novel | ナノ



俺に出来ない事はない。

本気でそう思っていた。大学生になり、一人暮らしを経験するまでは。

まず掃除が出来なかった。樺地を呼んだ。ゴミ出しなんてやる気にもならなかった。樺地に頼んだ。次に洗濯機が回せなかった。クリーニング屋に丸投げした。
庶民のスーパーなるものに馴染みがなく夕飯の買い物が出来なかった。自炊をやめた。同じく、庶民の店に馴染みがなく日用品などの買い出しが億劫だった。そこで知ったのがインターネットの通信販売というものだった。

早ければ頼んだ翌日に届き重いものも運ぶ手間がない。家の金を最低限しか使わない、自力での一人暮らしを経験しようかと思い立った俺にとって庶民は庶民でこんな便利なもんがあったのかと感動に近い思いを抱いたもんである。
さらに、俺がこの通信販売を頻繁に利用するのにはもうひとつの確固たる理由があった。

「こちらにサインをお願いします〜」

と、玄関先でやる気のない声を出す天パの金髪。
通信販売を利用し始めてから高確率で商品はこいつが届けに来ている。見たところ同世代で歳下だろうが、常に眠そうでやる気がない。サインを貰い忘れそうになるのなんてしょっちゅうでイライラしてしまう事も多いのだが、なぜか、なぜか嫌いではない。商品を頼む時、こいつの顔が浮かぶくらい、嫌いではない。

たったの一度だけ、いつも眠そうなこいつが異常なまでにハイテンションだった事があった。「こんばんはー!跡部さんでよろしいですかー?あっはは、マジで跡部さんですかー!お届けものでーす!いつも毎度お世話になってまーす!」と近所迷惑になるんじゃないかというやかましさで終始ニコニコと楽しそうに笑っていた。
その笑顔が、とっても、嫌いではなかった。

「サインかもしくは印鑑でお願いしまーす」
「……」
「……ふぁあ」
「……だな」
「っ、へ?」
「今日は雨で、大変だな」

あくびをこぼしながら俺のサインを待つこいつにそう声を掛けた。普段こいつの「ありがとうございまーす」に「ご苦労だったな」と返すぐらいの会話しかしていなかった俺が唐突に言葉を発したのに、こいつはきょとんと暫し目を瞬かせる。
サインを書く手を途中で止め目線だけでそちらをうかがっているとようやくそいつは慌てたように口を開いた。

「あ、ああ、うん。まあ。大変、なのかな?」
「悪かったな、雨の日に重い荷物頼んで」
「なにそれ、跡部さんのせいじゃないじゃん」

はは、と眠そうだからかテンションの高い華やぐような笑顔とは違い、落ち着いたはにかむような笑顔を見せたこいつに柄にもなく心臓の音が高鳴る。
タメ口の宅配員なんて通常なら締め出すレベルだが、「跡部さん」とさらりと名前を口に出せるぐらいには俺の事を認識しているのかと思うとそんな小さな事なんて一切気にならなかった。

「跡部さん雨好き?」
「嫌いじゃねぇが、好きでもねぇな。晴れが一番だ」
「やっぱり?俺も。寒いし、頭はクルクルだし、テニスも出来ないし、なにより外で昼寝も出来ないし。雨は嫌いだなぁ」
「お前、テニスやるのか」

思わぬ共通点にさらに鼓動が高鳴る。

「跡部さん強いの?テニス」
「ああ」
「へへ、自身満々だね」
「今度やるか?勝負」
「言っとくけど、負けないよ俺」
「いい度胸だ」

サインを書き終えても、しばらく会話が続いた。サインを書く数秒の間にこいつの知らなかった一面や表情をいくつ知っただろう。好戦的なその笑みにゾクゾクとした高揚を感じる。
こんなチャンスをみすみす見逃すほど、俺は愚かじゃない。

「そうと決まれば、お前名前は。あと暇な日と連絡先教えろ。目処がたったらこっちから連絡する」
「マジ?ああでも、跡部さんいつも忙しそうだから跡部さんの暇な日に合わせた方がいいんじゃない?この前だって大学の教授になんか頼まれごとされたんだろ?」
「なんだと?」

思いがけないこいつの言葉に驚いた。確かに俺は5日ほど前に、教授に発表会等の手伝いを色々と頼まれている。俺にとっては雑務でしかないし校外に知れ渡るような大々的な事でも特別名誉のある事でもない、なんの変哲もない単なるお手伝いだ。何気なさ過ぎて誰かにそれを言うなんて事は、あったとしても樺地ぐらいのものである。そんな些細な事を、なぜ大学外の、単なる配達員のこいつが知っているのか全く想像がつかなかった。
驚く俺にそいつはにへらと笑って被っていた帽子の端を照れくさそうに顔の前に下げる。笑う口元だけが俺の視界に入り、その口が紡ぐ言葉に俺は柄にもなく運命を感じた。

「知ってたよ、跡部さん。跡部景吾くん。マンモス大学だし学部が違うからそっちは知らなかったみたいだけどさ。同じ一回生なんだぜ」

ほら、と地味な制服から取り出されたのは俺と同じ大学の学生証。「それに、」と学生証と一緒に出された名刺大のカードは俺がクリーニングに出す際に近いからという理由で御用達にしているクリーニング店のメンバーズカードだった。ピンク地の背景に可愛らしいヒツジのキャラクターが描かれたそれには大きく店の名前が載っている。

「いつもお世話になってます。芥川クリーニング店、次男の芥川慈郎です」


いやー、大学ですげぇ奴がいるなーって思ったらなんか見た事あんなーと思って、配達来たらそうだこいつだ!ってなってさ。名前見たらまたなんか見覚えあんのよ。なんでかなーって思ってたら家の手伝い中に同じ名前と服見つけてああここでかー!って興奮してさ。
そしたら次の日の配達テンション上がっちゃって、うるせぇ!って帰りに近所の人に怒られちった。

へへへ、と照れくさそうに笑うこいつに俺は顔や胸、言ってしまえば全身がカアッと熱くなるのを感じた。


柄にもなく、運命だと思った。




大学生跡部×大学生(宅配バイト)ジロー
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