声が優しいのはずるいと思います

「御幸のバカ!もう別れる!」

ついに気持ちが爆発した。ほんの些細なことの積み重ねだったけど、じわりじわりと私の胸を締め付けていった真っ黒な気持ちが。

御幸が悪いんじゃない。―多分そう。
忙しいんだから、うっかりすることだってあるはず。―だけど誕生日だよ?

彼女の誕生日を忘れてすっぽかすなんて、やっぱり怒ってもいいよね。

普段から我慢することが多いと思う。付き合う時にそう言われたから、ちゃんとわかったつもりでいた。
耐えれるつもりでいたけど現実は大きく違うもので、周りの子たちはすごく幸せそうなのに自分はどうしてって考えてしまうことも少なくない。
少し寂しいけど、そもそも御幸が背負っているものを部外者の私が理解できるはずもない。

勢いで別れると言ってしまった以上、きっとこれで御幸との関係は終わるのだろう。
あーあ、最後まで本当に可愛くなれなかったな、と後悔が溢れた。

ところで、成り行きで御幸の目の前から走り去ったはいいものの、一体これはどこで立ち止まればいいんだろうか。
もう御幸が見えないことを確認しようと後ろを振り向いて、―驚いた。

「え!?」

何で、何で追ってきてんの、あいつ!

慌ててまた駆け出したが非体育会系の私の全力なんて御幸の前では無意味に等しい。
背後から私を追ってくる御幸は…、何と言うかとてもホラー。
あっという間に差を縮められ、呆気なく捕まってしまった。
肩で息をする私とは対照的に、御幸は余裕の表情だ。

「な、…なん、でっ」

「聞き捨てならないセリフが飛び出してきたから、追っかけてみた」

「…そ、そんな…」

「まずは少し休めば?」

息も絶え絶えな私を見かねて御幸がそう提案してくれた。
全く恰好がつかなくて非常に恥ずかしい。いやこれは本当に恥ずかしい。
鞄からペットボトルを取り出して一気に飲み干そうとしたが、噎せて咳き込み背中を摩られる始末。

「落ち着いたか?」

「…うん」

ようやく落ち着くことができたところで、鞄をガッシリと掴まれた。おそらくこれ以上逃げるなよという意味で。

「で、さっきのセリフなんだけど、却下で」

「………」

「なあ、何でそんな怒ってんの?」

「…今日、何の日か、覚えてる?」

「えっと…?」

ああ、はいはい。やっぱ覚えてないわこの人。もしかして、と期待するのは間違いだった。
私を追ってまで一体何を言うのかと思っていたが、ただの勢いで追っただけのようだ。
野球バカもほどほどにしてほしい。

「今日は、私の誕生日。17歳。セブンティーン。彼氏にどんなお祝いしてもらえるのかなってるんるんで学校に来たはいいものの、彼氏はそんなの覚えてないと!」

ちょっといじけたくもなりますよね。うっかり別れるなんて言ってみたくもなりますよね。
もしかして私、もう飽きられてるのかなって不安になってもおかしくないですよね?

「あ、あ〜………」

「これで怒らいでか!」

「ちょっと、なまえちゃん痛えって!」

冷静になろうとは試みたがやっぱり腹が立つ!ということで御幸の背中に一発おみまいしてやった。

「…野球バカなのは知ってる」

「………」

「単純にバカなのも知ってる」

「おい」

「ごめん、ちょっとキャパオーバーしただけ、ごめん。さっきの別れるってやつなしで」

「………」

忘れられていたものはどうしようもない。御幸だってきっと悪気があったわけではない…と思う。
それをいつまでも引きずったって仕方ないのはわかってる。わかっているから。
今日は私の誕生日だ。嫌な気持ちなんかさっさと忘れて気分よく過ごしたい。
一発殴ったおかげで少しはスッキリしたことだし、ここらでいじけるのはやめにしよう。

「なあ、なまえ」

何とか気持ちを切り替えようとため息を吐いたところで、御幸に名前を呼ばれた。
珍しくおどけた様子のない呼び方にどきりとした。

「…何?今さらごめんとかいらないからね」

「こっち、来いよ」

ちょいちょいと手招きされるまま御幸に近付けば、その大きな胸に閉じ込められた。
ぴったりと耳を胸につけると御幸の心音が聞こえる。
…あ、ちょっとだけ速い。

「誕生日おめでとう」

反対の耳元で、御幸に囁かれた。甘く響いて落ち着く、少し低めの優しい声。
耳と額にそれぞれ唇を降らせて、ぎゅっと力強く抱きしめられた。

…こんなことをされてしまってはもう怒るに怒れない。

「本当、ずるい男だね」

「なまえちゃんには負ける」

「何それどういうこと?」

「…内緒。それより今度のオフの日、なまえちゃんの行きたいところ行こう」

「ん。お昼ご飯よろしく」

「へいへい」

仕方がないから今日のところは許してあげる。
まったく、声が優しいのはずるいと思います。

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