりと頷いた。プロポーズ、されたんだ私…。突然のことに一瞬思考がフリーズして、それから一気に顔が赤くなった。
「暁と、結婚…」
「…嫌?」
「嫌じゃないよ!嫌なわけ…ないでしょ」
私につられるように頬を赤く染める暁が可愛くて、愛おしくてどうしようもない。まさかこんなタイミングでプロポーズされるとは思わなかった。正直にそう伝えると、暁は首を傾げてしまった。
「結構サインとか出してたつもりなんだけど」
「サイン?」
プロポーズにサインなんてあるのだろうか。そんなこと、言葉にしてくれないとわかるわけがないのでは。
「なまえの方が可愛い」
「えっ、あ…」
「僕はずっとそう思ってる」
「…うん」
「なまえを支えるなら、しっかりしないといけないし」
暁の言葉で合点がいった。そっか、そうだったんだ。可愛いという言葉に過剰に反応して、年下だからってバカにしてるんじゃないかって不安になった暁は、結婚をするのに私を支える覚悟をいつの間にかしていたんだ。
「いつの間にそんなこと考えてたの?」
「…結構、最初から」
「最初って?」
「初めてなまえに会った時から」
「え!そんなに最初!?」
自分よりも若い暁がそんない早いうちから私との結婚を考えていたなんて信じられなくて、思わず笑ってしまった。私が思っていたよりも暁はずっと純粋なんだろうか?笑われたことが気に食わないのか、ジト目で睨まれた。
「あ、ごめんごめん」
「…でも。でも結婚しようってちゃんと思ったのは、最近。なまえがいつも迎えてくれるのが当たり前じゃないって思ってから」
「そんなこと思ったの?」
「この間、同窓会で家にいなかった時に…」
「寂しかったんだ?」
「うん」
つい先日、私が中学校の同窓会に参加した時のこと、丁度遠征から暁が帰ってくるのに出迎えられなくて申し訳なさを覚えた日。あの時、結婚しようって思ってくれたんだ…。そう思うと何だか胸が温かくなる。
再び真正面から向き直って暁を見つめる。大きな体に逞しい腕、それから私を支えると言ってくれたこと。全部が頼もしくて、胸いっぱいに愛しさが募る。
「これからよろしくお願いしますね、旦那さん」
頭を下げてそう言うと、旦那さんという言葉が嬉しかったのか珍しく破顔した暁を見ることができた。
「こちらこそ」
律儀に返事をくれる暁と顔を見合わせて、満面の笑みを浮かべる彼を抱きしめた。